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かもめ
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かもめ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1611.6
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-10
コメント日時 2017-12-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
原文 http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=196;uniqid=20091208_051_4007p#20091208_051_4007p モールス信号変換 http://morse.ariafloat.com ながすぎたうたが ながされていった しぶきゅうふは かもめになってそらをとぶ わたしたちのすごしたはまべに おとこたちのゆうべは おんなたちのあしたで くずされたすなが ふたたびたましいをつくり たてられたかさがうめつくす ひとりきりですごした しおみずのかおりが おとこたちをかたむけて おんなたちにそそがれていく かさはとじられて やってきたゆうべ からになったうつわが すなのなかにくずされて すなはうみのなかにくずされて うみはうたのなかにくずされる うたはおんなたちのむねでねむる やがてかもめのなきごえがきこえ おんなたちはおりかさなって うみにはいりこむかわのながれになり としおいたおとこたちが かさをふたたびひろげ あさひがおぼろげなせなかに かもめはほほえんでいる
0ミニマルでアンビエント。非常に美しいと感じました。あえてもとの詩はお読みしていませんが、「・」と「ー」が作り出すリズムがとても美しいなと思いました。コンセプト的に、もしかしたら同じアイディアで複数作品を作るのは難しい(2回目以降はまったく新鮮味を失ってしまう)という点では一発勝負的な作品でもあるかな、とは思いますが、いつまでも眺めていたい、そして気が向いたら一部を「読んで」、というふうに作品全体の持つ大きな波と、細部に宿る繊細なノイズ両方に耳をすませていたくなるようなとても美しい作品だと思います。
0こんにちは わたしは、今日 この詩に まつわる すこし不思議な体験をいたしました。 私は、この詩を ちいさま山の中にある広島市現代美術館で開催されている 藤森照信という方の{自然を生かした建築と路上観察}なるものを観た直後に読みました。 如何に自然物を建築と融合するかが 藤森照信の取り組みのようでした。 それがですね。そこで、わたしは この詩と そっくりなモノを 見たのです。 美術館内の壁のかなりの面積の白い壁に無数の 炭が埋め込まれていて、その様子が この詩に そっくりだったのです。白い壁面に なにやら無数の すがすがしい黒いものが点在していました。それは 壁一面に炭を点在させるという藤森照信の試みの 一つでした。 静かな館内を出ると いままで感じたことのない感じの 鳥の生き生きとした声を聴きました。 たぶん 私の耳が しずかな場所にいたせいで研ぎ澄まされていたのだとは思いますが。 そして、この詩を 呼んだのです。 おもわず、この詩の可視化と 可聴化が 同時に おこったのかと、思いました。(カモメはいませんでしたが) 当然のことながら、私は 想像したのです。このモールス信号詩が美術館の広い壁面いっぱいにに 表現されている様子を想像しました。すると、とても至福でございました。貴重な体験をありがとうございます。
0敢えてモールス信号にしたのは、海を飛ぶ鴎の群れを表現しかかったからですか? 模様や記号が何かに見えてくる現象、好きだったりするのです。
0皆さま、お読みくださりありがとうございます。私は、モールス信号の美しさそのものに対して、つまり記号的なものの美そのものに対して懐疑的なのですね。例えば、「・」を「トン」に、「ー」を「ツー」に置き換えて考えても別に構わないわけです。それで、本作についてですが、例えば先に言ったような変更をしたのでは、言語の本質に迫ることはできない、と考えたのです。 私はいつもいつも平謝りしてばかりいるのが嫌なので、あえて言わせてもらうと、この作品には、他のどんな作品にも見られないような意匠を込めたのです。それは、直球勝負ばかりしている皆さんの詩風に対する、直接的な挑戦状であって、言語を解体し、言語の物質性に差し迫るようなものを求めているわけです。それは、例えばイヴ・ボヌフォアの詩論なんかを持ち出すまでもなく、すなわちフォルム(形態)の美しささえあればそれで良いという、そういう問題意識を持ってこの詩には取り組んだのです。何故そのような作品を書いたのか。それは、ネット詩という領野そのものが、コミュニケーションの過剰とでも形容すべき、ある種の飽和状態に陥っているように思えたからです。すなわち、コミュニケーション性そのものに対するアンチテーゼとして、こういう作品を打ち出しているわけです。少しきつめの言い方になりましたが、これから書こうと思っている論稿の下地にも近いアイデアですので、ここに晒しておこうと思います。
