悲しみを語るとき、私は何処かで酔っている
酔っ払っているときは、何処かに悲しみを孕んでいる?
知るべき人にしか知られないことは、
なんとも悲しいことで、そして少し甘美であって、
名辞なんて無意味だと、誰かの言葉を借りに行く
きっと千鳥足のままで行く
悲しみを語るとき、私は何処かで酔っている
酔っ払っているときは、感情に名前を付けもしない
あなたは知らない、私の悲しみを、
私だって知らない、知ることもない
知るべき人なんていない?
誰にも名付けられもせず、消えて行くだけというなら
それは悲しいこと、かもしれないな
全てが悲しくて、そうとも言えない
やっぱり知らない、ただ過ぎて忘れる
二日酔いもせずに、飯を食い始める、すっかり覚めている
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 979.6
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ポイント数 : 3
作成日時 2023-06-30
コメント日時 2023-07-04
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
閲覧指数:979.6
2024/11/21 23時17分51秒現在
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こんにちは。 所謂泣き上戸の方の詩でしょうか。 冒頭の 「悲しみを語るとき、私は何処かで酔っている」 というところを読んだとき、この酔っているとは自分に酔っているという意味なのかなと、一瞬だけ思いました。 後半の、 「誰にも名付けられもせず、消えて行くだけというなら それは悲しいこと、かもしれないな」 というところは、まさしくその通り!、と思いましたが、でもそれは大多数の人々が辿る道ですので、それは、 「全てが悲しくて、そうとも言えない」 ということでもあるのでしょう。 タイトルの「味気ないかな」とは、そんな「ごく普通」の人生を表しているのかな、とも思いました。
0抽象語を対象とするとき、むずかしくなりますね。
0自分に酔っている、と思われたならそうなんでしょうし、泣き上戸だと感じられたなら、そうでもあるのでしょう。 その二つは矛盾するわけでもなさそうですしね。 何だか毎度、人様から頂いたコメントで、「この詩にはこんな意味があったのか」と、何故だか自分で驚いてます。 詩に込めた意図が無いわけではないのですが、私自身の詩作は、割とテキトーなものなので… コメントありがとうございました。
0悲しいとされる感情を「悲しい」の言葉だけで片付けるのは、何とも悲しいものがありますからね… やっぱり難しいものですね
0個人的に好きです
0ありがとうございます。 シンプルに嬉しいですね
0まったくです。 悲しみは知りません。 悲しいのはやはり感じておりますが、 誰も分からない、僕にもわからないのだから、あなたにもわからない。 だから、飯を食う、腹が減ってはどうにもこうにも 二日酔いもせず、飯を食い始める、すっかり目覚めてる 同感てす。
0知っている、と言い切れることの方が少ないのかもしれませんね。こと感情に関してなんかは特に。 まあ、美味く飯を食えればそれで良いのかもなと思っています。 感想いただけて嬉しかったです。 ありがとうございました。
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