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赤い川
完全なるものが鬱陶しい 語られるほどに 無能な川底を回る魚のようで 湧き水を汲みに行った先 おねえちゃんがいう 「完全なるものは三千世界といってね」 「完全なるものは死なないんだね」 と意地悪に返した 髪が抜けて鬘をしたおねえちゃんは 顔すら動かせなかった うわごとをしゃべるようになった つたうきみの世は 三千世界でしょう 会いたくない僕を 呼んでくれと 正気な時の頼みごとを 人伝にきくと面会に行く 死ぬのはこわくないよと そう云われたら泣いた もういちど湧き水を汲みにいこうかと おねえちゃんを連れて出た 新興宗教の施設みたいで 寝心地が気になる宿 久しぶりにふたりで寝た 目が醒めたら 天井をみたままの姉が 死ぬのはこわくないよと また云った ひとりで部屋を出た 夜が明けだしの外の林道 見下ろせば 赤い川の水面 さきにいった父と母の 生死をおもったら おねえちゃん、一緒に帰ろうって つたうきみの世は 三千世界でしょう おねえちゃん、けしうはあらず
赤い川 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1047.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-04
コメント日時 2017-12-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
三浦果実さま コメントさせていただきます。 川の独白のように、滔々と語られる感じがいいと思いました。 三千世界へと揺蕩う意識は、いつかわたしも経験するのかもしれない…と思わされました。
0どうぞよろしくおねがいします。 最初とても難解に感じ踏み込むことができなかったのですが 2度目を読み直して、その読者を、やさしく川底を回遊する魚がその先の世界に誘ってくれました。 まるで旅をするように見せてくださったその感性にとてもあったかいものを感じました。 現代詩の読み方をまたひとつ教えていただいたという気持ちです。ありがとうございます
0こんばんは、宜しくお願いします 昨晩の月が赤く大きく輝いてましたが、タイトル名「赤い川」はそれに関連付けられ 「美しい調べ」かとも最初勘繰りから入りました 黄泉の淵に立つ兄弟、死相を際立たせながらも幼子の亡霊に追い立てられてるような恐怖感 この子らは死を恐れているのか自ら逝かんとしているのか 引きずり込まれるような 恐い詩で夢に出てきそうです。
0くつずり ゆう さん 人の生死について書きたいと、何度か試みてきました。これからもきっと、書かなければならないテーマだと思っておりまして。宮沢賢治の「永訣の朝」。私はバカモノなので自身を顧みること無く、いつか私の「永訣の朝」を書いてみたいと。 イチゴミルクさん こちらこそ、イチゴミルクさんのコメントに勉強させていただきました。拙作からあなたが読み取るその感性に。最果タヒさんの『死ぬ間際にいう言葉がそれであればいいのに。』という作品を御存知でしょうか。「赤い川」と「おねえさん」が出てきます。今作がこの作品に影響を受けて作ったわけではないのですが、先ほど、ふっと本棚から手にとって読んでみたら、「赤い川」が出てきてびっくりしました。不思議なことがあるから詩を書くことがやめられないですね。今後とも宜しくお願いします。 李沙英さん 「時」と「場」は、詩を書く大事な要素の一つだと私は思っており、満月と新月、、特に新月に書くことがよくあります。赤い月をみたあなたと、赤い月をみなかったわたしが、赤い川を挟んで、このような交流が出来るというのは不思議なものですね。寺山修司さんの詩で『てがみ』という作品がありますが、月夜の海に手紙を流す話です。なんだか、それを思い出しました。月の夜は、なんだか、怖いですね。
0沙一さん 輪廻転生、永続的なものを込めたいという気持ちがあって書いたので、「滔々と流れていくでしょう」との言葉を頂戴して、とても嬉しく思います。宗教思想的な範疇を表現する際、なんと言いますか、、表装的なインテリっぽくないようにしたいと私は考えまして。自分を抉るというのでしょうか。自分の中にあるもので書かなければ、形而上なものは書けないと思うのです。逆説的ですが。マーク・ストランドの『殺人詩人』の結末の言葉で「ああ、永遠性の領域に入ることを切望する言葉たちよ、私を赦してくれ。」とあるのですが、永遠性を語る言葉たちを裏切れば、私自身を永遠に赦さない気がしますよね。
