病院の待合室の床で、一本の針が落ちているのを見つけた
看護師に渡そうとすると、
それはお薬ですよと言われ、
受け取ってもらえなかった
医師は相変わらず尾を振って、
パソコンの画面をペロペロと舐める犬だったので、
私は窓の奥の公園の、
二人の子供の遊戯を眺めていた
悲しみを吸って
水脹れ、膜を張る夕暮れ
鰯雲が杞憂を運ぶ
農夫は仰ぐ、暇もなく、鍬を振る
それから、
針はどんどん小さくなって、
私のポケットの奥に逃げ隠れた
家に帰る前に、
戦争反対のデモ隊に20分ほど参加して、
コンビニでアイスクリームを二つ買った
家に帰る前に、
一方のアイスは溶けてしまったので、
線路上にそっと捨てた
嘆きを食って
糖尿病になった熊の星
鏡合わせに日常をみつめて
転轍機の笑い声に泣き眠る人
家に着き、ふと、
私はその針を種だと思った
ので、ガーデニングを始める良い機会になったというわけだ
針を植えて、
一晩待った
朝起きると、
悪夢が、
ヒタヒタにバケツに注がれていた
二階の寝室から、
庭に向けてその水を放った
繰り返しても、
針は一向に芽吹かなかった
コーヒー色に湿る土だけが、
弱音を吐く陽射しにキラついて、
私だけが健康体になって、馬鹿にされている気分だ
あの時のデモ隊はもうとっくに滅んでいた
ある日一階に降りて、庭先へ、
土を掘り起こし針を探した
ベトベトするツチだ、ああ、ベトベト。
針は無い。
しかしなぜか、花壇の外で、一本の小さな針が地面から生えていた
それは抜けない。
見渡すと、その針はそこらに顔を出していた
抜けない。
すべて抜けない。
どうやらそれは、根っこらしい。
幹も枝も葉も花もつけずに、
針は根っこになってしまって……
スクスク育ったというわけだ。
病床に臥す父の掠れ声に、
ハッとして、
私は急いで食事の準備に家に入る。
もらったはずの薬が見当たらない
また明日、病院に行かなければ。
それにしてもあの針は、
あの針の根は、
この家の中にまで、
床下にまで、
父の部屋まで、
伸びて来てしまうのだろうか。
父の額の汗を拭き取り、
鍋の火加減を見ては考える。
明日は、
病院の帰りに除草剤を買いに行こう
いや、除針剤じゃなければいけないだろうか
具材を入れ過ぎた、
鍋の中の汁の面を混ぜる。
ヒタヒタ、ヒタヒタ、ヒタヒタ、混ぜる。
父の、針のような声、混ぜる。
作品データ
コメント数 : 22
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作成日時 2024-04-03
コメント日時 2024-05-07
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/21 22時31分12秒現在
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針は己自身から出たものなのか、ふと育てる必要があったのか。最終連が不穏で〆られているのが、なんとも唆ります。(選外佳作おめでとうございます)
1熊倉ミハイ様、こんばんは。 今作も読ませてもらいました。 現実世界と夢の悪夢が混ざっているようで 不思議な感じだと思いました。 不思議の国のアリスが不思議の国で経験したそれの悪夢版みたいだと感じました。 何か不快なものがへばりつくような、じっとりとした不穏さを感覚的に覚えました。 何だか読んでいて苦しそうで胸を掻きむしるような複雑な何かを主人公から感じて悲しみ、諦め、怒り、不安、恐怖のような負の感情すごく心配になりました。 個人的に読んでいて私はそう思いました。 もし不快に思われたりおかしな感想言っていたら申し訳ないです。詩を読んだ個人的な感想です。 夢の中にいるような不思議な作品と多種多様な表現を見せてくださり、ありがとうございます。
1針は注射針? 父親は病院に関係していた? なんだかいろいろなことが想像されます。二連目の農夫のくだりはなんだろう。夕焼けから連想される情景かな?とか。読めば読むほど考えさせられますね。
1針園はまさしく作者の置かれている状況か。 比喩が日常に溶け込んで不条理な針地獄を表現している。 思わず何度も読み返してしまった。 私的には好きな詩。
1A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 この詩はA・O・Iさんのおかげで生まれたと言っても過言ではないですね。「それは散歩」という詩でのコメントのやり取りから、私の中でできた靄をどう打ち消すか、新たな詩の形を探してこの詩が生まれました。(その他、色々な要素が構成されていますが、そのうちの一つがA・O・Iさんとのやり取りです。) 散文か、詩か、という判断を超えて、現実を突き刺す非現実な何か、という着地をしたのかなと、今の時点で思っておりますが、どうなんでしょう。 締め方、針のように始めと終わりがある直線的な問題が、温かくも鍋といった永い円環に引きずり込まれるような……その感覚が伝わったようで、嬉しいです。ありがとうございます。
