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Planet Poem
やっぱさ人格否定までやらなければダメでしょう。だって芸事だよね。俺らやってるの芸事ですよね。ココア共和国で入選したいんです、小笠原鳥類さんに選ばれたいんです、詩集本出したいんです、みんなで詩を広めていこう!楽しい!きらきら、ではないよね。いや、だからみんなキツいことを無理して言い合おうね、というのではないんだ。でもさ真剣に作品を読んでたらさ、おまえ死ねよっていうところまでならない?ごめんなさい。俺はなっちゃうの。僕はね、バカだからね、そこにある文言、読んでると本気になっちゃうんだよね。人を殺したくなっちゃうんだよね。だからさ、衝動的だよ。わかるよね?衝動的に言葉を使っているわけ。知的遊戯ではないんだな、俺は。他人様に気遣いをー、マナーをー、日本国の法律に則ってえー、ではないんだ。そんなことを気にしてるから、気取った作品か言語IQ高いですぅしか書けないんじゃないかな。あなたの言葉でもって僕を掻っ攫ってくれないかな。俺の人生を変えてくれないかな。そんな感じ。なんかこう、こういうの書いていると本当に人を殺したくなるの。なんだろう、いや、みんな気が付いてると思うけど憎悪がね、俺の中にある他人への憎悪、すごいんだ。これなんていうのかな、わかんない。言葉になんかできない。あのさ、つまりさ、そういうことさ。あるだろ?あるよね?書いていたら言葉を脳みそのその思考が追い越してくやつだよ。言葉になんか絶対に負けないエネルギー。エナジー。生きようとする意思。 人間が面白ければ書くのは下手でもいいの。人間がつまらなくてさ文書だけは上手い人、これ最悪。極めるとテクニカルじゃなくなる。人間なんだね。だから苦しむんだろ?だから書けなくなるんだよね?ふつうにぱんぱん書けちゃうってそれなんにもおもしろくなくてよ。いや、面白い人間がぱんぱん書いて出す作品は面白いよ。だから、結論ね。 おまえさ、人間がつまらないんだ。 ごめんごめん。人間的につまらないとか差別的な意見は撤回しよう。詩は知的遊戯だと、そういうことにして話を続けよう。そうだね、人に優しくありたいよね。俺もいろんな人に助けられてる。わかる。わかるよう?そう、だから、他人には優しく。たまたま目にして読んでみた他人様の詩。ちゃんと読もう。苦しんでるね、悲しんでるね、別れた恋人に未練があるんだね、死にたくなってるんだね、ああ空虚なんだね、わかる。うん、わかる。共感だね。なんか涙が出てきました。頑張ってください。ああ、とても考えられた修辞ですね。換喩と体言止め。いい作品を読ませてくれてありがとうございます。知的に人間的に楽しい。理性的で楽しい。子供のままの心ですね。全世界の人に読んで欲しいと心から願っております。詩をありがとうございます。ホントに私は詩が大好きなんです。詩人が好きなんです。ご飯が好きなんです。悲しくなったり死にたくなったりするのが好きでしかたがないんです。働くのも大好きです。ひとりでいるより、人と手を繋いで詩の朗読をしたり、お互いに励まし合うのがとても好きです。詩が好きです。ご飯が好きです。生きることが大好きです。
Planet Poem ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2993.4
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 60
作成日時 2023-01-03
コメント日時 2023-02-28
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 10 | 0 |
可読性 | 10 | 0 |
エンタメ | 10 | 0 |
技巧 | 10 | 0 |
音韻 | 10 | 0 |
構成 | 10 | 0 |
