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暗い星のために
疑わしい歌をする人 かじりかけのクルミがテーブルの上に転がっている 待てよ 愛はないからさ 嘘をつく必要がない 騙されるという人は中がいっぱいになった頭を抱えて 騙すという人は空っぽな意図しか持っていない 教えられるという人は騙すようになれることだけを念頭に持つ 教えるという人はその意図を知ったうえで深い知識の泉を揺らす 何回でも舌を出せばいい 支配する眼差しは愉楽以外の何物でもない ゆっくりと学ぶ人はバックスラッシュをいとおしむ トタンに打ち付ける雨か 砂を乾かす太陽か 雲の下にある感情あふれる声か 楽にしてくれる三つのオーバービューズ 笑い声が正しく思えるようにと 半分の凝視が調子を外して昇天していく 抱えているもう半分の凝視ために恐らくは地の底へ落ちるのだろう 愛はあったというべきだろう 微笑みを惜しんでいるわけじゃなく これは全て恐れと気持ちの喪失とが大げさに味付けされているのさ
暗い星のために ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 966.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-30
コメント日時 2017-12-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
騙すのも騙されるのも そこに期待があるからだろうね 未来を夢見ることさえなければ こんなに空っぽの心をぶら下げて 暗い星の裏側を 見つめて見つめて見つめ続けて それでもなにも見えない暗さに 痛みを覚えることなんてなかったろうに 「じっと凝視(みつ)めるな わかい友 自然が与へる暗示は いかにそれが光輝にみちていようとも 凝視めるふかい瞳にはつひに悲しみだ・・・ 手にふるる野花はそれを摘み 花とみづからをささへつつ歩みを運べ 問ひはそのままに答へであり 堪へる痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ」伊東静雄は静かに決然と 答えを求めることを棄てた 問いに出会うそのときの心のおののきをこそ 携えて歩めよと 不眠と神経症と極度の不安に苛まれる夜を抜けて 詩人は痛みを受け入れた そんなに凝視めるな その先に行け
0まりもさん お読みくださりありがとうございます。 素敵な返詩です。伊東静雄に凝視の詩があるとは、少し驚きましたが、詩の問いとして、 自分の思いを深めることが出来て、とてもよかったです。 人間は、どんな小さなことでもいいから、騙したいと必死になるものであるというのが、 僕の実感です。最初に騙されたのは教育であったり、自我と他我の価値観の違いであったり。 そこら辺のことを、気にするといえば気にする僕自身の考えたことについて、書きました。 自分を救うこと、さらに他者への呼びかけも、含まれています。凝視することが迷うことである と言っているような、伊東静雄の慧眼は、まりもさんの手に渡ったとき、先へ行けと、ガイド をされているようでもあります。そういう、なにがしかの相互的コミュニケーション(というか、 読詩と感想と提示)が生まれることにおいて、ささやかな文学行為として、人を変えるような 力が生まれたという感じがします。 感じることのできる力を、広げていきたい、そのために、やはり、人を見習わねば……。 僕の凝視は、何らかの形で解かれるべき、というか、自分の心の狭さと、視野の狭さ、 思い込み、それらが簡単にも難しくもある形でもう存在してしまっているのですが、実際にそういうところで 悩んでみた自分について、効用とまではいけなくとも、よい詩を作るということとともに、 心をどう扱うべきか、というような、青年(とはいってもそれなりの年ですが)らしい、 自己の幼さへの回答を、僕なりに成り行きであれ掴んだところを、自分流に実現していきたいと 思うところであります。
0>疑わしい歌をする人 >かじりかけのクルミがテーブルの上に転がっている >待てよ >愛はないからさ >嘘をつく必要がない >騙されるという人は中がいっぱいになった頭を抱えて >騙すという人は空っぽな意図しか持っていない >教えられるという人は騙すようになれることだけを念頭に持つ >教えるという人はその意図を知ったうえで深い知識の泉を揺らす 難しい詩だと思いました。別に書いてある言葉或いは語彙そのもの自体は平易だと思うのですが、始まりの疑わしい歌と嘘をつく必要がないのは、愛がないからと、その間に挿入されるかじりかけのクルミがテーブルの上に転がっている状況。ですよね。ここが、なんというか、上手くつかみ取れそうでとれないような距離感があって、絶妙だと思う一方。なんで絶妙なのかが分からんという感じです。そこに詩の鉱脈がある感じがするのですが、中々そこら辺が難しい。まりもさんの返詩という形式でのアンサーというのが、なんだろうな、伝わるのかなぁと、思いました。基本的に、僕が毎回黒髪さんの作品に思うことは濃密である事、まずはそこから始まるので、毎回同じような感想になってしまうのですが、取りあえず僕が好きだった所を触れる事でひとまずの感想にしようと思います。 騙す/騙される 教えられるという人/教えるという人 というスラッシュがあって >ゆっくりと学ぶ人はバックスラッシュをいとおしむ >トタンに打ち付ける雨か ここがものすごく面白いですね。イメージとして、バックスラッシュに逆向きで降ってくる雨をかぶせてくる。それからやっぱり、冒頭の二行が好きで、それは同時に僕はイメージそのものを通じて自分を知るのがてっとり早い人間なのかなと思いました。多分大事な事ほどゆっくり考える必要があるだろうし、簡単に結論を出していけないとは思うのですが、中々時間というのもは短くてどうしようもないですね。今回はここまでという感じです。
0hyakkinnさん お読みくださってありがとうございます。 この詩は、歌について書くことから始まります。クルミのところなんかは、歌のカッコよさを装飾する 意図のみで、暗喩を書いたわけではありません。でも、お読みくださったとおり、イメージはあり、 意味の展開する背景にはなっていますね。図らずとも偶然的に進んでいきますが、騙すと教えるについては、 避ける事のできない主要部分であり、トタンの雨はオーバービューとして書きました。 濃密であるということを感じて、少しでもいいから、何らかの正の気持ちが、hyakkinnさんのなかに、 感じていただけたら(すごく真摯に、たくさんレスを書いていらっしゃるので、その一つとして 読みによって作られるhyakkinnさんの詩世界には、一つの星として、輝きを放っているのは間違いない と、僕は思いますが)、自分の価値が増えたような気持ちになり、嬉しいです。
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