1すぅさん、コメントありがとうございます。 不思議の国のアリス、恥ずかしながらまだどの媒体でも見たり読めたりできておりません……。安部公房ファンとしてなんたることか…… そのすぅさんの感覚も参考に、いつか原作にあたりたいと思います。 「何だか読んでいて苦しそうで胸を掻きむしるような複雑な何かを主人公から感じて悲しみ、諦め、怒り、不安、恐怖のような負の感情すごく心配になりました。」 おそらく、この感情をもたらした背景の一つに、私が言えることは最終連の展開でしょうか。 読み手を騙すように、それまで張っていた伏線のようなものが回収され、唐突に「父」という「他者」が出現する。それまでの読みが、単なる個人の病というものから覆されて、第一連から第七連までに新たな悲しみが秘められていることが浮き出る。 夢の中にいるような…… 確かにそうですね。寝ても醒めても、不安の渦の中にいるようです。だから、第七連まで「どうせ、この悪夢から醒める救済があるんでしょ?」と思う人には、悲しい衝撃が走るかもしれないですね。
1相野零次さん、コメントありがとうございます。 第二連、第四連もそうかもですが、人は何か対象を見つめる時、同時に自分の心も見つめていると思われます。 別に、農夫が空を仰いでいたとしても、仰いでいないように見えてしまう時があるのです。 「私」には、時の移り変わりに置いていかれていく不安すら、もう感じる暇がないのかもしれません。
0秋乃夕陽さん、コメントありがとうございます。 作者がこの状況に置かれているかどうかの批評は、なかなか危うく思います。苦しみの表現は、苦しみの中にいる人にしかできないのでしょうか。作者は今その状況を乗り越えた経験があったり、もしくは未来を予感している場合もありますよね。 表現は経験に則ると誰かが言っていましたが、則り方は多岐に渡ります。方法として、この詩では、第七連までは個人の経験に則り、最終連のみ、他者の「ヤングケアラー」の実情に胸を痛めた、その経験から成り立ちました。 要は、作者だけの状況・問題に留まらず、他者の事情も混ぜた作品です。この私の歩み寄りに、詩をもって他者を理解しようとする歩み寄りに、傷つく人も居るかもしれないという緊張を覚えつつも投稿しました。 それを理解した上で、「針園」というのは、自分だけでなく他者の痛みの針も自身を囲い込んでいる、その真実に作者が気づいたのだろう、という分析だったならば、お詫び申し上げます。
0熊倉ミハイさん、そうだったのですね。 詩をもって他者を理解しようとする歩み寄りはとても良い試みだと思います。 己の痛みがあるからこそ他者に対する痛みもわかるし、何とか寄り添おうと努力するのかもしれませんね。
1いえいえ、いつも自分目線でけっこう手酷いこと言いまくってる気がするので、いろんなかたに内心うざがられてないかとヒヤヒヤしています。やはり褒められたい認められたいわかってほしい以外はぶっちゃけクソコメになってしまうので、コレでも気をつかっています。なのでそう言ってもらえると安心しました。まあミハイさんの向上心の賜物だと思います、私は何もしていませんよ(^^)
1ミハイ様、こんばんは。 そうだったんですね。不思議の国のアリスは、原作の英文を日本語で理解しやすくする面白い工夫が仕掛けられているのでお勧めです。お楽しみに! 仰るとおり個人の痛みだけじゃないって分かって一気に主人公の負の感情の複雑さを感じました。 主人公が不安の渦の中にずっといるまさにそんなイメージでした。 悲しい衝撃もありました。それだけでなく個人的に私は衝動で今すぐ主人公を助けに行かないと、早く手を伸ばして引き上げないと。まずい!!ってなりました。 相手は望んでないかもしれないのに詩の登場人物なのに物理的に無理でも手を伸ばそうとしました。どうしたらいいかも分からないのに。 お節介な私です。妙なこといってすみません。思わず詩の登場人物に感情移入しすぎました。 そうなるくらいリアルな詩をありがとうございます。
1待合室に座る病院の待ち時間というのは長くて、しかも自分の目の前を通り過ぎるのは知らない患者やその家族、そして忙しく動き廻る医師や看護師たちです。 「針園」というのはおもしろい喩えのタイトルですね。ユニークです。そうですね。点滴であれ注射であれ、病院にも患者にも管のある針というのは治療には欠かせないアイテムです。冷たい金属の針。病院というのもある意味感情の抜け落ちた冷たい場所です。それは医師や看護師たちがそのように教育されているからでしょう。毎日を死と向き合わなければならない。いちいち一人一人の患者に対して感情移入することはできないのです。そう考えればしんどい仕事でもある。父親に対しての介護らしき場面も書き置かれてあるので語り手はかなり精神的にも疲れている様子です。肉親の介護に疲れてくると若干認知症のようになり集中力も記憶力も低下します。そのような状態がシュールな妄想として前半部分に描かれている。わたしにも経験があるので少しは理解できる気持ちにもなります。薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。よく似た関係性にあります。高齢化社会の真っ只中。我が家の庭にも病院の庭にも針園で溢れてきます。 現実の錯綜した状態と客観的な未来の行く末が混交し、社会的な世界観も感じる妙味のある作品に仕上がっていると思います。