総合ポイント | 60 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 10 | 10 |
可読性 | 10 | 10 |
エンタメ | 10 | 10 |
技巧 | 10 | 10 |
音韻 | 10 | 10 |
構成 | 10 | 10 |
総合 | 60 | 60 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんだろう、いろいろ思ったんですが、この作品にはあえてコメントしないことにした。なんて言えばいいかわからないんだけど、最近のできごとは、これまでの人生で見てきたものと比べても、十分に複雑で、うまく言葉に出来ないことが多くなってしまいました。もしかしたら、私はもうすぐ30歳になるし、無茶もしたので、私の脳はひとよりはるかに老化して、終わってしまったのかもしれない。本当に、なんていえばいいんだろう、笑えば笑うほど、獰猛になることができました。その時に理解したんです、これは支配するための力だと。
1きらきら
1自分がどのような歪みを持ち、自分が人に何を望むのかもう一度深く考えました。人格否定をしてしまうしかないと仰いますが、人によってはあなたよりもつらい思いをしていると思います。言っても分からない人もいると思うので安易に人格否定を他人に行うと、何年も逆恨みされたりするかもしれません。 あ、 これ、作品なのか…。
1聖書の御言葉、偉人の名言、それを読んでしまった瞬間に奮い立つのってありますよね。逆に人から言われた言葉で一生残る傷を負うことも。一方でどうしようもない、悲惨を目の当たりにして言葉が出ないことがあります。その悲惨を背負った1人を前に言葉ではなくて、励ました経験、その経験は何事も代替え無き私の血肉になっております。永久に切れないエネルギーがあります。私は唯一無二のそのエネルギーで生きてきました。 「あなたは言葉によって起きることを知らぬ可哀想な人だ」と私におっしゃる人がいた。そうです。私は言葉の力など信じておりません。言葉以上に力を持つエナジーを私は知っています。
1大丈夫です。ずっとみているからね。
1あなたが持つプライド、それを全て投げ出すことが出来たら、真実を表すことが可能な言葉をあなたは手にします。でも無理だろうと予見します。プライドを全て捨てることは、そう簡単ではありません。なぜならば、あなたが持つプライドを喜ばせ快楽をあなたに与える言葉にしかあなたは興味がないからです。言葉しか信じられないのでしょう。
2いいのです。大丈夫です。今年も生きよう。
1表現には二種類の効能が在ると考えるんですね、まず。 第一にアジテート、所謂覚醒剤系だよね。 第二にカタルシス、所謂鎮静剤系です。 さて、今の世相にマッチングするブレンディングを精査するなら、間違いなく前者であることはお分かりいただけると思うんですね。 ではここで問題だ。そんな大事な表現をこんなネットの片隅で完結させちゃっていいの? 分るよね?もちろん答えはnoです。 じゃあどうすればいいのって、多分君ならわかるよね。 端末機を捨てて、町へ出よう。 町は一冊の書物よりもっと広く、もっと大きな一冊の書物である、って君になら理解できると思うんだ。 思想を増刷せよ。 炸薬に着火せよ。 恐らくそれがぼくらに残された、最後の抵抗手段だと思うんだ。 おいおい、個人テロで終わらせるつもりかい? それじゃあ余りに不様でしょ? 徒党を組むべき同志を探しなさい、ってこと。 仲間がいれば百人力。それって歴史が証明してるよね? 文学運動の始まりはいつもそう。意見が食い違ってもいいじゃない。 この時代、ぶつかり合える他人同士って貴重だよね。 後は皆様ご自由に。 ※上記評文は用法用量を守って正しくお使いください。
0>真実を表すことが可能な言葉をあなたは手にします。 こんなコメントするような筆者は、何だかんだで言葉しか信じてない作品と感じたので、コメント「きらきら」入れときました。 きらきら
1ありがとうございます。文学闘争を続けましょう!
