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婚礼
婚礼 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1587.2
お気に入り数: 2
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2022-12-07
コメント日時 2023-01-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
- watertime氏「婚礼」 (類)
私は、辛気臭い心情を延々と書き連ねただけの陰々滅々とした日本的な詩が大嫌いです。詩には映像性が極めて重要なはずだが、その点に気が付く人は少ないようです。比喩も単なる言葉のアクロバットではないんだが、そのわざとらしさが鼻につく。比喩はそのイメージがすぐに浮かばないと駄目で、考えないといけないようでは本末転倒だろう。あらためて説明するまでもなく、ストーリーもプロットもない詩(校舎を見た心情を書き連ね、登場人物は常に私か私とあなたのみ)は読んでも面白くないことは確かですね。ちなみに、詩にとって最も大切なものは、発想の特異性と言葉の斬新さであるが、多くの詩は発想そのものが無い。残念。
0>夢の中のように飛び始めた はたして、可読性を保ちすみやかに映像の浮かぶ詩文のラストフレーズとは、このような直喩表現となり、つまり、本当の本当にここが限界高度なんでしょうか? そこまでのレトリックの積み重せは、ほんの数分だけ足を乗せられる階段となり、はじめから読み進めることで、ついにそのフレーズに手が届くようになる。僕はそこに至るまでの僕の解釈で、「その詩を読んだ僕だけの景色」を見てみたい。 そう、僕は詩を通じてその作者だけが見ている視界に乗っかりたい。 もちろんこれは奇抜な詩文が読みたいと言っているわけではない。衒いのない言葉にも、読解不可能なものにも、それぞれ感動させられることがある。 「発想」「斬新さ」の発現がここ止まりであるというのならそれは疑問だ。 >愛すべきその影 例としてはここで「愛すべき」という説明を用意されるのではなく、ここまで読み進めた自分自信がそう思いたいなあと。こういう観光ツアーみたいなことをされると冷めちゃうんですよね。 読み手のことを信じられないと、こういうどこかでよく見た表現の続く詩文になってしまう。もちろん何も考えず独りよがりになってしまっているものよりははるかに映像は浮かんできます。でもね、こういう詩表現ならそれこそ百年以上前からいくらでも良いものがあるんですよね。いつの日かこの詩を記憶の本棚から「あなたの書いたあなたの詩」として、ときどき引き抜いてひらくほどの、そんな強烈な読後感、詩体験がほしい。もうちょっと読み手の読むちからを信じて寄りかかった表現を使ってみても良いのじゃないかと。方向性としては好きなんですけど、ここにもう一捻り「あなた」が存在してほしい。
1ゼンメツさんの仰っていることはよくわかります。この詩は、発想としてはそこそこですが、言葉の斬新さはそれほどではありません。また、この詩のみならず、私の詩の総じての欠点は予定調和的ということです。そのため、ひねりが無いことになっているのだと思います。ただ、このラストフレーズは、映像性という観点からすれば適切だろうと考えています。もちろん、このラストの直喩フレーズが限界高度 ではありません。以下のようなフレーズの詩がありますが、作品発表はかなり先になります。ちなみに、私は詩集は全く読んではいないのですが、古典的なイメージを感じられるのであれば、それは私の素そのままということになりますね。また、比喩は使いどころが肝心で、あまり乱用すべきではなく、また不自然さを感じさせることが最も詩においては禁忌とすべきことだと考えています。 >ぼくは仲間を離れて 古い壁のなかに心を隠した >空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく >木立が夕暮れを見捨てるころ 小さなカフェに入る扉の向こうで 忙しく働くきみが見える >晩夏の茂みに優しく光は揺れ 風は婚礼とともに流れている >あなたは草にすわって、薄く蒼い耳元から もつれる髪を掻き上げ、世と争う私と失くした櫛にささやく >すべてを魅了するあなたの瞳は稲妻と涙の生まれ故郷であり 真実のように非情な翠玉 光が樹木と出会い小鳥が木の葉となる空色の森 水平線を鏤めて朝と出会う海辺の青さが わたしの眼を痛めようとする >鶫が羽ばたいていた そして破壊された地に吹雪はきた それから物言わぬ書物、先の空き地、ハンマーの音 ほんの少しの光、氷った女神の耀ける美 静寂の霧、凍りついた草原 慰め、誠、自由、愛 最後に倒れていたぼくたちが歩きはじめた
