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撹拌
か ん か ん か ん か と 踏みしだくのは橋の下駄 機銃掃射の弾痕もいつしか 電飾のアーチに埋もれてしまった 痩せたもみじが川面にすがる みずの短冊がゆび先を濡らす 向かいの土手を駆けあがる 子どもたちはきらきらのビーズか 躱した歳月を追う昔年のピヤニカ 万羽の鶴にひしゃげる軒下 おべべの地蔵に両手を合わせて 八つ手の玉っころを数えて、ごめんな くちびるなら噛んでつぐんで 前歯なんぞ草むらにほうった 左曲がりの鼻筋の わたしはまるく真円であるから
撹拌 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 960.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-14
コメント日時 2018-02-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
投稿ありがとうございます。半透明な霞みがかったなかでビーズがころころ回るように遠のく子どもたちが最後にくっきり映った円になって消えちゃうような気持ち、古くて小さな川の土手に立ち尽くしてしまうような気持ち。そんな気持ちになりました。
0私が良いなと思う作品はほとんどレスが付いていない現象があります。それは置いておいて。 先程、別作品へのレスで「自分はこの作品を評価するか」に言及しましたが、この数分でやはり私は作品については印象と感想しか述べるべきではない、それが私が現代詩に対して取るべき態度だと思い直したので、印象と感想のみを述べます。 ミクロに読んだとき優れたフレーズが多いです。「痩せたもみじが川面にすがる」「万羽の鶴にひしゃげる軒下」などは素晴らしすぎて嫉妬すら感じます。マクロに読めば上手に抑制された抒情詩だと思いますが、「くちびるなら噛んでつぐんで/前歯なんぞ草むらにほうった」はやや強く感情が出ていますね。好きですが。ただやはり全体として何を語りたいかはほとんど分かりませんでした。個人的にはギリギリアウトの分からなさです。分からないこと自体は悪いことではないですが、つまり「分からなさ」が主な原因で作品が破綻しているように見え、ただしかなりもうすこしで破綻を免れたような印象もあるという意味で、ギリギリアウトなのです。私もよく「分からない」と言われる作品を書いているので人のこと言えませんが。
0三浦⌘∂admin∂⌘果実さま コメントありがとうございます。 >半透明な霞みがかったなかでビーズがころころ回るように遠のく子どもたちが最後にくっきり映った円になって消えちゃうような このように読んでいただけたこと、新鮮でうれしくなりました。ありがとうございます。
0完備さま コメントありがとうございました。 >個人的にはギリギリアウトの分からなさです。 ひとつには核心に触れず、その周りをもやもやとしている情景を描きたかったということがありました。それは言い訳として、書き手として「ギリギリセーフ」のライン上を行き来できる技量を身に着けたいと思っています。
0色々かき混ぜているなぁと思いました。気がついたのは、「橋の下駄」の所で、かんかんは最初踏切だと思ったんですが、それは下駄の音だよと言われるのですが、同時に橋の下駄でもあるので、橋桁でもあるのかなぁと。そこから三丁目の夕陽のイメージで見ていってもいいかもしれません。 そこに終戦のイメージが付いてきます。銃痕のイメージというのは、僕が最近朝鮮戦争に纏わる作品を呼んだのですが、やっぱり出て来て、確か海外のどっかの処刑場の施設も展示するときに、ここで人が死んだという事を示すのに、銃痕を使っていた記憶があります。でも銃痕のイメージはそうやって残さないと、消えてしまいますよね。それが電飾に変わるという事は、多分新しい通りが出来て、新しい建物が建って過去の痕跡がなくなってしまったことなのかなと思いました。 >躱した歳月を追う昔年のピヤニカ >万羽の鶴にひしゃげる軒下 >おべべの地蔵に両手を合わせて >八つ手の玉っころを数えて、ごめんな ここも昔のイメージが残っている物を羅列しているのですが、目に見える痕跡で多分昔からそこにあるものというのは地蔵が手一杯なのかなと思います。ピアニカも千羽鶴も、多分邪魔ですから残らないと思います。でも地蔵は残りますよね。そこから子どものイメージに繋げていく所も面白いです。 >くちびるなら噛んでつぐんで >前歯なんぞ草むらにほうった >左曲がりの鼻筋の >わたしはまるく真円であるから 僕は乳歯を投げたイメージからここで語り手が過去を捨て去るイメージを思いました。前段で謝ってしまっているので、多分色々子どもの頃の思い出と大人になった自分の中で蠢いている、正に撹拌しているイメージを切り離して、最後の鼻筋の部分。ここがどうなんだろう。左翼だから左になったのかな。そこら辺は分かりません。鼻筋が尖って横からみたら真円みたいなオチの意味は今一掴めなかったです。他の方の読みがもうちょっとみたいなぁ。
0言葉の流れが気持ち良い作品ですね。情景を積み重ねて実の部分は朧げにされているので、意は汲み取り難いですが雰囲気はかなり飲み込みやすい、と感じました。
0百均さま 丁寧に読んでいただいてありがとうございます。 とある夜景スポットに機銃掃射の痕が残っていることを知ったときの気持ち。 おっしゃる通り終戦、これはシベリア抑留体験者とその家族の話を初めて聴いたときの経験がベースにあります。
0蛾兆ボルカさま コメントありがとうございます。 >生なましい現場を繊細な写真技術で写し取ったような とのおことば、とても嬉しいです。 と言いますのも、好きで写真を撮っていまして、詩を書くにあたって組写真をイメージすることも多いからです。 >読者に渡さないものが何かあり、隠蔽と封印の気配の中に留め置かれます。 今回は殊更に核心には触れませんでしたが、情景描写のすき間から主題が湧き立つような作品を書きたいと常々思っています。
0KURA_HITOさま コメントありがとうございます。 情景を紡いでいく書き方は好きなのですが、ともすると雰囲気だけで終わってしまう危険がありますね。 これからも精進したいと思います。
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