ユスリカの群れに飛び込むひとりになると
一匹のユスリカが、目のなかに入り込んで、ひとつの異物になり
眠るように歩く
粉々になった 見たことのある風景が
見たことのない風景を生み出すので
もっと もっと と
歩くわたしを
好きだと言ったひとも いつしか
どこかで誰かを好きになり、別の風景を生成している
それは
骨の山になったことも忘れて
誰かを殴るということ
そしてまた思い出していくということ
きっと
来たところは あいまいな領域になってしまうのだと思う
ひろがれば ひろがるほど
そこかしこにしずみこんでいく 気配 わたしは、わたしの
手足で
やさしいひとの信条をとおりぬける
曲がっても
曲がっても白い塀がつづき
白い塀をいろどるのは
しかし
うつくしいばかりの草花で
それを摘み
ものにできたのは、ただ幸運だっただけ
それだけだったのだと、そう
思おうと決意した
わたしは、わたしが
白い塀の内を歩いているのか、外を歩いているのか
とうに見うしない
もう、なにを殴ろうとしているのかもわからない
( もときた道を 引き返すように 逃げていく光 狂った部分から 草木にとらえられ ほとんど 抱擁といってもいいような罰を あなたは 抱擁して たったひとり 病院のベッドで 予告もなく 風景はあなたを採用した けれど わたしを採用しなかった 神さまはあなたに触れた けれど わたしには触れなかった )
もうずっと
吐き気をもよおすほどの感情として
とどまりながら
いれかわりながら
あるいている
どこまでも満ちていく住宅街を、どこまでも照りかえす畦道を、どこまでも転げおちる空を、どこまでも流出していく鳥たちの影を、どこまでも、どこまでも
どこまでも続くかのようなこの世を
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 1691.7
お気に入り数: 2
投票数 : 6
ポイント数 : 0
作成日時 2023-09-14
コメント日時 2023-09-19
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1691.7
2024/11/21 23時39分07秒現在
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>好きだと言ったひとも いつしか どこかで誰かを好きになり、別の風景を生成している なんだか泣きたくなりました。タイトルが「めろめろ」なのがまた。どうしようもなく気になってしまう作品です。 あ!まだ読めていませんが、いんへるの買いました。
0山本さま! ひさしぶりに頑張って書いたので、気になると言っていただけたこと嬉しく思います。 いんへるの購入したのですね、一方的におすすめしちゃったのでなんだか申し訳なくて、できることならプレゼントしたかったです!笑 素敵な作品が多いので、ぜひお時間があるときにでも読んでみてください。
0ユスリカの視点であろうかと思いました。あまりにこの世の視点は人間中心すぎると言う事ではないのかもしれません。革新を願うが、ありきたりな風景は変わり続ける。回想のシーンを保持したまま未来に向かって進んでいるような、4次元の世界のような、時間軸が反映して居るのが美しいのかもしれません。白い塀は世界内存在の嘔吐を象徴して居るのかもしれませんが。
0はじめまして。 一読して、だいぶ詩に親しんでいる方なような印象を受けました。 全体として繊細な感性に溢れていますね。 「粉々になった 見たことのある風景が 見たことのない風景を生み出すので」 「骨の山になったことも忘れて 誰かを殴るということ」 「手足で やさしいひとの信条をとおりぬける」 「どこまでも転げおちる空を、どこまでも流出していく鳥たちの影を」 これらの表現が、苦しい胸の内を巧みに表していると感じました。 また括弧の中の表現も、やり場のない悔しさや口惜しさ、あるいは哀しみといった感情を上手く表しています。 秀逸な作品だと思います。
0もう、紙の媒体は素直に土下座するべきだ。 こんなんがネットにあって、スルーしてたらアカンやろ。 語りがボクのようなアッパー系じゃなく、ただひたすらダウナー系のトーンだが、見えざる匂いが美しい。 ことばのタッチが薫り立つ。馥郁たるコイーバを想わせる残り香だ。 こーゆー面影に、ボクの視線は震える。 )))
0エイクピアさん ユスリカの視点とは考えていませんでした! それも面白いかもしれません。 エイクピアさんの言葉をきちんと読み込めていないのですが、 「回想のシーンを保持したまま未来に向かって進んでいるような、4次元の世界のような、時間軸が反映して居るのが美しいのかもしれません。」 これに近いイメージを頭に浮かべながら、ぼんやりと詩を作ることはあります。
0m.tasakiさん ありがとうございます。 ネガティブな感情と、そんな中にあるからこそ美しく見えてしまうこの世の風景を、いびつな感じで書いて見ました。 読んでくださったこと感謝いたします。
0atsuchan69さん あなたにそう言っていただけて私はとてもうれしい そしてコイーバなるものを今日初めて知りました。金持ちが好きそう。
0ひとりぼっちに、なれる人だけが持つ心地良さが作品にありますよね。読むと心地よいんで、サイトを開くたびに、めろめろをみつけてはまた読んでます。ひとりぼっちがある日、つらくなってしまっても、めろめろをまた書いてくだされば。必ず幸せになってください。
1あたらちいちへいさん ありがとう 普通に生きている人(普通に生きるって何!?)だったら避けるほう避けるほうへ行って、生きてきたように思います。だからそこでしか生きられないし、そこが心地よくもあったりして。 あなたもわたしも幸せになりましょうね
0−さん 「いつしかわたしが、どこかで誰かを好きになり、別の風景を生成していたとしても、 」 とても素敵ですね 誰かの言葉にかきたてられて、誰かが言葉をつなげる、それをずっと繰り返していく、その連続と果てしなさについてぼんやりと考えました。 プレゼントをありがとう!
1こんばんは。ほんとうに印象批評で。 その内容もさることながら、音律もよろしく・・・ 何かとおくでそれはかの宮澤賢治の春と修羅のイントロと似通っている いいえ、なにか音律と語尾の処理がダブリを起こしているのかなと思っています。 しかしそう記述することで、この作品を開かれたものにするのか はたまた、狭い見方を促すことになるのか ですから、後述したことだったのならば、その意見はやすやす流しちゃって欲しいのですね。 その、信仰に対するある種の匂いが抜けているだけ、それは多様性ある宮沢賢治作品群 から、寧ろ、一作をもって突き抜けて・・・だから頭一つ抜けているような。 言い過ぎかも知れないですけれど、現代に生きる私たちはそれが可能なのですね。 うーん、ちょっと僕のミスリードが働きすぎているとして、ここでコメントを切り上げます。 ありがとうございました。
0田中さん! ありがとうございます。 音については、わりと気を使っているので、好意的に受け取ってもらえてとてもうれしいです。 詩でよく使われていそうな単語、きつい言い方をすれば手垢にまみれた単語でも、音に気を遣うことで、その単語にあたらしい魅力を与えることができるのでは?と思い、日々詩を作っています。 あとは、信条のかたまりにならないよう気をつけています。自分の信条を通して他人を規定してしまわないようにしたくて。失敗ばかりですが、それでもなんとか。
2導入部のユスリカも印象的だったのですが、矢張り殴ると言う行為。思い出すと言う行為。骨の山と言う表現が印象的です。死後の事なのか?そんな疑いすら発生します。白い塀、うつくしいばかりの草の花。内外の区別がなくなり殴る対象を失う。吐き気を催すほどの感情とは?謎解き的な観点からみても興味深い詩なのかもしれません。
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