0花緒さん コメントありがとうございます。以前にホイットマンが使う言葉の生々しい手触り感を通して、ホイットマンは本当に感じているのだろうという実感が伝わってくるが三浦の使う言葉からそれが伝わって来ない、という評を頂戴したことがありました。私にとって、それはハッとする指摘でした。何か、小手先で「作られたような言葉」。私がネット詩に投稿を始めてからのこの一年間は、その指摘を克服する為のチャレンジだったと言っても過言ではありません。先日、尊敬する詩人の方に無理を言って私の作品についてのアドバイスを受けました。それもまた、「自分の中から引きずり出さなければならない」と。ここでまた、このような極私的なことを平気で開陳出来るということはまだまだ悩み抜けていないのかもしれませんが、花緒さんの指摘と共に、貴重な詩作についての話ではないかと思い、明かしました。当掲示板に参加される方々にとっても教訓になるのではないかと。 話を戻せば、実感がある言葉とは何か。私はそれをフィクションとノンフィクションではないかとイージーな思索を重ねました。無論、そうではない。つまり「本当に感じているのか?」「本当にその言葉通りに思っているのか?」が問われているのかと。今作は私にとって実感としてあると、どんなに詰問されても、実感があると、言い切れる言葉で書きました。しかし、おっしゃる通りで、読んでもらいたい、という意でのバランスが今ひとつ取れておらず、少し独り善がりな感が残ってしまったかもしれません。次回作、頑張ります。
0リーディングを意識されているのでしょうか、流れとまとまりがいいですね。 湧水は、いのち(の流れ)が最初にほとばしる始点でもある。 35億年の命の流れの始点、さらにその先・・・46億年を越える、命の素、の始点・・・は、果たして混沌なる無(なづけえないものの集合)なのか、整然と緊密にバランスを保ち、それゆえに動きを失った完全なる世界、なのか・・・ 脱線しました。 川床をうごめく魚は、私たち一人一人の姿でもある。完全無欠の精緻なる完璧さに彩られた世界は、雪の女王が作り上げた孤独な宮殿のような美しさだろう、そこには、熱く流れるものも、予想外にに溢れて汚したり乱したりする熱量はない。 赤い川の水面が膨れ上がり氾濫し、あたりを透明な赤で飲み尽くすとき、正気も狂気も源を同じくすることを、人は知るのだ・・・そんな気がします。
0熱量は→熱量も
0この詩、一読した刻を忘れました。 そして改めて読んでみる。 失礼ですが、いままで拝見した三浦さんの詩のなかでは別格ではないかと思われる。それくらい印象に残る詩ですね。 語り手のさりげない口調と内実の奥深さが混同し見事に溶け合っている。 なので末尾に置かれた歴史的仮名遣いがいきいきと効果的に作用しています。衒ったようないやらしさをまったく感じさせない。 このことは詩を作るという意味に於いて非常に難しい作業です。 中身は宗教的にみた因果応報の回帰性が読み取れますが、自然体で書かれているので却って言葉がいきいきと伝わりますね。花緒さんもコメントでおっしゃっているが、わたしも強く詩情を感じます。この詩は素晴らしい。
0まりもさん コメント有難うございます。「正気も狂気も源は同じ」仰る通りだと思います。残酷さや狂気を書くということはその差異ではなくて、「同じ」だと書くことかもしれません。と思いました。 アラメルモさん コメント有難う御座います。一年間詩を書き、投稿を続けてきてよかったとアラメルモさんのコメントを読んで思いました。作品評とは離れた話で恐縮ですが、文学極道に参加した当初、酷評ばかりで「みんな、わかっていないんじゃなの?」と正直言いますと思っていました。その後、「現代詩」で良いと言われる作品を読んでも、まったく私の感性に響くことはありませんでした。ある日、吉増剛造さんの作品を読みました。すると、なぜだか、今まで良いとされる現代詩作品の「良いと言われる理由」を実感しました。なるほど、と。その良いことが理解出来る「感性」が好きかといわれれば、嫌いです(笑)。 客観的に自分の作品を読めなければならないということ。文学極道で教えてもらったことは自分の財産になりました。「書けないやつは読めない」。
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