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かなしみについて
『あなたの精神的な傷口を教えてください。』 わたしは、そう書きつけたメモを透明な立方体の貯金箱に貼り付けて、部屋から連れてきた小さい木椅子の上に置いて去った。アパートの玄関ドアの内側だから、居住者以外の迷惑になりにくいかと思ったが、わたしの考えは世間からすればかなりズレているのでアテにならない。 しかし緊張のあまり、わたしはそれから5日ほど部屋から出られなくなくなった。 しかし、6日めくらいに、エイヤッ!と意を決し、部屋を出て、木椅子の上を見に行った。 すると、いつの間にか、そこには甘夏が一つ置かれ、甘夏1個50円と書かれたメモがそばに添えられていた。ヤイヤイ! わたしのきもちを踏み躙るな!と思ったが、わたしの感傷より、甘夏が木椅子に置かれている方が、よっぽど魅力的だったし、わたしはこういうエモがすきだった。50円をそこに置いて、甘夏を片手にわたしは階段を駆け上がり、ドキドキしながら、甘夏を家に迎えた。夜中、泣きたくなったので、甘夏を剥いて食べた。とてもこころがあたたかくなった。つめたいばかりだった指先から、甘夏の香りがした。わたしはその香りを嗅ぎながら、眠りについた。 翌朝、下に行くと、50円は回収されていて、代わりに、貯金箱に、小さな紙切れが入っていた。 『ここにあった三つの甘夏は、私の家族が育てました。私は、家族が育てて、送ってきたものを一つも食べずにここで売りました。これが私の傷です。』 わたしは、ウッと苦しくなり、その紙切れを持って階段をあがり、2日寝込んだ。 寝込んでいた間に溜まったゴミを捨てるため、数日後にわたしは階段を降りた。木椅子の前を通る時、心臓がドクドクした。貯金箱には何かが入っていた。ゴミを捨て終え、わたしは貯金箱の中身を出した。 避妊具と小さなメモ。 『これ使って一発やって、スッキリしな。解決方法それしかないでしょ!笑笑』 わたしは、このひとの傷口をなんとか想像しようとした。 そのとき、ガン、とオートロックの扉が開き、掃除のおっちゃんが入ってきた。おっちゃんは、掃除が下手だが、愛想は抜群によかった。わたしは避妊具をポケットへねじ込む。 あらあら、おはよう。 おっちゃんはいつもタメ口だった。挨拶を返すと、おっちゃんは、木椅子と、私の手にある貯金箱を見た。 「なんなんこれ?」 彼は私の右手の貯金箱のメモを読んだ。 「ほ〜ん。おっちゃんもあとで入れよ。あんたも入れるんか?」 わたしはその言葉に対し、曖昧に笑って、木椅子に貯金箱を置き、おっちゃんを残して階段を駆け上がった。部屋に入って心臓が落ち着くのを待った。 夜になって、おっちゃんはもうお家でクソして寝たような時間に、わたしは貯金箱を見に行った。有言実行、おっちゃんは何かを入れていた。大きなチラシを何度か折って、貯金箱に捩じ込んだようで、取り出すのに一苦労した。取り出した紙の中身を読もうとしたとき、足に何かが触れた。黒い子猫だった。黄色い眼球だけが空中に浮いているみたいに見える。わたしは、おっちゃんのチラシをパタパタ振って、子猫と遊んだ。子猫は人懐こく、好奇心も強かった。 しばらく遊んでいると、他の猫の声がして、子猫は導かれるかのように、しゅるしゅるとアパートのフェンスの下を通って出て行ってしまった。わたしが、フェンスから顔を出すと、親猫が子猫を咥えてこちらを見つめていた。手を振ってみたが、つまらなさそうに、背を向けて猫たちは行ってしまった。わたしは、彼らの姿が闇の中へ溶けてゆくのをただ見守り、おっちゃんのチラシのことなど忘れていた。 わたしはそのまま部屋へ戻り、翌朝洗濯をし、おっちゃんのチラシを粉々にしてしまった。そのことに気づいて、ふとやめ時を感じた。わたしは、木椅子と空の貯金箱を回収し、自分が手にしたメモ類全てをライターで燃やした。わたしの胸には、正直ほとんど何も残らなかった。ただ、前ほどの悲しみがなくなっていることを同時に感じた。ああ、かなしみとはなんてあっけないのだろうと思った。かなしみのそのようなあっけなさにわたしは感じいった。そうして、洗濯の荒波を超えて生き残った避妊具を視界に入れたときも、わたしはそれほど悪い気分ではなかった。
かなしみについて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1165.5
お気に入り数: 0
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2023-04-20
コメント日時 2023-04-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
はじめまして。 短編小説ですね。 「あなたの精神的な傷口を教えてください」というメモを張り付けた箱を置くというアイデアが面白いです。そして、その箱に甘夏を一つ置いた人も洒落ています。 避妊具を置いた人はメモの質問に直接答えず、その意味を考えたのでしょう。 そういう人はよくいますよね。 後半で掃除のおっちゃんが入ってきて、タメ口で話しかけてくるのもいいですね。おっちゃんが入れたチラシが粉々になってしまったのは残念ですが、それがかなしみがあっけなくなくなったことの表れであるなら、それはそれでよかったのでしょう。 かなしみがなくなったきっかけが、黄色い眼球だけが空中に浮いているみたいに見える黒い子猫だったのは、何か意味深長な感じがしました。 面白かったです。
