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求愛
友よ おまえはワタシに言葉で明確な答えを求めようとする 言葉に頼らない感性のやり取りを求めながら それでは飽き足らず 顔を歪ませ痛みに訴える 世の無常に嘆きながら、尚も其処から抜け出そうともせず 痛む左足を庇い体を強張らせて眠る友よ かたくなにワタシを拒絶する友よ おまえは見ず知らずの娘にでも憐れみを求める 愛してもくれない阿婆擦れを囲い心血を注ぐ おまえを笑うものなど五万といるのだ 地道な人間を見下し、皮肉って愚弄する それでもおまえを甲斐甲斐しくし、邪見しないのは ただ「おまえと同じ人間にはなりたくはない」からだ あした、おまえが死ぬと言ったらワタシが泣くと思うか おまえがワタシに託したいと言ったあの役立たずの 女をワタシが引き取って看てやると思うか なあ、 それでもおまえが誰かの心に遺れると思うか それでワタシの心に遺れると思うか? あの女がおまえの後を追って死んでくれると 本気で思うか? 友よ 凡てを遮断した世界にいる友よ 今潜り込んでる炬燵の温もりがいつまでも続くと思うな 未来の見えない不安から逃れられると思うな ふすぼって行き ただ打ちひしがれながら誰の手も差し伸べられなくなるのだ 友よ、 酒を酌み交わし友愛を分かち合った友よ 哀れで粗末な友よ 一円の価値も見いだせないまま 転落してゆく友よ 死臭を漂わせながら、もう光を失った瞳で 虚ろ気に海面を見つめる友よ 白々しく安っぽいセンチメンタルを発し女達に憐れみを求める友よ それを見下したように嘲笑う年若い男達の冷たい目線に晒される 不能の友よ 生命の野に投げ出された 無垢で穢れた友よ おまえはワタシに言葉で明確な答えを求めようとする 言葉に頼らない感性のやり取りを求めながら それでは飽き足らず 愛という楔を女に求めた 共に破滅を喜び合う愛を求めた お前に寄生するあの女にそれを望んだ あの役立たずの女はお前を追って死んではくれないだろうが そのうち野垂れ死んでしまうだろう おまえが後生大事に書き残した詠も楽器も捨て置かれ いずれは灰になってしまうだろう 友よ、 今まさに生きながら忘れ去られてしまおうとする 友よ 穢れ誇り高き 友愛を交わした 友よ。
求愛 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 893.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-24
コメント日時 2017-12-28
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
投稿有難う御座います。 李沙英さんの投稿作品を読んで思うのは、全ての作品に通じることとして「実感がある言葉」で書かれている、ということな風に私は思うのです。それは私が目指している目標でもありとても羨ましく思います。一般的な例として話をして少し失礼かもしれませんが、リーディング系の方々の作品の多くにその「実感がある言葉」を感じます。もしかしたら「音として読まれる」ことを前提とされているからなのかもしれません。本作では、「友よ、」と呼びかけが使われている。往々にして「友よ、」なる呼びかけはベタな言葉として伝わりやすい。しかし、本作の「友よ、」は私には、ホイットマンやヘミングウェイが使う言葉のような神々しい響きを感じました。それはなぜか。「ワタシ」としていることが技巧的に活きているからではないかと。「私」でもなく「あたし」でもなく「ワタシ」。これが浮いてしますような「友よ、」という呼びかける言葉を、ろくでもない日常から発する実感としての祈りのような気持ちを「友よ、」に込めることに成功していると思うのです。本作は、もしかしたら、現代詩トレンド好きな読者からのウケはよくないかもしれませんが、私はとても気に入りました。素晴らしい。
0三浦∂admin∂⌘果実様 コメント下さりありがとうございます。 リアリティを感じていただけましたでしょうか 「詩文 求愛」の根底には友愛の箍から出られない苦しさ 友を欲っするがあまりの求愛がこの詩に込められています 友を繰り返しながらの意はそこにあります そしておっしゃられます通り、こちらもリーディング仕様にしたものです 元々それに沿うように意識した訳ではありませんでしたが どこぞで出したいがためにいつしかリーディング仕様になったような気がしますが 詩作の過程ではやはり何度も声に出して読み返し しっくりいく音をひらいだす作業のようなことはしています 自身、文学の心得も作法も知らぬ私は現代詩の何たるかどころか、人の言うところの良し悪しすらもよくわかりません ただ読んで響けば打たれる そして一番深い所にまで染み渡る それが真髄であるという自論にあります。 お気に召して下さいまして大変光栄です ありがとうございました。(礼)
0あんまりレスしたくない作品です(僕の場合は、多分僕が友で、わたしは父親な感じがします。そういう感じがします。)なんというか、本作を俯瞰して語る事が出来ないし、そういう語りが本作に必要かと言われるとそうではないと思います。執拗に友を呼ぶ声が悲しいですが、友の方から、本作の中で語り手に何か呼びかけられる事は一切ない。切ないですね。友は端的にドクズだと思いますが、それでもやめられないし、止まらないみたいな感じが生々しいですね。語り手の友達だったら、間違いなくもう付き合うのやめとけって言いそうになる。そういう意味でキャラクターが立っていて、作品の中に明確な人の気配を感じます。
0百均@B-REVIEW ON/様 コメントいただきましてありがとうございます 最初コメントの画面を開けまして「あまりレスしたくない」とのご意見が飛び込んできて すぐさま画面に向かい「すいません」と言ってしまいました、 すいませんです。 この作品、朗読するときかなり感情の起伏を殺し淡々と詠み上げ「なあ」の箇所で視線を一端紙から人の方に向けます 意図的に 誰しもの中にある「クズ(カス、あるいわ不能)」に刺さるようにとの気持ちを込めて 逃げようとしても執拗に追い詰めるように友を呼び続けます。そういう気持ちを込めてます。 百均@B-REVIEW ON/様、どうか「もう付き合うのはやめとけ」と言ってくださいね 語り手(ワタシ)にも、私にも。
0全体に二度、ピークがある、という印象があり・・・いわば、バリエーションを重ねていく形になるのですけれども、文字として読むときには、少し長い(くどい)印象を受けたのですが、レスを拝読、リーディング向きの作品であると伺い、納得しました。 リーディングの場合、一つのピークが聴衆に余韻を残している段階で、もうひとつのピークが来る。 重ね塗りのような相乗効果が出るものと思われます。 文字の場合、目で見た印象と、脳内で再生された音声とが、それぞれの読者のペースで「余韻」を作る。 同じような内容を、文字で(視覚情報として)重ねられてしまうと、くどさ、という印象になってしまう場合がある。 リフレインやバリエーションの難しさです。 リフレインの重ね方も、同内容を重ねていくことで音声の場合は強まっていくケースが多いと思われますが、文字の場合は目が慣れて、かえって意味が薄くなっていくこともある。 この作品の場合には、言葉の一つ一つの意味が強く(絵画でいえば、色彩がはっきりしていて、モチーフがくっきりしている)動詞で切っていく強さも加わるので(絵画でいえば、マチエールの強さ・・・筆で重ねていくより、ナイフで絵の具を厚く盛り上げていくような、また、輪郭をくっきりと区切って描き出すような)最初の一山でコンパクトにまとめる方が(文字で読む場合には)心に残るかもしれないと思いました。
0まりも様 コメントいただきましてありがとうございます 事の重要性を説くのにあたり、言葉を繰り返しましたが リーディングと文字とでは違ったまた様相を見せますね そう考えてみますと声ではなく黙読してみますと、どうしてもくどさは否めません なるほど一つにまとめるという手法ですね 勉強になりました、ありがとうございます。
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