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お菓子な心
お菓子で出来てるような心なんだ 人に追従してばかり 上辺だけのきれいごとを言って 自分ばかりを目標にしている お菓子を食べよう 何が目的だったかを忘れて 一人置いてけぼり みんなどこかへ行ってしまったんだ 草の中に兵士の落とした帽子 背の高い帽子を拾った 物質的に豊かで 貧弱な手足を持っていた頃の 私にちょうどぴったり 逆さまにして元通りにして 西日に壁がオレンジ色に染められ つむじ風が心を巻き上げていく あの頃の保存されていないくたびれかけた思い出に 夢に出てこない不安なままの一人の 甘えと恐れを混ぜたような色んな人の 自分を使った遊び場 私の心はどこも指していない 正しく思ったものは捨てないよ 終わりのない道を歩けるようになり 私を支えるものは何 私が支えるべきことがあるはず ラの次は何 話は終わり 答は飲み込み 人の顔は美しく 私の心はとても汚い いつの間にか 心の色をカラフルにするような 言葉と意識を探し求めること そんなことを 知り得る果ての果てが滝のような落下であっても どことなく向いたほうを行く 辿って歩くのは暗いけど いつも光の方を思うから
お菓子な心 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 840.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-04
コメント日時 2017-12-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
沙一さん お読みくださりありがとうございます。読詩と作詩は、別の行為であると思います。例えば、読詩は作者の気持ち に合わせること、作詩は自分の中から絞り出していくものであると思えること。作詩の場合、表現をするここちよさ というものはあるけれど、それ以上に、自分が何をすればそういう詩を作れるのか、気づいていくことが挙げられます。 この詩の場合は、性的(エロティック)な思考をすることです。子供の夢想という形ではあっても、そういう 気持ちを、解放できたような気がします。 僕は男なので、女性の場合というのは分かりませんが、人間が表現するべきこととして考えるのは、どこかに そうしたエロティシズムを基本とした夢想になるような気がします。つまり、性的なものを敵と見ず、 自分の中のそうした欲望を、色んな表現に変えていくことで、子供のようなものへの後ろめたさを、 包んであげること。それを突き破るパワーが子供の方にあるならば、それはまた、反動として、考え直さなければいけない。 でも、それはまた一つのレベルの上がった遊び。子どもには死が遠くなければならないように、大人は性を避けてはいけないのでしょう。 生きるということが、自分にとって意味があるならば、それは力の入れ方を知っているということだと思います。 自分の力で歩こうとするための道のりを、この詩では書いたような気がします。 避けるべきことは何であるかを知りつつ、全ての可能性の扉を開いて行こうと思います。そういうことが、 僕の現在の作詩でした。
0こんにちは。 昨日、クリスマスケーキの予約を入れました。ケーキ屋店内は 可笑しくなるくらいのお菓子の良い匂いでした。 お菓子で出来てるような心とは おかしい心であると、ご自身の心を もてあましておられる様子を うかがわせていただきました。ご自分のすることを うわべだけ 綺麗にしていると感じておられる ご様子。 ラの次は何 この答は シかなあ。死でしょうか? みんないずれは死に向かうのですが だからこそ この詩のように 人の顔を美しくみて 自分自身の醜さを 自覚できれば きっと 良いクリスマスを迎えられるだろうなーと、思いました。 追伸です。私の拙詩への丁寧な文章を添えてくださって ありがとうございます。 家庭の事情で 詩に向かう時間がとれなくなっておりまして、たいへん失礼しています。 ですが、おかげさまてせ 詩を友だと思うことだけはできています。ありがとうございます。
0るるりらさん コメントをありがとうございます、ご無沙汰しております、お元気でしたか。 お菓子、そう、ケーキの季節ですね。 チューニングが合わないおかしさを、嘆き、苦しんで、生きておりますが、歳も新たになり、キリストもお祝いされる、 そんな節目には、心が少し引き締まり、喜べる集まりさえも幾つかあります。 in public なのか in private なのかという区別を、詩について考えてみるのは面白いものです。publicに発言できる 人が、すごい、と考える限りです。るるりらさん、言葉と言うものの成り立ちは、publicな喜びと、 privateな喜びの、相性が時に悪い、ということ、感じられませんか。つまり、社会で、コミュニケーションは、 孤独の深まりに比例して、意味が大きくなるのだと。公的なものを浮き世と見るのか、私的なものを、どれだけでも 深いと思うのか。つまり溶液の濃度と溶液の体積が、反比例の関係にあるように、私的なものと公的なものが、 反比例の関係にある。どちらかが増えれば、どちらかが減る。 さて、では、人の心は玉であり、認識が完全になるとき、溶液(心)も飽和(自己実現、また、詩情の実現)して、ご機嫌な気持ちになる。 人が偉大な思考を行っているのだということが見えるようになってきました。ボールは友達(キャプテン翼)、詩も友達。 顔を背けたりはしない、腐したりもしません。良い時と悪い時の両方があります。プラスしていくという見方を基本としていたいのです。ちゃんと言葉にすれば、何もないだけよりずっといいでしょう? 時には迷って、傷つけあうことがあるというのは、それは、きっといいでしょう。
0ああ、フロウが心地いいです。 >ラの次は何 シだよ、とは平易に言えてしまいそうで、言えないですね。とても力強いです。肩の力を抜いて読む事が出来ました。
0hyakkinnさん コメントをありがとうございます。 フロウですか、言われてみれば、この詩の特徴であり、売りと言えば言えるものは、フロウです。そういう言葉 を評していただいて、実に納得、ありがとうございます。力強いといっていただけたのが、嬉しかったです。 自分では、それは思っておらず、読んでもらうとわかること、つまり、多様な長所というものが、あればそれは 良いことで、良い詩ですよね。レベル的な事を抜きにした場合では。ラっていうのは、特別な音ですね、言葉 にしてみると。この、微妙な駆け引きと心からの叫び、恥ずかしながら、作品を作りました。 個人的に今は頭の調子が治り、充実してきました。自分は人と関わることも、できるのだと、心の底から楽しく なってくる上機嫌があります。
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