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静かな時に
連なった夜を過ごした 永遠の中の少しだけを味わったのだ 心の中は光にあふれているので 怒りを自分に課したときだって 決してごまかしたりはできなかったのだ 誰にとっても同じことだ 脳裏に焼き付いた景色の中からそう思う 極限まで高められたような時刻を発見した それは夜の手前の時間 鐘のように呼びかけている この景色は 吹きすさぶ風 白色に 立ち向かう 深い感情に囚われているばかりではない 時がやけに静かになってきている 寂こそが接点である 私と人と自然とを区別しない それが純粋な感情に思える 明日への願いを呼びかける 心の感情が湧き出る いつも湧き出る そのとき 飛来した 夢のようにもやもやとした茶色い枯葉
静かな時に ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 896.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-13
コメント日時 2018-01-31
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
怒りを自分に課すというフレーズが少しびっくりしました。自虐的ではあるのですが、作中にもある通り、純粋な感情にも思えました。なんか、黒髪さんらしい作品、というか、今作は極私的なコンセプトがある詩に思えました。
0極限まで高められたような時刻を発見した それは夜の手前の時間 鐘のように呼びかけている この景色は 吹きすさぶ風 白色に 立ち向かう このフレーズが、とても良かったです。 この瞬間、を思い出して、そのプロローグとエピローグも連結させて、一つの作品にしたような印象でした。 三連に分けてみる、と、どうなるだろう。そんなことも思います。
0三浦果実さん 返信遅くなりすみません。コメントありがとうございます。 とても好意的に受け止め、発信してくださって嬉しいです。 僕らしいといわれるのが、一番安心します。僕らしくない作品を作ったとき、それが意味のない詩になって しまっているかもしれない、というのが怖いので。でも、もしかしたら、自分の外にも広い世界があるのかも しれませんが。 怒りとの付き合い方は難しく、神と対峙しているような気持ちになります。 もっと意味が面白い詩を作っていきたいと思っています。ありがとうございました。 まりもさん 返事が遅くなり申し訳ありません。コメントありがとうございます。 現実の景色と言うものが、どういう意味を自分にもたらしているのか、こんな少ない景色の体験でも、 一体、人にも伝わるような一般性のようなものはあるのかどうか、そんなことを思ってこの詩を書きました。 七行のフレーズに注目していただき、嬉しいです。 どうも、なかなか評価されるような詩がかけず、自分でもどかしいです、少しずつ上達していければ いいのですが。 三連に分けるのは、たしかにそうしたほうがいいですね。 ありがとうございました。
0うーん、中々鋭い詩編で、且つ詩行だなぁ。 >心の中は光にあふれているので >怒りを自分に課したときだって >決してごまかしたりはできなかったのだ 心の中が真っ黒だとかだとあるような気がします。心の闇とは結構あると思います。でも心の中に光があって、そこに怒りを課すという展開が面白いです。自分の中の良心の方が自分の心をきつく縛っている感じですよね。良心がなければ、光がなければちゃんと怒れたのに、という感じが。 >それは夜の手前の時間 >鐘のように呼びかけている >この景色は >吹きすさぶ風 >白色に >立ち向かう >深い感情に囚われているばかりではない >時がやけに静かになってきている >寂こそが接点である ものすごく難しい。寂こそが接点である。という所ですが、どう解釈すべきだろうか。という所で僕はまだ答えが出ていません。多分波立たない水面のイメージなのかなぁと思います。でもそれは永遠ではなくて、枯葉によって、いとも簡単に崩れてしまう均衡であるのかなと思います。寂は接点なのですが、同時に永遠ではなく、揺らいでしまう接点なのだと。見つめている分にはいいのですが、それを手の内に収めようとした瞬間に崩れてしまうというような。その契機として末尾に置かれた枯葉なのかなぁと思いました。
0百均さん 読んでいただき、コメントもありがとうございます。 心の闇と光、夜と昼、これらは、個人の意識の中で色々にかわるものでしょう。 それがなぜ普遍的なのかと言えば、視界の構造がそうだからでしょうし、人間の神経も、電気のメッセージ によって、働くからでしょう。 感情には、光と闇がない気がします。だから、怒りにも、イメージがない。 言っておられる、良心ということは、正負の両面を持っていますね。どんな心の気持ちにも、両面があります。 それを、知っていきたいとは思います。 寂っていうのは、怒りではないものです。だから、怒りの音によって、物事を変えようとしてみることと、 寂の接点を持って、人に触れることは、二つのそれぞれのやり方だと思います。 後付けを色々と作者の僕自身も考えてしまうのですが、枯葉については、俳句的な発想で何かしようと、 せねばならないと考えて、書きました。 永遠への希求のようなものは、恐れという扱いづらいものと、一体となっているのでしょう。
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