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Life
わたしはときどき 聖書「ヨブ記」を読みかえして ウンザリ、してしまうことがある ヨブは、悪魔に試されつづける、義人なのだけれども 試されつづけ 試されつづけ 試されつづけ 結局、その神から恩恵を受けたとして なにか この部分だけ、とってつけたような気がするから ウンザリ、してしまうんだよ それにしたって、ジャック・ケルアックのどこまでもつづく 長い、長い、それは只、タイプし続けただけと非難されたこともあるけれど それは精緻な、乾いたアメリカのロードをローリングしてゆく文体 そしてディーンの爆発するエネルギー その、悲惨な結末にあっても (──ディーンは言葉を失う) なんどでも読みかえせる ところで作中、ヒーロー、ディーンはこんなことをいう 「この街はなんだかおかしいよ、ところどころ聖書のような名前ばっかりだしさ」 だったけ? とにかく、このキーボードを叩くのを、やめるつもりはないから 正確な引用は、「オン・ザ・ロード」をあたってくれ まあいいさ、今さいこうに腕がわらっているからさ ともかくYoutubeに「オン・ザ・ロード」のムーヴィの劇場予告が あるけれど、そこで 誰だこいつ? ピストルぶっぱなしてさ 言うんだ──「幻想だ!」って。 一体 何の幻想なのか? いつか目指した場所へはいけないってことなのか? 僕らは、憐れなヨブのまま終わってしまえ、ってことなのだろうか? それとも、ヨブの憐れさだってすべて幻想の内なのだろうか? ともかく とおく へ行ってしまった人の言葉はわからない そもそもわたしのことを語れば、誰にもわたしのいう事は わかってもらえなかった そして反対にわたしは誰のいうこともわかったつもりになっていた でも実際は違った─幻想だ みんな誰の言ってることもわからないし それに自分が言っていることもわかっていない 夢から目が覚めませんように? 夢から目が覚めますように? 一体、どっちを祈ったらいいのだろうか ボブ・ディランに、灯台守の歌があるけれど ボブ・ディランのアレンジより みんな、ジミ・ヘンドリックスのヴァージョンの方が良いって言うんだ そのことも わたしは当然わかっていたけれど 僕が いや、ディランだよ やっぱり っていうと ニール・ヤングが、ジミ・ヘンドリックスに捧げて ボブ・ディランの灯台守の歌をノイジーに弾き ボブ・ディランもしたり顔なのか? もうわけがわからないんだよね で、 はなしは飛んで 田舎に住んでいくなかで、こんな話を出来る友人なんて もういないし、いたけれど、去ってしまった そして8月には、この天国なのか地獄なのか、扉は閉ってしまうらしい 次は、何の扉をノックしようとして、きっとワイアードじゃないんだろうな それはそれで嬉しいような 哀しいような やっと旅を終えて あたらしい旅に出るとして 非ワイアード? もうめちゃくちゃに絡み合った電線なんだろうな 人生は それで仕事の助手席に座って まっすぐ前を見ていると 一台のバイクが、さっそうと、ヒアー・ウィー・ゴーしているというわけ
Life ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1116.7
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-06-03
コメント日時 2023-06-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ありがとうございます。 幽霊ですね。 ただ幽霊なのか全く人間の心を取り戻したような気が致します。 明日には又幽霊に戻っていることを祈ればいいのか?人間のままでいればいいのか。 全く正直に書いたことでありますから。 神は遍在するとして、人生で勝負を決したくもありますが、八月まで、頑張ります。
1ヨブ記ののヨブは皮膚病でもあって、苦難に次ぐ苦難で神を呪って居た様な、そんな印象しかないのは薄っぺらな印象なのかもしれませんが、ヨブ記はもうちょっと知るべきだと自己反省して居ます。ケルアックやディーンなど、ボブディラン、ジミヘン、ワイアード。最後の行はバイクツーリングの出発のようで、終わりが出発のイメージは新鮮だと思いました。
