ある老人と鳩時計のある部屋で話をしていた
老人は盲目だったがその分知見に長けている
私は言う
幹は細く少しの風でも揺らいでしまう
咲いた花の花びらもその風で飛び散ってしまう
幹がもっとしっかりと根を張ってくれたら
老人は答えた
水と土を元にして
幹を太くすることが出来る
湧き水は清々しく
土は養分を蓄えている
その栄養を受け取って
伸びていく
しっかりと
養分を吸い上げて
太い幹になることが出来ると
老人は静かな佇まいでゆっくりと話してくれた
老人も鳩時計も時と共に磨かれていたのだろう
木々もその年月と共に根を張って太い幹になっていくのだ
クラシカルな鳩時計が時を告げる
その木も年月をかけて今時を教えてくれる
窓の外で奏でられる葉の揺れる音と
部屋では鳩時計の時を告げる音が響き広がっていく
作品データ
コメント数 : 17
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作成日時 2023-06-04
コメント日時 2023-06-09
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 23時37分48秒現在
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こんにちは。 鳩時計は英語で言うとCuckoo clock 。元々はカッコウ時計なのだそうです。 カッコウは他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に雛を育ててもらいます。孵った雛はその巣の主の卵を全て巣の外に落とし、親鳥から与えられる餌を独占するそうです。 また森の若木は、老木が衰え力尽き倒れて、その空いた空間に枝葉を伸ばしたものが、より強く太く育つそうです。 自然に生きる鳥や木には世話をしてくれる人はいません。皆、己の力で競争に打ち勝たなければ生き延びることはできません。 そのことを念頭に置いてこの詩を読むと、また違った味わいがあるように思います。
1m.tasakiさん、コメントありがとうございます。 知らなかった情報を聞けて、驚いています。カッコウの話、森の若木の話、己の力だけで勝っていかなければならない自然界の生存競争の一端を知ることが出来てとても勉強になりました。 そこまで調べて詩を書いていなかったので、別の読み方や見方を知れたのは私にとって収穫です。
0こんばんは。 ご意見ごもっともですが、ゆっくりと自分の詩について考えてみたところ、鳩時計に関しては日本語で詩を書いたので、英語圏での受け止められ方までは念頭に入れておりませんでした。また、自然界は人には伺い知れない奥深さがあるかと思います。朽ちた木が倒れた後に若木が枝葉を伸ばすのも分かりますが、人と自然が長い間育んできたものを次の世代に受け継いでいくことも大切な一つの営みかなと思います。自然の世界も競争に勝ったものが全てを奪い尽くす、それだけではないと存じます。人は自然界では打ち勝っているかもしれません。自然の中に生まれてその力を振りかざしていますがこのままいったら自らの首を絞めることになるのではないかと危惧しております。
1こんにちは。 もう一度自分のコメントを見直してみたのですが、詩の内容について殆んど触れていませんでした。 どうもすみません。 再度読み直してみたところ、「時」あるいは「年月」が、この詩のキーワードとなっているように感じました。 鳩時計、知見に長けている老人、木の成長、湧き水や土の養分。これらの言葉から観てこの詩での「時」は、川のように流れゆくものというよりも、地層のように積み重なってゆくものと捉えられているような、そんな印象を受けました。 そして最終連の「窓の外で奏でられる葉の揺れる音」とは、厚く積層した時の上で今を生きている、我々を含めた全ての命を表しているように感じました。 そんなふうに読んでみると、この詩はとても美しいですね。 コメントへ再度ご返信いただいて、そのことに気づくことができました。 ありがとうございました。 尚、そのご返信にありました、「人は自然界では打ち勝っているかもしれません。自然の中に生まれてその力を振りかざしていますがこのままいったら自らの首を絞めることになるのではないかと危惧しております。」ということにつきましては、私も全く同感です。
1m.tasakiさん こんにちは。 詩を読み込んで下さり、ありがとうございました。とても嬉しいです。 また、大変勉強になりました。
0盲目と言うと平家枇杷の琵琶法師を思い出しますが、そう言った時代がかったものではなくて、単に盲目の老人と言う事なのでしょう。地水火と言う様な発想なのかもしれません。根源にまでさかのぼる。土の養分。部屋の鳩時計も興味深いのですが、老人との問答の背後には無窮の時が存在しているのかもしれません。
1エイクピアさん、コメントありがとうございます。 根源にまでさかのぼる、そうです。時が積み重なり今がある。また、更に積み重なっていけばそれがまた今となっていく。そんなことを思いながら書きました。 詩にしても、生きるということ自体にしても、積み重ねていくことの重要性を感じます。もっと詩が上手くなりたいです。
0この作品はほぼほぼ小説か映画のワンシーンだと感じました。詩と呼べる最低限のポエジーを放ちつつ、ただ静かに時間が流れている。確かにこれは詩なのですが、散文と詩の境界とは?小説と詩の境界とは?というところに心が動きました。 後、アンティークでもクラシックでもなくクラシカルという言葉の表現が好きです^ ^
1もじゃおさん、コメントありがとうございます。 時が静かに流れている感じが、小説か映画のワンシーンみたいなのかもしれませんね。 散文と詩、小説と詩の境界は何処にあるのかは私も勉強不足で的確に答えられませんがそこに詩情があったならそれは詩になるのかなと思います。 クラシカル、リズミカルな言葉ですよね。
1「そこに詩情があったならそれは詩になるのかな」 というのはまさに詩の原点ですね^ ^ 倒置法の部分を普通にして、行分けをやめてしまえばただの雰囲気の良い文章とする事もできると思うのですが、その雰囲気の良さこそ詩情と呼べるものかも知れないのでこの場でこの作品を読めて勉強になりました。 ありがとうございました^ ^
1花びらって、もろいやつもあるけど、ちょっとやそっとじゃちぎれないやつもおるねん。百日紅は長いこと咲いてるしね。カサブランカは花をちぎると塊に見える花がばらばら・ひらひらになって面白いねん。
0再度のコメントありがとうございました。 もっと頑張ります。
0こひもともひこさん、コメントありがとうございます。 花によって花びらが風で散りやすいものと散らないものがあるのは存じております。 ただ、この詩ではものの喩えで花びらが散ると書いたまだのことです。 百日紅やカサブランカの花びらは何故散らないのでしょう? 教えていただけたら幸いです。
0ああほんとだね。カサブランカの花はぐわーって開ききったあとも散らないのか。百日紅の花の終わりは観察したことがなかったけど、今年はちょっと気にしてみよう。なので、散らない理由は知りません。
0そうなんですね。 再度のコメントありがとうございました。
0今見直すと花の名前を間違ってました。花をちぎるとバラバラになるのはサザンカのことです。失礼しました。ツバキと似た花ですが、ツバキは花の形を保ったまま花首から落ちますが、サザンカは花びらが一枚ずつ落ちます。で、散りはじめたサザンカの花をつまんでちぎると、手の中で花びらがいっきにバラバラになるのが面白いです。
0お花のこと、色々と調べて下さりありがとうございました。 たくさんの種類のお花があって綺麗だし、楽しいですね。サザンカの花をちぎるとバラバラと手の中でなるのですね。面白そうです。勉強になります。
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