時間は無内容のまま隆起し
あたかも何者かの倨傲によるかのようだ
しかしそれは違う
時間は何者にも関係なく自生しているのだ
今や中空の果実を実らせ
そして渇望を示している
それを誰一人収穫しようとしない
最も幸福な季節をそれと気づかず放っておき
長い苦難の後に人は思い出すのだ
あの時なぜ時間の呼掛けに応えなかったのか
もはや幸福は老いた夢の中にしかない
時間の果実は地面に落ち
腐臭を漂わせて人を喘がせる
それは本当は己の悔恨の臭いであるのだ
人は時が流れ着いた場所で過去に寄り添う
こんなにいとしいものはない
同時に何も時間の中に注ぎ込めなかったと
悔いてまた恥じる自分もいる
肯定することも肯定されることも難しい生
何をしても時間の無内容を免れられない
過去は虚ろなまま今という時に到達し
どうやら何か出来事が持ち上がったようで
でもすぐに凪の水面に復帰するのを見る
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 958.0
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-02-06
コメント日時 2024-03-21
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:958.0
2024/11/21 23時40分16秒現在
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哲学的な思考が働いていますね。 >時間は無内容のまま隆起し >あたかも何者かの倨傲によるかのようだ この文が素晴らしい。 また、全体的に格調が高く、実際的思考が縦横しています。 yasu.naさんは、努力の末にどんどん内容のある詩と思考を書けるように なってきていると思います。そんなポテンシャルの実現、気持ちがよく感じさせていただきました。
1失礼ながら作品に刺激されて極私的な時間論を開陳させていただき たいのですが わたしは〈時間〉というものは自然には無いと思っています。これは 常識に照らしてもあたりまえのことですよね? 見えないものは存在しない。これは当然のことです。 ガスとか空気とかは見えないけど計測できますからこれはモノです。 つまり存在するものとは具体的なモノだけです。 究極的にいうなれば分子とか原子とか素粒子ということになります。 では私たちが〈時間〉と呼ぶものは一体何かといえばこのモノの 変化を認知して、私たち人間がその変化の過程を「数字や言葉」で言い 表したものです。それが〈時間〉です。 これをもっと本質的にいうならば時間とは私たちの意識のことです。 だから人によって時間感覚は伸びたり縮んだりするのです。 時間が個人の中で伸びたり縮んだりするのはそれが意識=観念の 生成物だからです。 精密にいうならば〈時間〉とはモノとモノの関係性を意識化した 人間の幻想(観念)です。 動物はモノとモノの関係性は即時的に判断できますが、その関係性 を観念化できない。つまり意識化できないのです。 だから観念化できない動物には永遠の現在しかありません。過去も 未来も意識にはない、つまり時間がないのです。 もし動物がモノとモノの変化つまり関係性を意識化して〈時間〉と いう観念を生成できればその動物は人間と同じになります。 おそらくこのような時間の捉え方は世界広しといえど私だけなのかも 知れませんが多分それほど間違っているとは思っていません。 >時間は無内容のまま隆起し >あたかも何者かの倨傲によるかのようだ これは〈時間〉への哲学的記述ではなく明らかにノスタルジーによる 過去への望郷的な眼差しでしょう。 タイトルの「時間の内容」とはあなたの〈意識〉の内容です。 ただそれだけのことに過ぎないとしてもそれを〈時間〉という関係性 に繋げたことが詩的な感興を呼んだのだと思います。 この作品や記述内容は 黒髪さんがいうような〈時間〉への哲学的な記述ではありません。 もっと情緒的な想念が〈時間〉をそれほど深く考えることなく ノルタルジアの代償として身辺に呼び寄せたのだと思っています。
0時間論について、意見の相違を述べさせていただきたいのですが、 モノの変化は目に見えますよね。ということは、変化は目に見える、従って、 変化はある、従って時間もある(観察される)といってもいいのではないでしょうか。 人間がいなくてもモノは変化していく、というのは、簡単な思考実験でわかることでしょう。 yasu.naさんが時間について考えられたことも、時間についての真実であり、有意義な 叙述であると思います。