0コメントありがとうございます。世代間の交流というのは現実世界でもなかなか厳しいもので、いや、世代間だけでなく考えの違うもの同士が一つの仕切り無き空間でやり取りをするというのは、多くの人が敬遠することのように思います。しかし、詩・文芸を掲げるならば、社交辞令を最上位に置くのではなくと、難易度の高い場所設定に自然となりますよね。文学とは孤独。
0無記名で作品を発表させることができるシステムは止めた方がいい、とこの作品を読んで思った。運営さん如何でしょうね。
0コメントありがとうございます。三浦果実です。最近の投稿は全て匿名での投稿です。おそらくは多くの方々には三浦だとバレていると思っていて。なんで匿名で投稿しているか?めんどいからです。ある一定のもてはやされ投稿者と同じですよ。他人の作品にはめんどいんでコメントしませーん、あたしの作品は詩集本にもなるくらい素晴らしいんです、あたしの批評文はバカが書いてるのと違うんです、だから読んでくださいね的な偽善者たちのめんどくさがりと同じ気持ちなんです私は。んん、ちょっと煽らせてもらいますね。なに本気になってるんですか。しょせん、フィクションじゃないですか。言葉なんて、作品なんてフィクションですよね?いや、運営に問うのが冗談であれば楽しい。
2>文学とは孤独 違う、違うな。 前提条件に甚だ誤りがあるようなので指摘をさせて頂きますが。 表現、敢えてここでは文学に限定して話をさせて頂きますけれども。 記述媒体 つまり、本や雑誌、突き詰めれば文字と 表現‐読解主体、 つまり今これを書き、読んでいる私やあなた、 この両者の相補関係に拠って成立するのが文学表現であると定義づけられるでしょう。 作者のいない作品が在りますか? 作品の無い作者が在りますか? 文字の無い文字は? 作者ではない作者は? 少なくとも、あなたが作者ならテクストを書いている最中に、書かされている様な感覚に陥ったこともあるでしょう? ここで質問。その時の主体とはテクストとあなた、はたして何方なのでしょう。 以上要約。 媒体‐主体関係間に表現が成立をする、という主張。
0これは湖湖さんへじゃない追記です。ついでなんで。しっかし、ホントに他人作品へはコメントしないね(笑)。いや、特定の人物名は挙げません。俺はね、小説には騙されていいの。でもね、詩や詩人には騙されたくない。ホントに。みんな騙されて踊らされて、エセインテリアを賞賛なんかするな。一つのキャラクターに騙されて、あー最高!なんて俺は絶対に嫌だ。はい。正月だよ。お正月。
0ごめんなさい。孤独だなんて、気取り過ぎてしまいました。 文学とは、大嘘です!不正であり、詐欺であり、搾取であり、偽善!
0否定かどうかはともかく人格とか人物像にまでメスを入れないと意味ないよなあと思っていたので、ただ知的ゲームだろうが命削ったんだろうがスリルの無いのは私は駄目だ。逆に詩に求めるのはそれでしかない。読んでて不安にならない詩はつまらない。 三浦さんだったのは予想通り過ぎるんですが、まだワンチャンなりすましという線が僅かに残ってますのでそれに賭けるとするか。
1妻咲さん、ぜんぜんダメ。なにすかしたコメントしてるんですか。ちゃんと本気に真剣に書かないと。大きな気持ちで書いてください。それと、最近、くだらないこと書かれてるとバン!されてるんですよ、ここ。わたし、みちゃったの。何作か、急に消されてるの。こわいよ?
1あら、三浦さんでしたか。 基本、無記名って怖いんです。無責任で乱暴になる人が多いから。潰れた文学極道なんかでは私は脅されたこともあります。そこにある自由の価値も認めますけど、悪辣や不潔を感じやすい。あなたの中の憎しみを書くならせめて名乗ってほしい。人として大切に扱いたくなるから。人格否定は高々一個の作品で人を分かることは無理があると思うし、芸事よりもフィクションに過ぎないことであろうと人を大切にするのは作品に優先すると私は思っています。作品は事実が相当織り込まれていたとしてもフィクション扱いじゃないかな、と思っています。作品は大概、事実を材料に虚構の枠組みの中で創作して、真実が煌めくといいんじゃないかなぁ、と思っているんですけど。作品、と括ることによってそれはすべてフィクション扱いされ、理性の距離を取る線引きが発生すると踏まえざるを得ない。それを忘れると、時として芸術は凄い毒性だと思います。希死念慮を作品にする人が多いでしょう。時々スルー出来ず慰めるんですけど、創作の枠の中に真実があるだろう、と想像するからです。放置するにしても毒性がありますね。