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背反を穿つ
雨が縫う 音もなく 夜を編む 碧落に注ぐ月光と きみを偲ぶ 月の楔に 耐える 割れぬように 解けぬように あの 痛いほど冴えた繊月が 記憶と追慕の石盤を貫こうとする 雨が縫う 春の終わりの 縷々とした 慈悲の雨か 桜流しか 私は耐えて 雨を縫って また歩く ひび割れに染み 増してゆく脆弱を 耐える 止むのを待っている 氷輪の再生を待っている でも 雨が止めば またひとつ 満ち欠けて またひとつ 遠ざかる 月の楔が 割らぬように 解かぬように 雨はまた 私を縫う
背反を穿つ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 834.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-12
コメント日時 2018-02-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
はじめまして、コメント失礼します。 淡々と静かな感じが素敵だと思いました。 最初、月は寄り添ってくれるのかと思ったら、寧ろ逆でしたね。 全体の冷たい印象が後悔や後ろめたさ、無力感のようなものを感じさせます。雨が縫って縫われて、淀みなく流れる時間に抗いたいような、でも抗えないような……?
0みみみさま 言葉がまわりみちをして、核心に触れずに愛撫するような、美しい夜を薄衣で包んでいるような。 とてもすきな詩です。
0投稿有難う御座います。 永輪の再生を待っている このフレーズがとても好きです。なんだか、辿り付く出口が存在しながらも永遠に続いてる迷路みたいで。
0Rさま くつずり ゆうさま 三浦さま はじめまして。 コメントありがとうございます。初投稿作品で不安でしたが感想をいただけてとても嬉しく思います。 全体の冷たい印象が後悔や後ろめたさ、無力感のようなものを感じさせます。 楔は物を割るためにも、圧迫固定して離れないようにするためにも使われるそうです。 この詩では、月は時間的、空間的な隔たりの象徴として登場させています。遠い地をあらわす「碧落」、昔を思い出す「偲ぶ」という言葉がこの象徴に繋がっていきます。 月の楔は、主人公が時間的、空間的に囚われていることの象徴であり、「記憶と追慕の石盤」に突き立てられているわけです。 砕けてしまえばその隔たりは永遠のものになってしまう、楔が打ち込まれ固定してくれるのを期待しても、終わりない雨に縫われてしまう。 それが後悔や後ろめたさ、無力感の源になっているのかもしれません。 言葉がまわりみちをして、核心に触れずに愛撫するような、美しい夜を薄衣で包んでいるような。 糸、雨、月、楔、と象徴的なものを多用して、主題がぼやけて捉えどころのない印象になるよう意図してつくりました。上に書いたような直接的で説明的な言い方もできることはできるのですが、それでは美しくないな、と。 琴線にふれるものがあったならとても嬉しいです。ありがとうございます。 永輪の再生を待っている このフレーズがとても好きです。 氷輪が再生する、は細い繊月が再び満月になることを表現しました。 透き通っているような言い回しにできたので私もとても気に入っています。 なるほど、迷路のような、というのは私には思いつけませんでした。上に書いたようなどうしようもない無力感がそのようなイメージに繋がっているのでしょうか。
0みみみさん、お返事ありがとうございます。 読みが甘い部分があったようで申し訳ありません。 今思えば、「貫こうとする」の一言にとらわれていたのかもしれません。 改めて、人様の詩を読みコメントすることの難しさを感じました。
0Rさま いえいえ、とんでもないです.....! 作品として形になった以上作者の元を離れて色々な解釈をしたほうが楽しいと思います。 またコメント頂ければ幸いです!
0みみみさん、 そう言って頂けると助かります。他の方の感想や作者さんのコメントを読んで、更に味わうのも楽しいですね。もっと楽しむ為にも、精進致します。 (あと個人的に、「さま」付けは、こそばゆいです(汗))
0Rさん では「さん」でお呼びしますね 改めてよろしくお願いします!
0漢語の響きとイメージが、美しく散りばめられた作品だと思いました。 イメージによりかかりすぎてしまうと、全体の「美しさ」が、感覚や気持ちの感動から、装飾的な方向にずれて行ってしまうかもしれません。 縫う、編む。雨が糸のように細く長く、月光を微かに帯びて光りながら降る。その雨脚を、縦糸として織りあげていく織物に、縫い付けられていく宝石のような「繊月」「石盤」「氷輪」といった漢語。 記憶、追憶、これも漢語ですが、観念的かつ抽象的で、意外に漠然と広がってしまう言葉ですし(読者によって、捉え方がまちまちなので、あいまいにぼけてしまい、インパクトを与えられない)追憶、などの甘さに頼ってしまうと、全体が緩さの方に流れてしまう気がします。 イメージでいうなら、「繊月」「石盤」「氷輪」などが、硬質の輝きを帯びて読者に迫って来るのに対し、記憶、追憶、などは、色をぼんやりと染め付けたような、そんな広がりを持っている、と思います。 〈月の楔〉月のくさび、と読むのでしょうけれども・・・私は契約の文字を連想し、約束、宿命に縛られる・・・そんなイメージも抱きました。縫う、という言葉が何度も用いられていますが・・・割れかけている、こわれかけている「私」を縫い留めよう、としてくれている雨、ということ、なのか・・・。繰り返すことによって、むしろ意味や感覚が散漫になってしまうこともあるので、動詞のリフレインは、その効果も含めてよく見直してみると良いと思いました。
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