0>すべてを魅了するあなたの瞳は稲妻と涙の生まれ故郷であり この表現は好きです。 >また不自然さを感じさせることが最も詩においては禁忌とすべきことだと考えています。 僕はその不自然さに作者がなんらかの意味を持たせているのでは?と考えるタイプなのでそのスタンスには共感が難しいのですが、ただそこまで潔癖な感覚をもって詩文を紡ぐ姿勢は、なんだか聖職者のような神性な愚直さがあって面白いと思います。 ただ一つ思うのは、目の前の花の美しさを表現する際、古来より誰もが試みてきた数多の表現を差し置いて、僕はきっと僕だけの言葉で紡げます。しかしwatertimeさんがそのスタイルでwatertimeさんだけの言葉で表現することは非常に難易度が高いと思います。 まったく詩集を読まないとのことですが、詩集に限らず自分以上の書き手の表現に触れるべきです。まあ、言ってほとんど読まない僕が言うのもなんなんですが、それなりに詩を読んできた自分からみるとどうしてもまだ凡庸に映るんですよ。文学に触れない方々からは褒められるかもしれません。でも僕にはまだ弱すぎる。 いや、詩を知れば知るほど魅力のなくなる作品と、詩を知ればやっと魅力が感じられるようになる作品のどちらが良いかといえば……そりゃどちらとかでなく、どっちも兼ね備えている方がいいに決まってるのですが。 watertimeさんはまず自らの客観視を疑ってみてください。本当にその言葉が読み手に届いたとき、他作品を押しのけるほど感動を与えられるのかと。紡いだ瞬間に輝いてみえたその言葉たちは、自分の内にある感覚。つまり作品外のそこに書かれていない別の力によって押し上げられていたのではないかと。読み手には直接見えない景色を、映像描写だけで持っていきたいなら、その描写を天に持ち上げんと支える腕の数が実際はまだまだ足りていなかったことに気付くはずです。そして、そこに気付いてからが詩作という長い長い旅路の第一歩だと思います。
1良い詩で確かにwatertimeさんの仰る通り、映像的です。しかし、言葉でしか出来ない表現を探るのも悪くないと思います。と言いますのは、必ずしも映像的でなければならない理由は無いということです。 白い黒、という言葉に対して映像的には映らなくても、美しく感じることはできますし、白い黒という言葉から延長して美しく書ける人もいると思います。 しろいくろ、平仮名にしてみたりとか、ろくいろし、逆さまにしてみたりとか、言葉遊びですけれど、映像性に拘らずともいい詩は出来上がると思うんですね。 いい詩だと思うんですよ。しかし、映像的に書こうとして、それまでのような印象を受けます。 余談ですが、作中に“黒髪”という単語が登場した事に、少し驚きました。私は日本人で髪の毛が黒いことは当たり前(と言っても私は若白髪で、頭部のほとんどが白い髪の毛ですが。)だったので、何か新鮮な感じがしたのです。物事に対する捉え方が、確かに日本人の感性とは違います。最初、ノヴァーリスの詩の翻訳ではないかとさえ思いました。
1ミュシャのポスター美術の様。西洋と東洋の不思議な混淆。 つまり、西洋詩の文脈で日本風物をとらえていらっしゃる(だから、黒髪という表記が必要、だった?) 1点を。
1投票するつもりだったのに、自分のコメントに引っ張られて投票を忘れていました。投票します。
1追記。 詩で、メタファーではなく写実をやろうとしているという事(未だ、心象風景の段階の様ですが)。
1類さん、コメントと投票、有難うございます。 >言葉でしか出来ない表現を探るのも悪くないと思います。 類さんの仰るとおりで、私も悪くないと思います。ただ、私の場合、日本的な言葉でしかできない表現が好きではないというのが本当のところです。海外の作品であれば、おそらく違和感を覚えないでしょうから、そこは感覚の相違ですね。私の詩は映像的ですが、その理由は日本の詩に対する反駁が根底にあります。私のこの試みがどこまで可能か判然としませんが、まずは突き詰めてみようと思う所存です。
0鷹枕可さん、コメント、有難うございます。 >西洋詩の文脈で日本風物をとらえていらっしゃる(だから、黒髪という表記が必要、だった?) 詩の登場人物は日本人として詩を書いていますが、鷹枕可さんの仰るとおり、西洋的な視点から表現を行っており、そのため、「作者の感性は日本人ではない」ことから黒髪との表記となりました。私の詩には日本的なところが全く無いのですが、そのため好みが分かれるかもしれませんね。ただ、気に入って頂ける人は強い共感を持ってもらえるかもしれないと思います。