1ヨブ記はおもしろいです。
1人間の精神とは斯くも引用に、過去に裏打ちされなければ存続できないのか。と。 此の町も。何れの町も過去に呪われており、結局は人生は誰かの過去の再体験に過ぎず、すべての経験は経験され尽くしており、オンラインかオフラインか、そのいずれか。 奇抜は鼻に付き、刈り取られる命運のもの。 いっそ、それならばこの固定ディスプレイを、スマートフォンを、あなたの窓――二階でも四階でも、三十階でもいい――から放り投げて、地面にたたき付けて、破壊してしまえれば、心地が良い。 それすらも。誰かの体験をなぞっているだけなのかもしれないのですけれども。 その様な事を、思いました。
1自分語りが、それは幽霊の言葉なのですけれど 私は今まで他の、幽霊の言葉たち、それは本、故人の本であったり、インターネットで 記述された言葉であったり、を、自己の経験として、頭の甕なりに、蓄積して 生きてきたわけです。 それ自体、歴史を考える上で、何も悪いことではなくて、生きてゆく上で 必要なことだったわけですけれども。 今度は、「死者の奢り」ではないですが、幽霊の声の方が生活に 影響を与えることになってしまった。 それでメンタルヘルス系の本、これはフロイト、ユング、それを批判したドゥルーズ=ガタリ 飛んで、他数冊、ソクラテス、ひろゆき、さんは心理学の方ですね、そして中島らもさんを再読、ニーチェへ至った。 勿論、文学極道、ダーザイン氏、なぜ氏が「脳科学」へ行くと言及したのか・・・。 ともかくも、孤立、不安、過労、睡眠不足、これを解消しなければならない これは自己の問題として。 色々な声、というものに向き合うという点に於いても。 孤立、不安を解消するとして、固定ディスプレイ、スマートフォンで 自己承認欲求を満たす、というのはこれは私にとって、悪いことでなく 寧ろ、いいことだと思われる。そう判断しました。 その、ワイアードという言葉を引用しましたけれどこれを放棄しません。できません。 寧ろ、指摘された通り、 >此の町も。何れの町も過去に呪われており、結局は人生は誰かの過去の再体験に過ぎず、すべての経験は経験され尽くしており、オンラインかオフラインか、そのいずれか。 この命題、批判が、提出されることを期待していました。 なかなかむつかしい、非常にデリケートな問題ですけれど。 知人に、スマートフォンをどこかに、あえて置いてきてしまった、という話を 聞きました。その気持ちも凄くよくわかります。 その、考えを、自分で昨日、ペーパー一枚にまとめたのですけれど 非常に、分裂症的であり、しかし現在、様々提出されている、新説問題に関しても そもそも論に立ち返れば 古来、日本、外国を問わず、自己の内的声と外的に聞こえる声(これも自分の声なのですけれど)とあり それと自然、共存して生活していたと。 これがわからないとソクラテス、日本の和歌、というものはわからなかった。 で、ここまで書いて何のことやら、非常に分裂症的、私が、なのですけれど。 今後は、風の声に耳を澄まして 「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」そこへ行こうと考えております。
1『ヨブ記』はしんどい物語ですが、あれは幸不幸であれ「何かを与えられる」ことを考えさせる内容なのだと私は理解しています。他人や物事でさえもまったく自分に関与しなくなる世界。私はヨブより『火の鳥』の山之辺マサトになるほうが嫌です。
1文学的だけどちょっとなにを言ってるかわかんなかった 元ネタ好きなら好きなのかもしれない
1これ、最高だとおもう。ある意味でU2のアナザーストーリーに読めるし、ドラッグなモヤもある。
1題名は変えたほうがいようにおもう。若いエネルギーを感じるが、残念ながら拡散してしまっている。1行空けも、改行もやめて、それこそフル・オートのマウザーのように言葉の弾丸を射出しつづければいいのだ。
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