また、偽善はいやですけど、露悪も嫌です。それに詩を楽しむ、って詩道というか詩徒というか、そういう矜持的な人間を良いものとしてとらえる心がけの背骨を入れるように、美や真実や善に対する感動や愛好を軸にしていて、私はその真意が綺麗であろう、という心がけが全くない言葉は詩として読む気力が出ないです。言葉と自分の距離は確かにあって、二人三脚というか、肉薄を努力しながらも、心の中のより良いものと契った時に良い作品が結晶化するように感じます。だから、自分の中から生まれた汚言は私は詩には書いちゃいけないと思っています。良い言霊を使う価値です。言霊とか魂はそれがあると規定するとしっくりくる言葉だから使うので証明はできない感覚的な納得で私は躊躇いつつ使う言葉ですけど。ひな壇に立っておならを発表したりはたぶんしないし、人との出会いにはおならではなく香水を纏いたい。そのように、詩はおならというよりは香水の心映えに近い。詩人は調香師たりうるのです。そんな憧れです。キスしたかったらエチケットとして歯を磨くように。 私は教養がないんで難しいことは議論できないんで感じたまま書かせていただきました。 お許しくださいね。
0やべえな、バンされてたのか、どうりで。。。 よし、じゃあ本気出すとするか。でも私偽善大好きなんだよなー。どうしよっかなー。
1うーん、これは稀に見る名作ですね。。。感動しました。共感を覚えます。賞讃するにも言葉が見つかりません。敢えて言うなら、コメントする気も失せてそっとしておこうとさえ思いました。 なんてね。冒頭から書き手は三浦さんだよねとは思ったけど、それは別に今のところはいいとして、詩に対する愛憎綯い交ぜにしては書き方が弱いんじゃないかな。 これだとフツーに演説をぶっている人みたいで、表面的には耳に響くけどそのまま通過しちゃう。妻咲さんも書いてるけど、不安も感じないし、迫ってくるものもない。フィクションだからこそ、どう書くか作るかってのがあるんじゃないかと思うんだけどな。 先に「今のところはいいとして」って書いたけど、これが今までにないくらい真剣に、ということなら残念です。楽しみにしてたんだけどなー。
0おい。だっこかおんぶかどっちがいい?ぼくとしてはどちらもしてあげたいのだがせいぜいあなたの千年ごろしを手伝うくらいがほんとうのところだ。ただあなたの好きなようにとおもう。ほんとなぐりあったほうがはえーよ。そんな新年あけまして。
0湖湖さん、ありがとうございます。なんか、この場でいうと冗談みたいになっちゃいますけど、いつか僕をぎゅっと抱きしめてください。
1最近、玄人系の方々が参加されてきていて、一発芸系の方々が印象薄くなってますが、三浦果実は一発芸系ではないですから!
1ぜんぜん話違いますがよんじゅうさんってちょびさんですか?違うか。 いつも0コメント作品へのコメント活動おつかれさまです!
0ABさん、以前のお名前を忘れましたが(笑)、以前のお名前の方が作風にマッチしていた........
0ちょびさんではないっす。ぼくズーって名前で書いてましたよ。レスを置いていくのに関しては、なんつーかぜろレスの作品があるのはぼくたち読む人の問題だとおもっているからですね。ちょびさんはもっとがっちりやっていた印象です。今後ともよろしくです。ちなみにみうらさんって美裏さん?だとしたらあんみつ姫みたいな作品好きだったな。
1よんじゅうさん ABさん ハンネについての返レスありがとうございます。本作品、けっこう、サイコパスを意識して書いたつもりなんです。でも私はやっぱ本質的にお人好しで、サイコパスにはなれないんですよね。でも、なぜかサイコパスな人には敏感で、また気がついちゃったんです。ああ、この人また違う名前でいらっしゃるー、しかも、私、気が付かなかくてやり取りしてたし... いや、その邪悪そのものな方はこちらの作品のコメント欄でコメントされている方ではありませんので大丈夫です。でも名前を3つ4つ使ってでも、何かを達せられたいのかとおもうと、プラネットポエムは怖いです(笑)つまり、惑星ポエムはガチで怖いという回答をトップに上げないよう、こっそりコメント返しておきますねw ちなみに、レッドカードで表立って退場なってる人よりもサイコパスはガチで怖いすwちょっとスリルあって好きだけどwwww