1メルモさん、コメントありがとうございます。 社会の実情の丁寧な分析と、詩との照合。そして、 「薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。」 というような、詩に対しての構造を見る分析、大変面白く読ませていただきました。 他の方へは、「ヤングケアラー」という言葉を出しましたが、その構想にぼかしを入れ、「ヤング」かどうかを曖昧にし、「老老介護」の実態にも届くように詩の射程を伸ばしました。 シュールさが、語り手の疲れから出る世界観、という指摘もおっしゃる通りだと思いました。 このような考察がされて、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
0「針」の成長がその後、どんな場面になるのかと 情緒を灼かれる展開を期待したのですが、 末尾の「いや、除針剤...」は蛇足に思えました。 Aメロ→Bメロが良くて、Cメロはいまいち。
1おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 最終的に針を、精神や生活の見えない領域に成長させた展開だったのですが、好みの問題でしょうかね。 思考が突き破られたり、認識を歪ませられたり。日常を再開しようにも、どこかズレ始めている、それに気づかない。私にはこの末尾はおぞましくて見てられないですね。
1地獄の一つに「針の山」というものがあるのですが、なんとなくそれを思い出しました。 個人的にいいと思ったのは、安易な「正解」や「オチ」みたいなものがなくて、針園の気まずさを感じられるところですね。 お薬とされている針に、じわじわ追い詰められていくところで締められている。 そこが、徐々に戦争に向かっている現代日本に重なりました。 もしかしたら「針」は「銃弾」なのかもしれない。 粗探しというか、ちょっとどうなのかな?と思ったところをあげます。 ただ、これは個人的な好みかもしれないので、たくさんある意見の一つとして受け取っていただけたら幸いです。 まず、少し長く感じられました、ちょっと冗長かなという意味で。 冒頭の拾った針を看護師さんに受け取ってもらえなかった理由も、お薬というのは弱い気がしました。 現実的に考えて、拾ったものが薬でしたら、看護師さんは回収すると思うんですよね。 例えば、薬局で処方された針を薬だから受け取ってもらえなかったなら、わかるのですが。 この針が看護師さんからしたら薬であるというのは、この作品において大事なところだと思うので、針を入手した経緯をもう少し練ってもよかったのかなと思います。 それとこれはかなり個人の好みなのですが、 >私はその針を種だと思った >ので、ガーデニングを始める良い機会になったというわけだ こういう接続助詞を文章の頭に持ってくるつなげ方は、美しくない感じがするんですよね。 プロの方でもこういう文章のつなげ方をする人は、けっこういるのですが、個人的にこういうつなげ方は美しいだろうか?と思ったりします。 と言っても、本当にこれは個人の好みなので、熊倉ミハイさんが、いいと思うなら全然OKです。 目玉焼きに醤油をかけてもソースをかけても、OKなようなものです。 面白いなと思ったところをあげます。 >戦争反対のデモ隊に20分ほど参加して、 >コンビニでアイスクリームを二つ買った >家に帰る前に、 >一方のアイスは溶けてしまったので、 >線路上にそっと捨てた ここは、軽薄さがよく出ていていいですね。 軽薄さを嫌味なく書けるのは、軽薄さから目をそらしていないからだと思います。 誠実だから軽薄さを書ける。 >悲しみを吸って >水脹れ、膜を張る夕暮れ >鰯雲が杞憂を運ぶ >農夫は仰ぐ、暇もなく、鍬を振る ここの抒情さは好きですね。 農夫と鍬という言葉の選択がこの作品のなかで適切かはちょっと微妙かもしれないですが。 現代性の強い作品で、今の農家の方は鍬というより、耕運機のイメージが強いという意味です。 ただそれを差し引いても、ここの抒情性は沁みますね。 佳作おめでとうございます。 自分も投稿していて、まあ僕の方はさっぱりなのですが、知っている人の名前を見ると楽しくなったりします。 お互いがんばりましょう。
1初めて注射をされたのは、小学校の頃だったか。みんな怖くて泣いていた。でも、我慢できた。 正しい医療行為には、痛みが伴う。我慢できる痛みが。そして、恐ろしさにも耐えねばならない。 だんだん慣れてくる。大人になる。needleという魔法を、『XANADU』というPCゲームで覚えた 事があります。危険と安全は隣りあわせ。地獄というのは、学び場です。針の正しい使い方 をすれば、布も作れる。糸を針穴に通して。それが優しい保護服になる。雑巾も作れる。 私が身体に持つ小さな針も、痛みを与えることができます。そのために生きてきたのです。
