ふりかえって手をのばしても、夜に
背中を押され、明日にふみだした
目を覚ました僕は
見たことのない朝焼けに胸の奥が
どこかで切れた導火線に火が点った
青く広がる街に
のびやかに白い線を引いてゆく、君を
追っても全然、届かなくて
原因不明の熱だけが僕を
ずっと動かして冷めないんだ
何も色をもてなくても
希望さえ遠くに輝いても
太鼓ばかり叩いて疲れた腕が
それでもあきらめていないなら
飛行船にむけて風船をふくらませる
割れても気体だけでも飛んでゆくように
汚れたスニーカーをどれだけ
磨いてもきれいにならないのは
知っているけど
原因不明の発熱が
僕を導いて冷めない
原子から崩れていく足もとさえ
あきらめる理由にはまだたりないから
平温が高いまま僕は
青く広がる街を
白く塗ってゆく君を、追って
見たことのない色をもって
今日にふみだすよ
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 1183.4
お気に入り数: 0
投票数 : 7
ポイント数 : 0
作成日時 2023-05-27
コメント日時 2023-06-02
#現代詩
#縦書き
#受賞作
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1183.4
2024/11/21 23時38分22秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
こんにちは。 明日への希望や情熱を感じさせる詩ですね。 街に白い線を引いてゆく、白く染めてゆく「君」とは誰のことでしょう。 何の邪念もなく、真っ直ぐな生き方を見せる人のことでしょうか。 そんなこんな人の生き方に、心の導火線に火をつけられて歩きだす。 自分の能力、周りの環境などさまざまな制約があるけれど、それでも情熱は冷めることなく、「君」を追いかけてゆく。 そんな心の躍動を表しているような印象を受けました。 何もせずにシニカルな態度で過ごすより、情熱を持って誰かの背中を追いかける方が、ずっと幸せなのだなと、この詩を読んでそんなふうに思いました。
0m.tasakiさん、ありがとうございます。 やっぱり、夢とか希望をもって生きた方が楽しいんですよ。 そういうのは楽ではないですけど、でも、楽しいから大変さも越えていける。 あえて言うなら、楽しいから行ける場所もあるんじゃないかな。 最近そんな風に思ったりします。
0>飛行船にむけて風船をふくらませる >割れても気体だけでも飛んでゆくように とてもいい発想です。 テーゼ→風船を飛ばしたい アンチテーゼ→風船は割れる シンテーゼ→風船は割れるが気体だけでも飛んでいけるように シンテーゼに到達するには発想が必要で、何かを切り開く力が必要だと思います。 アンチテーゼで終わらないその姿勢に熱いものを感じました。
0類さん、ありがとうございます。 ジンテーゼが何かわからなかったので、ちょっと調べたのですが、今自分がしたいと思っていることでした。 世の中には色々な考えをする人がいて、当然なかには自分と違う考え方をする人もいます。 これまでは、自分と違う考えや価値観の人を、そういう人もいるよねと、距離を取ることで遠ざけようとしていたんですよね。 例えば、お菓子のきのこたけのこ戦争で言えば、きのこの山もたけのこの里もどっちも美味しいお菓子だし、どっちが上とか下とかじゃなくて、きのこの山の民はきのこの山の民で生きていけばいいし、たけのこの里の民はたけのこの里の民で生きていけばいい、無理にわかり合う必要はないよね、というように。 棲み分けてお互いに干渉しない。 それってきれいなことだと思います。 ただ、そこに発展性は生まれるのかな?と思えてきたんですよね。 もしかしたら、きのこの山の民とたけのこの里の民の「衝突」からまったく新しいお菓子が生まれるかもしれない。 自分にとって異質な人とどう関わっていこうかと思っていました。 なので「ジンテーゼ」という概念を教えていただいて、裏付けができたようでありがたいです。 この詩のなかにジンテーゼを感じさせる箇所があるとのことで、素直にうれしく思います。 そして仰っていただいたように、違いを越えていくのに必要なのは、情熱とか熱い思い、そこから生まれる発想なのかもしれませんね。 ありがとうございました。
2感想です。 その主体は、色を持っていないということは、自身の中に透明性を見出している ということだろうと。 私の経験則、そういう方は、難儀であると想像する。 というか最近、じぶんで、自身の主体性、ありかたが薄れていくのを感じて。 それで、今まで興味があったが足の遠のいていた「場所」へ行ってみました。 すっきりしました。 その、作中主体にはこれからどんな物語があるのか期待します。 それと「太鼓」の語の導入がテクニカルであると。 詩の期待度を高める意味で成功していると思います。
0田中恭平さんありがとうございます。 返事が遅れてしまいすみません。 透明を通して、透明だからこそ透けてくるものもあるように思いますね。 たしかにそういうのは難儀なのかもしれません。 実際、難儀ですよ、今の世の中に夢や希望を持って生きるのは。 ただ個人的には、夢や希望をもって生きるのは楽しいことだと思んですよね。 楽しい。 楽しさはけっこう大事だと思います。 太鼓のところを拾ってくださり、ありがとうございます。
1熱が全ての現象の原因であるかのような、発熱、導火線、原因不明の熱など、白く塗られて行く君は熱がさせたことなのかもしれません。汚れたスニーカー、疲れた腕に、青く広がる街、原子から崩れていく足もと。詩の熱なのか、外圧よりも内圧が有ると思いました。「今日」はエンドレスに放熱を内包しているのかもしれません。
0エイクピアさん、ありがとうございます。 そうですね、外圧というのも、結局のところ内圧の外在化なのかなと思いますね。 いつだって、今日が、今が熱の中心地なのかもしれません。
0