1場違いなコメント失礼します。 タイトルから、ボブ・ディランの『Planet Waves』、アフリカ・バンバータの『Planet Rock』、パブリック・エネミーの『Fear of a Black Planet』などを連想しました。 あるいは、筆者が三浦果実さんとの事で、過去作で言及されてらっしゃるのをお見かけした、三浦さんの推し(と言えば良いでしょうか)の大森靖子さんの楽曲に『NIGHT ON THE PLANET』というものあるようなので、そちらがタイトルの由来なのかなと考えました。
0じつはじつは勝手ながらビーレビには3ヶ月間周期でロム専とアクティブユーザーとしており、現在は太陽から1番遠いところに位置しておりました。でもシンダム(あえてカタカナ読み)さん、あなたのコメントで138億年のレーザービームで回帰線です。 シンダムさん、当ててきましたね。三浦果実はパブリックエナミーであり、チャックDの血が流れてるんです。僕はね、シンダムさん、偽善というものにとてもこだわりがあるの。 こないだタモリさんが徹子の部屋で2023年は新しい戦後の始まりじゃないですかって語ってましたね。(デビューからタモリをみてる世代はこの人がビートたけしよりもブラックユーモアな芸人って認識ですよね) あるいは忌野清志郎が牛乳飲みてえって反原発を個人的な拒否反応で悪態吐いてた時ありましたよね。 あるいは漫画のブラックジャックやルパン三世が時々みせるヒューマニズムってあれはピカレスクロマンというのですよね。 ビーレビでも時に時事問題へ素朴に言及する作品があってね、「戦争」「コロナ禍」「ウクライナ ロシア」という。僕はね、作者が偽善だということを示したいんじゃないんだ。「偽善的に読まれちゃう」作風がいやだ。戦争という語句を使っちゃいけないってことではなくてね。悪態で善を示したいし、憎悪のエナジーで涙を示したいもの。ソクラテスの毒杯。 そんな高尚なことか? そうだよ。三浦果実は高尚な存在でありたい。 優秀な人は優秀になれなかった人のためにその労力を黙々と使って欲しいな。他人の作品へのコメント書き。
1返信有り難う御座います。 拙いコメントをしてしまい迷惑かと思いましたが、三浦さんの信念(と言って構わないでしょうか)を聞かせて頂けたみたいで嬉しいです。 「悪態で善を示したいし、憎悪のエナジーで涙を示したい」 私は幽☆遊☆白書のアニメ1話で、主人公の浦飯幽助の通夜の席に乗り込んできた、喧嘩相手の桑原和真が 「汚えぞ、勝ちっぱなしでくたばりやがって!」 「テメエを殺すのはこの俺だ!聞いてんのかコラ!」 「戻って勝負しろこの野郎!生き返れチクショウ!」 と、浦飯の遺影に向かって罵声を浴びせるシーンを観て、うるっと来た経験があって、桑原のような姿勢が大切という事かなと思いました。 的外れでしたらすみません。 あと、名前を呼んで頂いて恐縮なんですが、一応、私のハンドルネームの読みはスナイダムのつもりなんです。(-_-;) でも、カタカナ読みしてもらったのは初めてで、シンダムと呼んでもらえるのも結構良いなと思うので、お任せします。 再度コメント失礼しました。
1読む感じがすらすらとしていて、素直に書かれることが出来ていて詩性を感じました。 良かったです。 あと、 例えば、を指すような まえ文があるともっと締まるのではないかと思います。良くなることは良くない状態を前提とするのだから、悪いことでは無く、バランスを取り続けることが、わかったときに始める、始めようとすることが、良いことだと自分らの感覚もわかっていて、何事かを「マシ」にして変えてきた結果が現れ世界を変えて行くのは、何も変わっていないと思う。子供の頃自分の思ったインスピレーションが具体的になり、荷を積んだ。
1どうも、てんまさん。 あのねてんまさん、つまるところはさ、芸事って自分のなかでの高みというか、まだみえていない宇宙をみたくてやってるわけじゃないですか。だとしたらさ、外部からの自作についての情報は多い方ががいいですよね。自作の良いところなんて一定のスキルに達している作者からすれば既にわかっていて。だから、悪いことみえていないことをハッキリと他者からききたいよね。それはキツいことだけど、そこがないと他人から受ける優しさもなにもかもが曖昧になってしまって、感情がわかんなくなる。そう。合理的な読解のコメントはまるで、14歳の時に味わったくだらない教科書を読んでるみたい。皮膚感覚の感情ある言葉でいきたいよね。いつまでも。
