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勝者
鈴虫の鳴き声が聴こえる。随分と季節外れだ。多分死に損ねた体を持て余して、頭を悩ませているんだろう。昨日、押入れの奥に仕舞っていた新聞の切り抜きを見つけた。その見出しには「ゴールを決め神に感謝するイエキニ」とあった。イエキニ。元ナイジェリア代表のサッカー選手だ。それ以上のことは覚えてないし、思い出すことも、多分もうない。 エアコンの暖気は、ヌードになった白骨の芯まで暖めてはくれない。剥がれていく皮膚の痣、一つ一つを撫でて、じっとりと外殻温度を上げていくだけだ。一昨日の晩は寝苦しく、海の大波に飲み込まれいく夢を見た。大波と鯨。この二つは夢に時折出てきて、僕を一時の間、解放してはまた喰らい尽くす。大声をあげれば、苦悩もいくらか和らいだだろうが、身動きが取れないのか、僕はその夜も大波に押し潰されていった。 泣くことが少なくなって相当経つ。最後に泣いたのは黒澤明の「夢」を観た時だろうか。亡霊になり、死にきれない戦死者たちの、白い顔。それは誰かが空へ飛ばした紙飛行機にも似て、美しくまた墜落を避けられない。シンパシー。それが涙のわけだろう。僕は感動しやすく、十代はよく泣いていたのに、サテライトが秘密を一つ暴くごとに、涙もまた一つ遠ざかっていく。 胸腔を埋めるべく、勝ちも負けも味わったが、それは一瞬でしかなく、どちらも体の屈曲した双子だと今は知っている。勝利の歓びは少しずつ滅殺されて、ノスタルジーの底で沈殿するしかないし、敗北の痛みは伏線になる。手元にあるコーヒーカップの湯気は段々と鎮まり、夜には太陽が覆い被さっていく。ドアの向こうで誰かが動いた気がした。鈴虫の音は収まり、新しい「行」の予感がする。鯨と大波は過ぎて、イエキニの歓喜でさえも、心地よく忘れていく。キッチンを片付けると、その窓際に見えるのは。
勝者 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1174.5
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-01-01
コメント日時 2023-01-03
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
あけましておめでとうございます。さいきん、私も「死に損ねかた」を理解できるようになってきました。人間はいろんなことを理解すると、致死量に到達して死ぬのかもしれないですよね。でも、ある日突然よみがえるかもしれないですよね。
0本来、勝ちにも負けにも意味はないのかもしれないっすね。その窓際に見えるのは。これからぼく見ようかなやっぱ見ないでおこうかなっとそんな気分の新年になりました。
0タイトルがそぐわないない
0いすきさん、コメントありがとうございます。あけましておめでとう。致死量に到達して死んでしまう、色々なことが積み重なると。その表現いいですね。僕も明文化してみたことはないですが、そのようなことを考えたことが多々あります。
0よんじゅうさん、コメントありがとうございます。この詩は勝ちも負けも味わった話者が、また心機一転立ち向かう、そんな詩なのかもしれません。だとしたら窓際に見えるのは、案外いい景色なのかもしれません。
0田中さん、コメントありがとうございます。そうでしょうかね。勝利と敗北、勝者と敗者にまつわる詩だったのでこのタイトルにしたのですが。
0賢い人にはわかる詩なのかなあ? 何かあるようで何もないんじゃないかと 周りを見渡してしまいした。 感覚だけで感想書いてすいません。 とりあえずわたしもキッチンを片付けます。
0わかる、わからないよりも何も「感じなかったら」、ちょこれーとさんにとって余り有意義ではない詩なんでしょう。また次回。
1無常観と無力感でしょうか、大波と鯨、日本という国とか、組織、国際情勢のなかの個人、地震原発の興る未来などを想えば個人の想念はこんな感じかなぁ、という印象のお上手な文章です。季節外れの鈴虫、いいですね。盛夏を越えても生きねばなりません。夜には太陽が覆いかぶさっていく、の意味が分かりませんでした。なかなか「行」いがたし、詩が現実を引っ掻けるフックになりますように、なんて私は思っています。
0湖湖さん、コメントありがとうございます。この詩には自らの手で勝利を呼び込んだイエキニ、敗戦国となり敗北を味わった日本、そして規模は小さくとも勝利と敗北を味わった話者と出てきますが、そのどれからも歓喜と苦渋が遠ざかっていく、という体裁を取っています。現代日本において個人の想念はそれぞれでしょうが、これも一つの形としてあるかなと。無常感。いい響きです。僕の好きな言葉ですね。太陽が…のくだりは夜が明けて暗澹とした想いも出来事も遠ざかっていくイメージを、絵が浮かぶように書いてみました。詩がフックに。僕は社会活動などとリンクする詩はほとんど書きませんが、せめて大切にする仲間や僕自身を導く詩は書きたいですね。 余談ですが、タモリさんは来年はどんな一年に?の質問に「新しい戦前の始まりかな」と答えたそうです。この詩のタイトルの勝者が戦争で双方ボロボロになった末に立ち現れる勝者でなければよいのですが。
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