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詩と批評
タコ十郎の誤算 タコ十郎がSF小説を書いている 「バァ~カ」 ではじまって 「バァ~カ」で卒わる 反現実シナリオ かれはそれで大儲けをし 札束を担いで できるだけ遠くへ逃れたと思ったが 足の裏は冷たく 泥の上に立っている 貸し借り対照表の一覧に無い 例の、あの、 すべてがまるっこい、 あ、愛というぬくもりを リクエストし忘れたのか それとも最初からプログラムされて いなかったのか かれは サンダルウッドの樹にもたれて 数万年まえの貝のように だまっている 迷わなければ見つからない 狭い路地があって そこを抜けたところに 草ぼーぼーの小さな駅がある その駅を出た一両の最終電車が ガタゴトと 終着駅の構内にすべりこむとき そこがかれのねぐらになる 灯りがすべて消された プラットホームと 月の光だけの 菜の花の咲く田舎(でんしゃ)道 レスのつく多くの人がそこに寝転んで 鳥肌の夢を見ている ───── とまあ、 以下の雑感を書くためにこんな拙い詩を手癖せで 描いてみたのですが、冒頭から ”タコ十郎がSF小説を書いている” という一行を読んで意味がわかる人はいないでしょう。 タコ八郎という実在のタレントは一世を風靡したお笑い 芸人でした。「タコ十郎」は彼のイメージを借りてます。 ボクシングの後遺症と飲酒でかなり意識が混濁していた 芸人さんですからSF小説などという、家にこもって ぼそぼそ妄想を書きつける内職仕事などできる人ではなかった。 だからこの詩もどきは、ナンセンスな妄語にすぎない。 とはいえ、思いつくままに書いたわけではない。 わたしは政治経済社会芸能に憤慨し その怒りのようなものをテコに詩もどきや随筆もどき を書くことが多いのですが この詩も最近の出来事への批判から生じています。 つい先日(11月16日)共同通信やNHKが以下のよう なニュースを大きく報じました。 京大の西浦という教授が、 「もしもコロナワクチンがなければ2021年2月~11月の あいだに死者は36万人に達していただろう」という推 論を発表したというのです。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF169CN0W3A111C2000000/ わたしはその「推論」なるものをさっと読んでみて腰を 抜かすほど驚きました。 西浦京大チーム曰く。これは「反現実シナリオ」という 手法を用いて推論したものである。云々。 「反現実シナリオ」とは「仮に●●がなかったら●●だ った」という仮定の推論なのですが、この手法だと次の ような主張もすることができる。 「もしも岸田政権が誕生しなかったら日本は経済破綻し ていた」 そんなバカなことは常識では考えられない。岸田のせいで 日本は破綻寸前なのが現実なわけですから。 つまり「反現実シナリオ」というこの推論モデルの場合、 入力と予測の関係性がとても単純で 入力が即、予測の原因となっている。そしてこの 入力のところがブラックボックスになっていて、 入力と、その結果予測される仮想事実との関係性 が現実には因果関係がなかったとしても、モデルの入力 を予測の原因とみなすことができる。と、ものの本に は書いてあります。 入力の恣意的な変数次第でどうにでも結果を左右できる。 そういう手法で生まれたトンデモ学説をこの西浦と いう人物は一部の良心的な学者たちから批判されました。 日本ではほとんど報道されていませんが今、世界ではコ ロナ・ワクチンの後遺症が問題化している。 そのさなかにSF小説のような「推論」を京大という アカデミックな権威とNHKや朝日など影響力のあるメ ディアがさも科学的な学説であるかのように報道した。 京大と西浦教授に対する批判が出てくるのは当然でした。 それに対してこの西浦という人物がTwitterで発した返事と いうのが「バァ〜カ」のひとことだった。 この発言からしても、どうもあまりパッとしない人じゃ ないかと思って写真を見ると 頭が真ん中から左右に禿げかかっていてその中央にタ コ八郎のトレードマーク、例のタコの足みたいな毛が垂 れていたわけです。 これは面白いと思いました。 そこでまず詩の最初の一行に タコ十郎がSF小説を書いている と書いたわけです。 とはいえわたしはこの言葉の背景にある具体的な事象を 読者に知ってもらおうなどとは思っていないのです。 では、まったく意味の疎通がないと知って書いているか というとそうでもなくて 「タコ八郎」+「SF小説」という語彙と語彙の関係性、 それががふくんでいる間主観性の和によって生じる”なにか”、 それは「これだ」と指示することはできないけれどもその ”なにか”が、ある"感じ"を読者に与えるのではないかと思 ったのです。 その”ある感じ”が読者それぞれの固有の物語がはじまるための 撃鉄であってくれればそれでいいのです。 