0「木の椅子」というと大好きな詩集茨木のり子の「倚りかからず」を思い出します。 三人三様のかなしみが力みのないタッチで描かれていて大変心に沁みました。 特に印象的だったのは、甘夏の人です。 このエピソード彼、彼女がこれををかなしみだと思っているところにせめてもの救いがある、そう思いました。 SNSだと結構赤裸々に語っていたりする(ただしどこまでが本当か分かりません)かなしみも、居住が近い人という設定だと、一定の慎みがあるところもいいなと感じました。 少し推敲されれば有名作家の短編集に差し込まれていても違和感が無さそうな完成度の高い作品だと思いました。
0短編として読みました。冒頭の「透明な立方体の貯金箱」、思わず(貯金箱の立方体)などの言葉が想起されたり、不思議なイメージでした。描写が丁寧なので、読みやすく、つっかえる事もなく、拝読させて頂きました。何度か文面をなぞっていて、軽快な文章の流れなかで、掴み所なく、かなしみが置き忘れるみたいに、すり抜けていってしまうような所に余韻を感じました。 - 『あなたの精神的な傷口を教えてください。』 冒頭のこの一文とタイトルの『かなしみについて』、端的に言い表わせる言葉が見つからないのですが、「かなしみ」がどこか置いてきぼりなのだけど、それがかなしみの一要素なのかもしれないと思うような納得してしまうような感覚です。
0文章は相変わらず上手いと思った 可読性の高さと言うか 読むと言う行為を意識しない、 澄んだ川から小石を拾い上げるような 感覚、とても澄んでいて水の温度すら 気にならないぐらい。 まあだけど内容はどうかなとは思ったな。正直、「わたし」には感情移入ができなかったな 少々常軌を逸する様な行動の原因と言うか理由がいまいちよく分からないし 気弱な女性がそんな事をそもそも考えるかなとか思ったな 俺が面白いと感じる様に考えたけど 甘夏を置いた人に焦点を合わせた方が良いんじゃ無いかと思ったな それと箱を置いたのはなんかよくわからない芸大かなんかの男性の方が 理由が合理的に感じられるかも知れないと思った 掃除のおっちゃんはなんと言うかもっと神様ぽい、啓示を与える様な役目の方が作品全体が箱庭ぽくなると言うか 猫の描写は上手いとは思ったが 必要性は余り感じなかったな。 甘夏を置く役を「わたし」にした方が俺的には感情移入できたなと思いました。どうかな? 実際に書いて貰えば俺も答え合わせ出来てありがたいがあまそれはアレなんで。 王下七武海
0なんだろうと思いながら最後まで読んでしまいました。ジャンルは分かりませんが可読性があって読みやすい作品だと思いました。いいですね。
0こんばんは。コメントありがとうございます。 >避妊具を置いた人はメモの質問に直接答えず、その意味を考えたのでしょう。 そういう人はよくいますよね。 いますよね。世界を見るフィルターが自分用のしかないというか(当たり前ですが笑)。 コメントありがとうございました。
0>SNSだと結構赤裸々に語っていたりする(ただしどこまでが本当か分かりません)かなしみも、居住が近い人という設定だと、一定の慎みがあるところもいいなと感じました。 コメントありがとうございます。ここの部分がとてもワカル!となりました。語りがどこかから騙りに寄っていくのですよね。人間って、オモシロ!ですね。ありがとうございました。
0>「かなしみ」がどこか置いてきぼりなのだけど、それがかなしみの一要素なのかもしれないと思うような納得してしまうような感覚です。 コメントありがとうございます。正直、タイトルで悩んだので、自分の中で、かなしみや精神的な傷口について私はうまく向き合うことができていなかったのだなとryinxさんのコメントを拝読して感じました。コメントありがとうございました。
0コメントありがとうございます。可読性については、たまに他の方からも言及していただくのですが、単に先がわかる文章なだけなのかもしれないなと思っています。 テーマへの真摯な向き合いと可読性を両立できるよう励みます。ありがとうございました。
0コメントありがとうございます。可読性について言及ありがとうございます。読みやすいテーマ、筆致もある程度は必要かと思いながらも、私のは予定調和かな?と思ってます。コメントありがとうございました。
0この作品も非常にいいことをうたっているが、やはり先の作品と同じで 小説化した方がいいと思った。 今年の芥川賞は、僕と同年代の女性が獲ったが、この人の作品は私はつまらなくて 何せ、言葉、その正確な置き方がどう、とインタビューで主張していて 実際、作品もそうなのですけれど、それでは「詩」が殆ど、ないのです。 まあ話半分で聞いて欲しいのですが。期待しております。因みにこの作品に三度、目を通しました。
0コメントありがとうございます。そうですね、短い中で書くと表面的にしかテーマに触れられないですよね。書くの難しいですが、燃えてきました。三度も読んでいただいてありがとうございます!わたしより読んでくださってます。(それは推敲足りてないでしょ)。
1ドキドキしながら、甘夏を家に迎えた。 こう言う箇所はいいですね。些細な事ですが、詩的な気がしました。
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