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市営のシエスタ
後ろは山 鬱蒼とした厚い葉 蒸散した水分が見えずとも充満している 公民館 置き残された陽炎は ゆらゆら ゆらめき 煎餅なサンダルは妙に温いが 入口のタイルはひえびえとしている 棒状の蛍光灯は気絶したままで 官制の惰眠には年代物の図書も動かない 職員は机に突っ伏して埃が積もる 午後の日差しは熱気強く 胸にべとべとと絡みついてくる 水蒸気 濁っている くぐもっている 気体 滞っている 重なっている 温度はゆるやかに上がっていき 比例して昼寝も続いていく 何も起きていない いつまでも起きていない 後ろは山 新陳代謝の蒸散は意図せぬうちに 葉々瀕死でもなお水分を放出している 蝉も鳴かない
市営のシエスタ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1167.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 1
作成日時 2017-12-20
コメント日時 2018-01-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 1 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 1 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
公民館とありますが、個人的には図書館を思い出しました。 埃の匂いや湿度を感じる点が心地よいです。 時間を感じさせない空気…現在が、果たして年代として10年前なのか100年前なのか、それとも100年後の午後の光景なのか… すべてが止まっているような様子を、ただ後ろの山が見ている、そんな光景が広がりました、好きな詩です。
0観察している感じが伝わってきます。大熊さんのレスと大分被ってしまうのですが、そう思いました。個人的には蝉も鳴かないというのが面白いと思いました。 後は単純に、日本にシエスタないと思うし、あるとしたら、誰も来ない田舎の公民館みたいな所だよなと思いました。多分エアコンもついてないんだろうなとか。日々の忙しさの中にある、空白の時間というよりは取り残された空間、メチャクチャ蒸し暑いんだろうなという気もするけど、多分同じくらい寒いのだと思います。その寒さが伝わってくる感じが妙にぞわぞわする。
0大熊あれいさん モデルは近所の学習センター(元公民館)です。 https://www.google.co.jp/maps/@37.7496838,140.4847146,3a,75y,91.41h,90.06t/data=!3m6!1e1!3m4!1sxr7JvbNY_KHVJ6qwvJskHw!2e0!7i13312!8i6656 時間を感じさせない空気、は意識しました。 この頃の私の関心として空間を描写したいというのがありまして。空間内のオブジェクトの位置関係だけを表して、その空間内で流れている時間は排除したい。個人的にはミニマルアートを作っているような感覚でした。ただそのものの存在のみを描写したい。
0hyakkinnさん シエスタはこれは単純に韻踏みたかったからですね。 モデルの公民館、実際にエアコン無いですわ。時代に取り残されたような施設です。地域の子供も年々少なくなっていますし。グラウンドや体育館ではスポーツ少年団が練習に使ったり、公民館の中でも地域のクラブ活動的なものが催されたりしていますが、それもあとどれだけ続けられるか。ほんと、少子高齢化は何もいいことが無い。インド行って感じたのは日本のすばらしさですが、そのすばらしさを潰すに匹敵する影響力があるのが少子高齢化と劣悪な労働環境でしょう。逆に言えばその二点だけでも改善できればまたトップレベルの国に返り咲くことができる。 閑話休題。エアコンの無い施設です。ちっさい図書室があります。背は焼けて、夏にそこにいると汗がじわっとにじむ。その部屋にいると時間さえも熱で垂れているように感じる。冬は実際その正反対でしょう。 福島盆地の気候が私に与えている影響は多分にあると思います。
0頭韻によって引き出された響きや、体言止めで作るリズム、動詞を畳みかけていくリズムなど、リーディングを意識した作品でもあるように感じました。 濃度を増していくような水蒸気がまとわりついてくる感じ。何かのメタファーなのかとも思うのですが、それほど強い寓意や批評性は感じられない。そのままの体感を書いただけ、と言うスタイル。 でも、何かが起きそう、どんどん不快感が立ち込めて来る、充満してきている、でも、誰も反応しない、何かが起きそうなのに、何も起きない(今のところ)という切迫感を持った不穏さ、後ろに山が迫っている、という圧迫感のようなもの。 なにかが迫ってきている、と言う予感、のようなもの。 石垣りんの「雪崩のとき」に通じるものを感じました。 「挨拶」の最後、〈やすらかに 美しく 油断していた〉のような、バシッと決める一言が、最後にあるとかっこいいなあ、と思ったりもします。
0Twitterと連動したら詩人のそれとはかけ離れたHNになってしまった祝儀敷です。 なんかウケるわ。 まりもさん >バシッと決める一言が、最後にあるとかっこいいなあ、と思ったりもします。 ブツっと切りたい性分であるんですよね。「kissはチョコの味」(http://breview.main.jp/keijiban/?id=136)なんかもその類のもので。不快感を読後にも残したいのだろう、ピリオドが打たれていないから詩が読み終わってからも漏れ出て読者に垂れてくる感じ。 特にこの詩に関しては「不快感」ってのがキーワードな気がします。福島の夏も不快指数MAXですし。不安やら圧迫感やら色々をまとめての不快感です。 オブジェクトだけを示してそこに纏わる意味意義は明示しない、空間の様だけを描写する、ってのがこれを書いていたころの流行りでした。そのオブジェクトの存在だけをもって感情を揺さぶれるか。揺さぶる方向は負のほうでも構わない。 「雪崩のとき」読んでみました。けっこう危うげな語句を使用していながらもそれに傾倒せず、なにか薄ら怖さを感じさせる中々スリリングな詩だと思いました。
0「ゆらゆら ゆらめき」のひらがなの形が陽炎っぽいなと思いました。 不安になるような言葉がいくつもあって、素直に平和(?)な昼寝どきと受け取ってよいのかと不安になりました。 言葉が前後して、あとから出てくる言葉がもたらす不安感が、前の方に出てきた言葉にも響いて、あるいは人が死んでしまったのではないかと思うほどでした。 素直に受け取ると、気体のような、滲み出るような、しーーーーんという感じの動きに合わせてシーンが展開して、温度とか、べとべと絡みつくような感覚的なことも書かれていて、 本の上の方から埃が降ってくる感じとか、最初の視点に戻っていく感じとか、すごい、いいな、とおもいました。 「棒状の蛍光灯は気絶したままで」これはすごいと思いました。どういう状態か決められない。
0グーグルグル夫さん どうもありがとうございます。この詩においては視覚で察知できるような動きは極力排除したいと思っていました。なので「気体のような、滲み出るような、しーーーーんという感じの動き」という感想は作者としてはしてやったりです。 過去作で似たものだと「kissはチョコの味」(http://breview.main.jp/keijiban/?id=136)になるかなと思います。あちらは堂々と動きますが、でも不安感とかは共通するだろうと。
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