0ゼンメツさん、コメント、有難うございます。 私は詩集は読んでいませんが、小説はかなり読んでおり(海外作家のものばかりですが)、そのためか、表現および文体は散文的です。散文詩も書いていますが、そちらの方が、より私の特性が出ていると思います。小説の表現は具体的でならないところがあり、自由奔放さが許される詩とは大きな違いがありますね。詩集を読むと、その辺りの修正が効くのかなと思います。詩を書くためには、詩集以外のものを読むべきだとの考えを持っていましたが、そこを少し改めて詩集(と言っても海外のものになりそうですが)の頁をめくってみようかと思います。
0「詩作における撮影技法」 この「婚礼」のカット(撮影)について、解説してみます。 この詩には八個のカットがあります。 どうも、日本の詩人は撮影技法に疎いようで、この欠点に気が付いていないのは問題です。 私としては、描写ではなく、撮影と表した方が適切だと思います。 ------------------------------------------------------------- 「婚礼」 岸辺から聴こえてくる 水音が、鶯の声が ぼくの川で 森の上で風がわたり、足音がすると ひとりの女性が降りてきた 爽やかで澄み切った顔に光が映え 緑の群れが彼女を祝福するように萌えている 川に揺れる水草の緑の流れと煌きが 彼女の黒髪に嫋やかな模様を作りだす そのひとの婚礼は間近だ ぼくは不思議な光景を見ると 緩やかな記憶の流れをくだり 小暗い叢に横たわって 愛すべきその影に聞き耳を立てた 彼女は水を手に汲み、それを飲むと眼を閉じて伸びをする 森の虫たちが風の鐘を鳴らし 夢の中のように飛び始めた ---------------------------------------------------------------- 1.まずは、ぼくの視点から川を映します。 「岸辺から聴こえてくる 水音が、鶯の声が ぼくの川で」 2.上空から森を映します。 ここがこの詩の最も重要なポイントで、カメラを上空に移すことによって、この詩の映像に広がりを持たせます。従って、「森のこずえ」では駄目なわけです。 「森の上で風がわたり」 3.女性の姿を朧げに映します。 「足音がすると ひとりの女性が降りてきた」 4.女性の顔に焦点を当てます。 「爽やかで澄み切った顔に光が映え 緑の群れが彼女を祝福するように萌えている」 5.川にカメラを移し、より鮮明に描くとともに、女性の髪に川の光を反射させます。 「川に揺れる水草の緑の流れと煌きが 彼女の黒髪に嫋やかな模様を作りだす」 6.ぼくに、カメラを戻します。 「ぼくは不思議な光景を見ると 緩やかな記憶の流れをくだり 小暗い叢に横たわって 愛すべきその影に聞き耳を立てた」 7.女性の全身像を映し出します。 「彼女は水を手に汲み、それを飲むと眼を閉じて伸びをする」 8.最後に、女性の周りを虫が舞う姿を幻想的に映し出します。 当然のことながら、風の鐘を風鈴にしたら駄目ですね。 「森の虫たちが風の鐘を鳴らし 夢の中のように飛び始めた」
0めちゃくちゃ良い詩だと思いました。読んでいて題材が同じポーの ”song” が思い起こされたのですが、並べてもそれほど見劣りしないように思われます。 この詩が優れていると感じた点は、読者にほとんど同じムードの同一の景を提示していながら、その見方を第5連の一文を起点にして様変わりさせてしまっていると思われる点です。 私の場合、タイトルの「婚礼」に加えて、詩に語り手とある女性が登場することから、この詩はこの二人の間の結婚のことを表すのだろうなという信念ないし、少なくともそういう気構えができていたのですが、第5連 >そのひとの婚礼は間近だ によって認識がひっくり返されるので、まず単純に引き込まれました。 また、この第5連の挿入によって、いままで描かれてきた自然に対する人為的な社会的制度(結婚)の対比関係が暗に導入されて、その結果、その後の連に危うげな影が落とされる効果があるように感じました。
1コメント欄の好評につられて、再読しましたが、たしかに、読み応えある作品ですね。次回作が楽しみです。
1いいと思いました。ふとてんとう虫のサンバを思い出したのですが、「婚礼」は厳粛な儀式だと思いました。
1鳴海幸子さん 拙作をお気に入り下さり有難うございます。 私自身、「そのひとの婚礼は間近だ」は、この詩の最も重要な箇所であり、この一文が無ければ、詩全体が意味を為さなくなると思います。 こうした点を改めて踏まえた上で詩作をしていこうと思います。
0三浦果実さん 拙作を再読くださり有難うございます。 なかなかに得難いことなので、とても嬉しく思います。 次回作、「詩、四篇」を投稿しましたので、よろしければお読みくださいね。
0エイクピアさん 拙作をお褒め下さり有難うございます。 エイクピアさんの仰るとおり、婚礼は厳粛な儀式です。 最近は婚礼の意義が薄れてきましたが、その重要性の見直しにこの詩が幾分とも寄与できましたら幸いです。
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