0なんだか時間についての議論がなされていますが、 力学と熱力学の、双方の時間に対しての考えを思い出されました。私は熱力学派ですね。 そんなことは置いといて、時間が虚ろに、無内容になって今に迫るという詩の内容について。 多くの人たちがこの現実に直面して嘆きますが、この呪いの射程は段々と膨れて、まるで人生何をしても意味がないというニヒリズムが流れる場所があったりしますね。 だからこそ合理的なもの、利益、目に見えるものを求める社会の中で、逆に虚無だと分かるもので時間を埋めるとどうなるか、は気になりますよね 何かしたけど、何もしていない(と周りからみなされるもの)、そんな虚無を時間という薄皮で包んで回顧すると、何が見えるのか。と、この詩を受けて考えました。
0深い後悔が伝わってきました。他の方のコメントとも関係するのですが「時間は無内容のまま」という書き出しから「時間は内容を持ち得るか」みたいな思考が働いてしまうので、そこはできれば回避した方がいいのではないかと思いました。
0コメントを下さっている皆様へ、おはようございます。皆様のコメント喜んで読ませていただいております。そしてこれを機に『哲学・思想事典』などで「哲学」「時間」「存在」などの項目を読んで勉強中です。大著の翻訳本にあたることは私にはできそうにありませんが、この勉強がとても楽しいです。今は勉強中・考え中といったところで、コメント欄が閉じられてしまうのは翌月末であるはずなので、それまでには返信いたします、お待ち下さい。コメントありがとうございます。
0肯定的評をどうもありがとうございます。私が書いたのは詩であり、哲学の論文ではないのですが、けっこう頭を使いました。感性だけでなく。コメントをいただいた後、自分でも気になったので、所有している『岩波哲学・思想事典』で「哲学」と「存在」と「時間」の項目を引いて読んでみました。「哲学」は「理論的基礎の知的探究」、「論理的追究の態度」というような言葉を使って解説されていました。私はもちろん「存在」とか「時間」といった哲学的な事柄について考えをめぐらせたのですが、本当の哲学には至らなかったようです。でも、だからといってそういう哲学的な事柄を扱ってはいけないことにはならないと思います。私の時間論としては(厳密には論ではなく捉え方としては)、経験を伴って経ることができるので、時間はそういうものとしてシンプルに存在しているのと同時に、経験を伴わない時間も人間は想像できて記述できるので、そういう時間も存在していると思われます。
1意義あるコメントをどうもありがとうございます。上の黒髮さんへの返信は読んでいただけたと思いますが、だいたいのことについてtakoyoさんの仰有ることに同意します。その上で、補足的に書きたいのですが、自然科学によって確認される存在というものは非常に分かりやすいけれども、これのみに存在を限ることは正しいのかという問題。『岩波哲学・思想事典』の「時間」の項目の中にアウグスティヌスの心理的時間論が紹介されているのですが、それは、時間は心の中に存在している、というものです。古い時代の思想ですが、後世への影響は大きかったようです。意識、観念、幻想、こういうものも心(や頭)にあるものですし、私たちは人間であることから逃れられませんよね。事典の中ではカント以後の思想が長く記述されているのですが、私には読めないです。
0コメントをどうもありがとうございました。力学と熱力学、ずっと気になっているのですが、勉強が追いつきませんでした。 この作品を書いてから長い時間が経ちました。今、読んでみると、力んで考えすぎて書いているように思えます。詩文とは本当にはこういうものではないとも思いました。でも、書いた時は必死になっていたのを思い出します。 人間は生きながら何かをつかむ。それは本当なのか。何もつかまない。これも本当なのか。時間の中に何かを遺して今もそれを保持しているのか。こんなことを考えて私の心に風が吹いたのでしょう。
1コメントをどうもありがとうございました。時間が経ってしまいました。この作品を書いた時は、どうやら後悔と虚無感に囚われていたようです。そうなることも生きていればありますね。現在はどうかと言えば、逆に帆に大いに風をはらんでいる感じがしています。幻想かもしれませんが。 詩においては、まったくいけないとは思いませんが、思考を書くのはあんまり美しくないと思いました。この自作品の中では、辛うじて唯一自分で美しいと感じる箇所は、「人は時が流れ着いた場所で過去に寄り添う」というところです。ここはやさしい感じがしますが、ほかはダメかな。ガチガチに力んで考えすぎているように自分で思います。
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