ただ、この詩もそうですが、 西浦という金儲けと地位だけに頭を使うふざけた男を糾弾 するつもりが、いつのまに かわたしと等身大の業をもつ男への哀悼のようなものに すり変わってしまっている。 『元祖詩畜いかいか』もそうですし『アサヒ記者』もそ うです。だれか他者を批判するつもりがいつのまにか愚 かな自分がそこにいる。 相手とじぶんとの境界がぼやけ、立つ場所もいつのまにか 同じになり、怒りが哀しみになり不満が憐憫にかわる。 その愚かな自分を哀悼すると同時に慈しんでもいる。そ ういう詩になってしまう。 その原因は、あえて無理に原因を探るとすればこの日本 語という言葉の特殊性にある とわたしはみている。 あることばが、あるときは「好き」であったり、あると きは「嫌い」であったり、またそのどちらでもなく、ど ちらでもある、といった、曖昧性な境界性を持ち、 ゴールがたえず変わるこの日本語という言葉。 中国語と英語のハイブリッドな”倭語ひらがな”。解凍された 氷水したたる”いにしえごころ”によってつくられる"空白な 日本のわたし"。 それが詩を通して未知のさまざまな物語を紡いでいくとき、 どうもわたしはバラバラになって無意識の総体へ転げおち ていくような気がするのです。 むかしから日本人は漢字と英語という外来の言語システムの 洪水に抗ってそれを無化、いや有益化してきた。 先人の倭語に対する創造性は、日本語に曖昧性、幻想性、 物語性,、多層性を与えた。 おそらく詩人にとっては、これこそが日本人に生ま れてよかったなあとおもわせるごった煮の言語なのです。 詩人はこのとんでもないものに感謝すべきなのではない でしょうか。 この言語によってわたしたちは間主観性の無意識の領野 におりていくことができる。 それゆえにわたしたちの過去も現在も未来も、あいまい な、それゆえに同じ空白といってもいい「場所」に共存 することができる。 そのような「場所」における詩の在り方。これは外国の 詩人にとっては垂涎ものの言語なのです。 ところが今の日本人は「日本語は論理的でない」という だけでその芸術的な側面を使いこなせてはいない。 (ほんとうは論理的でない言語などないのですがね) 歩きながら気楽に詩の話をしていたとき 「詩と批評は一体です」とわたしが畏敬していたAくん がいった。 ふだん無口で人あたりもよく温和なかれがとつぜん、 真顔になっていったものですから今でも覚えている。 詩と批評は分けて考えられるものじゃないといったのか 詩には批評が絶対必要だといったのか。どういう意味なの かいまだによくわからないが ただ、 批評をなくした今の詩が片翼だけでとんでいるよう な気がするのは間違いないようにおもえるのです。 以下は余談ですが、 西欧の文学理論の開陳による詩の批評というのは、わたし にいわせると それ自体が男根的かつ権威的で、それを振り回すということは 女湯に性自認の男がおちんちんを丸出しにしながら侵入す る狼藉とほぼ変わらない、と思っています。 ありえないほどの重圧の下で独特の変化をとげた このおかしなとんでもない日本語という独自性を研究もし ないで、 まったく違う欧米の言語をもとにした文学理論をそのまま 日本語の詩にあてはめて「これが批評だ、どうだ、みたか」 と悦に入っている人たちをみるたびにわたしはなにいって んだこいつと眉をひそめてきました。 それがまたその方々を怒らせて「罵倒家」「ストーカー」 とわたしに悪態をつかせる原因となったようですが、 彼女彼らは本人がしばしばとりあげるラカンやレヴィ=スト ロースやらソシュールやらといったおフランスの構造主義 文芸理論家やらがなんといってるかちっとも理解していない。 西欧言語なんかから抽出された言語理論をそのまま日本語 の詩に適応できるわけがないのです。 このとんでもなくハイブリッドでプリコラージュされ マッシュアップされた日本語というそれ自体が芸術である とほうもないシステム。 とほうもなく出鱈目でとほうもなくいい加減でとほうもなく 底知れない言語の沼、闇、空域。 そのことを西欧の文芸批評家たちが驚愕してるのに、わか ろうともしない。 まずは西欧の文芸理論や主義は暗記し終えたらさっぱり忘れて、 一から日本語をもう一度勉強しなおすこと。 それをもとに、すなおに”日本語”の詩に向かうこと。それで やっと、一から日本語の詩が書けるし日本語の詩の批評ができる かもしれませんね。
詩と批評 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 491.1
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-11-23
コメント日時 2023-11-23
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文