1トビラさん、コメントありがとうございます。 ご指摘されている点について 冗長さは、確かに好みの問題かもしれません。ただ、おっしゃる通りこの詩が何か「正解、解決」に向かっていかない詩だからこそ、泥のように進む日常→冗長さを生んでいるかもしれません。 冒頭の針の薬を手に入れるところ、確かに薬局ではない場所で異様な始まりですね。ただ、詰めが甘くイメージ通りに描けていませんでした。自分の中では、看護師は幻覚のように現れている感覚でした……。 「ので」 という接続詞について、美しいかどうかを見る前に私には「リアルかどうか」という判断があります。この詩以外にもたまに使いますが、チグハグさ、引っ掛かり、分裂などの感覚がその詩の雰囲気に合っていると思った時に使う感じです。今回はマッチしていると思いました。 余談ですが、最近の邦楽にも、歌詞の文節の途中で曲の小節を変え、分裂させることで新たな展開、メロディが生まれている傾向があるように思えます。私にはまだ真新しく感じる手法で、「美しいか」どうかの考えはまだ固まっていないですね。ただ、邦楽に関しては若干嫌悪感があります。 農夫の連については、二連目と四連目を同じ感覚で書いていました。前の第一連で子供の遊戯を見ていたはずが、農夫に視線が移っている。ここは詩中主体の「私」が見てる景色かどうかは関係なく、時間を遡った視点な気がします。そうなると、四連目でも同じように近代的なモチーフを登場させれば良かったなと、思いました。 時間を横断する視点を置くことで、昔から紡がれてきた哀しみを背負い、それに潰されそうになっていく、というような感じを描きたかったです。 ありがとうございます。トビラさん、高確率で癖に刺さる詩を書いてらっしゃるので、ご活躍してるものかと……私が選考委員だったら贔屓してしまいます。 ともに頑張りましょう。緻密な分析、ありがとうございました。
0黒髪さん、コメントありがとうございます。 「針」というモチーフ、私は今まで何故好きなのか分からずに使っていましたが、「痛みも安心も与える」といった二面性が、あの細い形に詰まっているからだということに今気づきました。お恥ずかしい…… 自分の中の針。「視線が痛い」という表現があるように、私たちは見る時も刺したり、言葉でも刺したり、色んな針を持ってますね。又、針、と言うのだから狭いところしか見えない、言えない。人間関係のもつれは言葉足らずから起こったりしますね。 それでも何か芯を突き刺すような、もっと細い針を研いでいくのが人間なのかなと、思いました。ありがとうございます。
1先ずは現代詩手帖4月号の選外佳作おめでとうございます。 どんな詩かなと思っていたのでここで読むことが出来て良かったです。 「針園」とあるので何となく場所に囚われて読んでいたのですが、「針」だけに着目すれば言葉は線の組み合わせだから針みたいなものだなと思ったり、針は微細なものなので繊細な心情をその先に感じます。 >家に帰る前に、 >一方のアイスは溶けてしまったので、 >線路上にそっと捨てた この捨てられたアイスクリームは父の存在ように感じました。 最終的にこの家は針園になってしまうのでしょうか、頼りにしている主治医は犬だしデモ隊は滅んでしまった。 土の養分を吸って広がる針が何かを暗示しているようで不気味な印象でした。
1紅茶猫さん、コメントありがとうございます。 アイスクリームについての解釈は、私は、自分の分を捨てているだけのように思っていました。しかし、比喩だとして解釈を広げるなら、父の存在そのものと見たり、自分の感情だと見えたり、確かに色々出てきますね。一個は溶けずに残っている、というのも重要だと思います。なぜ一方だけ早く溶けたのか。 戦争のデモ隊については、ドゥルス・グリューンバインさんの特集号の時に、確か「日本は閉鎖的なテーマを扱いがち」(違っていたらすみません)というような意見を読んで、それに反抗するように取り入れた要素でありました。 家という個々の問題も、重要な問題のひとつでしょう、と書き上げたのがこの「針園」でした。確かに、戦争の問題とか世界平和の壮大なテーマにも向かうべき時が必要なのは、分かるんですがね……。
0針が薬だとは。目の錯覚だろうか。尾を振ってパソコンの画面をぺろぺろ舐める医師が犬だとは。突拍子もないのですが、比喩だろうか。最初から度肝を抜かれました。そして針は小さくなっていく。そして遂には線路上にそっと捨てるのだが、針を種だと思って、針を植える。発芽するはずもなく、芽吹かない。花壇の外で生えていた針。抜けない。強固な比喩に支えられた詩だと思いました。
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