1上記の筆者のコメントこそが私がずっと以前から言い続けてきたことで、発信者の問題はもう受け手の問題にすり替えないと駄目だということ。どう発するかではなく、どう受け取るか、ということなんです。表現の自由とかそんな薄っぺらいものじゃなくて。 作品は揉まれなくちゃ駄目なんです。そこに同情なんか求めちゃ駄目で、それはもう一人の人間、立派に一本立ち出来る可能性のある存在なのです。作者はまずその作品の人格を認めなくちゃいけないし、その受ける波を選択する術を伝えなくてはならない。軟弱な作者なんかよりそれの生み出す作品の方がよっぽど上でよっぽど強い、荒波を受けて立つその後ろ姿を信じられないなら書くのなんて止めちまえ、とさえ思う。なんかいいこと言った気がするからこれ転載しよっと。 ちなみにこの作品、私ちゃんとスリル感じましたので、念の為。後半にお楽しみ歌謡ショーを持ってきたところなんか特に。舟木一夫に負けてないなと。
2(笑)本気だして書いてきたらこわい妻咲さん。小さな気持ち。
0コメントありがとうございます。この作品、誰かをディスっているという風にしか捉えられないからボルカさんも澤さんもあと、、(鈴木海飛も入れといてやるか)も、旧世界のネット詩の人らは残骸的に感性が死んでいる。
1ディスろうがディスるまいが構わないんですが、つらつら読めてスナック感覚な楽しさはあったけど、なんか物足りないな。ごめんごめん、からの後半と前半をぐちゃぐちゃにシャッフルしてもっとジャンクにした方がらしいよね。
0ほばさん、そんな簡単にいうけどさ、そんなこと難易度高いことできないから(笑)
0室町さんのコメントにちょっと乗せてもらい語りたいことがあるのですが、三浦の政治的な立ち位置を訊かれれば極左、あるいは無政府主義と答えるんです。元来、三浦は左翼思想だと自認していて。それを前提にして左思想、あるいは近年のリベラル寄りの人らに懸念を持つのは、その観念的すぎること。まったく経験値が伴わない。これについては室町さんに共感するところが正直、あります。 その観念的ではないところの意味では左寄り(左でありながら純粋天皇主義でもある)内田樹さん宮台真司さんは好ましいんですよね。(ここは室町さんと違う意見ですが) 左の思想、リベラル思想というのは理想主義だと思うんです。だからこそ、最重要事項は現実をどれだけ生きているか、現実を身を持ってどれだけ知っているか。そう思うところあります。この作品も、問われるのは、じゃあ三浦果実、おまえはどうなんだと、その憎悪と表層的な言葉遣いで一体なにをしているのかという。言葉ではないところのこと。
1ビーレビが物議を醸し出し空間であって欲しいというのは同意ですね。おうおうにして同じ志向を持つ同士がコミュニティを形成しがちで、まったく合わない意見同士の人間が一つの場に「存在する」というのは貴重だと思います。その意味では「罵倒家をあえて名乗った」室町さんの存在は貴重だと正直、三浦は個人的には思っており、室町さんが存在出来るか否かがビーレビにあるべき裏テーマだと考えます。 コメントありがとうございます。
0室町さんへのリプの形を借りてもう少し、自説を加えておきたくなりました。ビーレビ創設当時の発起人達が掲げ、現在に至るルールマナーガイドラインについては、私は一文一句変えてはならない派です。この縛りを「簡単に」解除すればその空間のレベルは高まらない。運用によってはダブルスタンダードだという批判、だから変更せよという主張がある。それは筋が通ったことでしょう。でもね、ルールは手段でしかないということ。特例があるということでもない。人間性を追求するということ。問いを永続させ答えを一切出さないということ。 もう一つ。ビーレビは「作品以外のところでの茶番ばかり」で作品が外に置かれすぎなんだよという苦言について。現代詩手帖には現代詩手帖内にある「評価されやすい作品」がありココア共和国も同じく。ビーレビにもそれはあるでしょう。つまり作品と発表される場には相互作用が必ずあって。「人間による選評」が作品をではなくて、書く人間を変える。変える可能性がある。だから作品発表の場についてのなんやかんやは大事だし、そもそも他と違って、ネット詩は書く人間、読む人間のため、賞を取る目的でもなくて、作品そのものの高みを目指している。だから他人へのコメントも自身が受けるコメントも効能がある。作品をちゃんと語り合って!という人、あなたが単にコメントを表層でしか読めていないだけなんです。 ビーレビに参加しすぎると人間がおかしくなる。そうだよ。そのカオスに身を置きたまえ。 これは一参加者、三浦の語りです。
0>詩が好きです。ご飯が好きです。生きることが大好きです。 確かに、ご飯が好きです。 五老星(諸事情ご勘案のうえ)
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