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狼
体内を狼がうろついている。毛を粘液で濡らして消化管のなかを探しまわっている。栄養が多い組織を見つけて噛みつくと、痛みが炸裂する。今日私は既に何十回もうめきを上げていた。狼はお産の準備をしているのだと思う。 痛みを紛らそうと天井を見た。でこぼこな表面は苔むしている。垂れ下がった幾本もの胞子嚢が漏れてくる光のなかで灯った。光は太陽が低く位置した時にしか差さない。他は真っ暗な湿気が隙間風にのって流動するだけの時間。瓦礫に遮られた部屋ではどの隅に寄りかかっても砂埃の味が、小さな蝿のように脳髄を来往する。 苔は人の荒廃した住処をよく好む。胞子をできるだけ高くまき散らして壁を刻々と伝い、あらゆる空白を埋めてしまう。 鋭い腹痛。狼は消化管を破り、横隔膜を狙って周りの骨を押しのけようとしている。 天井は赤い膜を張った。彼らが帰ってくる時が迫ってきている。 「裏から塞ぐために置いた戸棚を取っ払って、荒々しく鉄の扉を壁にぶつけてやってくるのよ。次の瞬間には裸体が私の前に三体並び、上から貪欲な視線が命令してくる。リーダー的兵士が、逃げられないように頭を両手で握り自分のペニスを口内に突き刺す。精子が主食だと囁いて、他の二人の笑い声がする。私の肌を今日もまた三本のペニスがなでまわすに違いない。聞いてるよね」 常に暗闇だったせいで顔はぼんやりとしか見えなかった。くだらない冗談を交えるのはリーダー的存在らしいと推定したが、それさえ定かではない。 彼らは順々に、機械的な速さで一人十分足らずで射精する。私の体には何週間もの精液の跡がついている。体内ではさらに多くの精子が飛び回っている。 「狼よ。貴方を尊敬する唯一の理由は、精子を一つ残らず噛み砕いてくれるからだわ。だけどその務めだけで、私は貴方を神として崇める。受精さえしなければ、代わりに痛みだって許容できる。それなら死だって安いものよ。私の血を飲み干したっていい」 何をぼやいているのか自分でも解らない。妄想でしかない。もう胎児の芽がでてきている可能性だってある。 夕焼けは消えた。私は壁の苔をひと握り剥がし、口に入れた。それは乾いていて唾液を吸う。床に吐くと、砂を含んで泥となる。足裏で何十回も苔を吐いた分の泥濘みを感じる。 「狼よ。貴方を信じる。私の子だけは絶対に作らせちゃいけない。貴方は私の体を糧にしていくら繁殖しても構わない。このままだって私はもうじき死ぬわ。今にだって死にたいけど、彼らがあらゆる凶器となりえるものを隠してしまった。けれどたしかに私はあと一日も経てば死ぬのよ。それまでに、私の血を引いた胎児の存在と、損失だけはゆるしてはならない」 もうひと握り苔をむしり取った。脱水症による死が目眩という兆しを見せた。
狼 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 542.2
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-02-09
コメント日時 2024-02-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんばんわー読ませていただきました。1連目から5連目までは、結構ワクワクしながら読んだのですが。6段目ですね、セリフのところから妙に具体的に小説になってしまい、興ざめしました。正直狼というタイトルと一連目の〝狼はお産の準備をしている〟というくだりだけで後半の物語を察してしまうんですね。詩と示す時に具体的な描写は世界は物語はなんのためにするのか、すると詩としての読み手の自由な想像は束縛されてしまうと思うんです、書きすぎてしまうと正確に伝えたいだけの情報になってしまうんですよね。ですからばっさりいうと六行目から先は詩としてはいらないかなーと思いました。気を悪くしたらすいません一個人の感想です。ただあなたの信じる詩を書いて行ってくださいませ!では失礼します
1痛みというものが、時に一個の生命だと感じることがあります。自分の意識外から突然やって来て、いつの間にかいなくなる、酷い時には日常の運命を変えてくる存在です。 この「私」は、外の兵士達(性を快楽として弄ぶ)からの生命よりも、体内の痛みの生命を信仰していますが、その板挟みになり、砂、苔といったものにまみれて死に近づいている。 いや、むしろその苔といった生命への憧れだろうか。人の荒廃した土地に生える彼らのように、倫理の荒廃した土地で苔として生きていくことを「私」は望んでいるのかもしれない。そう考えると、「私」はひどく厭世的である。 狼は、実は「私」を食い破ろうなどとしているのではなくて、身体の外に出て、兵士らを噛み殺したいのかもしれない。世界への抵抗である。でも、「私」がそれを抑えている。「私」の中の諦めと怒りが乖離して、怒りが沈殿してしまったのではないか。 世紀末のような世界観と、どう生きるかを決断する「私」の言葉に、切なくなりました。
1コメントありがとうございます。 私は具体的な描写を書くことというのはこれからの作品でも曲げたくありません。ただ情報の出し方が六段目の前と後で、かなり違っていることが問題だとは自覚しています。自然に情報を入れ込むことができるようになれば、読み手もすんなり理解できるでしょう。そこを目指したいと思います。
1コメントありがとうございます。 痛みというのを我慢すれば、かわりになにかを得られるという感覚(望み)は時としてありますよね。偶発的に起こる事象に対して、神的存在を仮定し、自分を落ち着かせようとする。
1こちらこそしつれいなかきかたをしてすいませんでした、さかさんならそう言ってくると思っていました。これからもブレずにさかさんの中で到達した詩をたのしみに読ませていただきますね。
2裸体は何となく滑稽ですね。一体何を目的としてこういうことをするのかというと、 子供を作らねばならないということを、悪用している。被害者の方は、悪が剣の柄から 切っ先に伝わる、とシモーヌ・ヴェイユが述べたとおり、被害者でも悪いことに加担して しまう、だからこそ、受精だけは起きてはいけない。悪の因縁果。起こってはならない。 厳しい詩でしたが、このようなことを、どのような感情で受け止めるべきなのでしょう。 こうした真面目なことを、する意味というのは、問題の解決についても、大事なことと 思います。言葉によって、悪から離れる。 犯罪というもの一般があり、その裏には心が存在している。動機。心が悪くなると、 世の中もその人もどんどん悪くなる。主人公でなくなる。この詩の主人公は、 被害者でした。傍観的である加害者の手に主体性を渡さず、被害者である私のみは、 最後まで主人公として悪に加担しない。その意志の強さこそが、この詩から伝わるべき ことのように、個人的には思いました。
1体内のオオカミとは体内を飛行するものではないか、何かこの世ならざる世界を跋扈するあやかしのたぐいではないのかと思いました。狼を信じると言う難しいゲーム。繁殖するオオカミに神は祝福を与えるのかもしれません。
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