0すみませんが、みなさまあてに 返信を書いて おられるならば、るるりら以外はという 明記を お願いいたします。
0るるりら様に向けても書いていますよ。
0それは、失礼いたしました。
0あり
0スマホで操作ミスをしてしまい「あり」などという謎のコメントを表記させました。すみません この詩の試みによって 私の目が感受したものは、 アラビア書道を アラビア語圏ではない地域の建物に描いているアーティスト エル・シード(eL Seed)の芸術に通じるものも 私個人は、感じました。 みなさまあての コメントを拝見し、kaz.さんのおっしゃるコミュニケーションの過剰とでも形容すべき、ある種の飽和状態という見解姿勢にも 目が醒める思いがしました。 わたしの初読の感動を 作者にお届けしたかったのですが、難しかったようですね。しかし、心が動いたのは わたし個人の心の自由です。 再三にわたり 失礼いたしました。 以上です。
0<言語を解体し、言語の物質性に差し迫るようなものを求めている>あるいは <コミュニケーション性そのものに対するアンチテーゼとして、こういう作品を打ち出しているわけです> これはそういうことなんだろうな、とは思いますが、私はこの方向性には限界を感じますし、この種の問いかけなら別に誰も知らない言語に翻訳してそれを載せてもいい訳です。あるいは自分で言語を作ってしまうとか。例えばですが。なぜそれをせずにあえてモールス信号を選んだのか?そこにコンセプトとしての必然性や強度は果たしてあるのか?そこを問いたいです。それを感じとることができなかった以上、記号としての美しさでしか読み得ないと感じました。 飽和状態に対してはそれに対して個人的に何かしら訴えることはできても、それで何かを変えられるとは思っていませんし、こうした挑戦そのものが逆説的にむしろ飽和状態をさらに飽和させる気もしています。ネットとはそういうものではないかと、一種の諦めしかないです。その飽和状態とコミュニケーション過剰、そういったネット特有の諸々、それが私にとっては都会の美しい夜景のごとくに感じられます。たとえそれがどんな闇を隠しているとしても、その中でどれほどの人がどれほど苦しんでいようと、明滅する夜の光の美しさのまえでは「美しい」というほかないのと同じように、この作品の前では「美しい」という言葉しかありません。その裏にどんな挑戦が隠れていようともです。つまり私にとってこの作品は一種の都会の夜景なんです。
0私は古典的な作品が好きなのでこういう作品は理解できなくていい、と思って素通りをしていたのですが、るるりらさんのコメントを拝見し、 「なるほど、たしかに美術館の壁一面にバーン! とこのモールス信号が打ってあって、かたすみにもとの詩が書いてあったら素敵だろうな~」 と思いました。 かもめみたいに見えてきれいです。 でも、作者にるるりらさんの読みよったような意図がないのであって、レスだけの意図なら、残念ながらこういう詩ってネットの世界ではよく出てくる、ものすごくありがちな表現かと。 (それは、わりとこちらのサイトにいろんなかたが「現代詩に挑む」というような意図で投稿される作を拝見して思うことでもある)。 15年くらい前かな? 私が中学生で、ネットの投稿詩サイトがあふれるほどあってふらふら見ていた時から、こういうものがあったような強烈な既視感がします。若い人に多い詩風で、若い人のウケがいい気がするけれど、はたしてあのころの投稿サイト、投稿サイトでもてはやされたものを書く人が、どれだけ残っているんだろう、と。 「言語の本質」に迫られたいのであれば、誰が読んでも感動できるものを平均的に提供できるようになってから、こういう実験的な作品をもっともっと突き詰めて作られてもいいんじゃないんでしょうか。ピカソだって素が天才的に上手だから、あれだけ崩しても評価されるわけですし。 私は常日頃書くものがいつも平均以下ですから、ぜんぜん実験できない。 少なくとも、「書いた詩をネットのモールス信号変換サイトで変換してみました」じゃ甘すぎる気がします。 survofさんのおっしゃるように「自分で言語を作ってしまう」とか、毎回毎回、そらで覚えたモールス信号でしか人ともやりとりをしないような作者のキャラクターとしても強烈さがあると、面白いかも。 論稿を書かれているということで、きっと整った文章も書かれる方なのでしょう。そういった文章も拝見したいような気がします。
0るるりら様 そういうことでしたか。それは失礼致しました。エル・シードは初耳でしたが、バンクシーは知っていたのでそれをもとに語るなら、バンクシーにも近いかもしれませんね。 suvrof様、都会の夜景、という表現は、美しさという観点から見ますと、この作品にはもったいないぐらいの賛辞なのですが、多分都会の夜景のように「遠くのこと」というニュアンスも含まれているように感じます。夜景で例えるならば、私が目指しているのは工場夜景ですかね。何かを延々と生産し続け、輝いているがその内実には他者が、生活が、見えない。そういう境地でしょうか。 田中修子様、どうもありがとう。とりあえず、活字でできることは一通りやったと思っているので、問題はネットでできることとは何か、ということだと思います。新しさなんてなくたって良いのです。私が思いつきそうなことは、だいたい誰かがやっているのですから。今時間がないので、またできたらお話しますね。
0かもめ、という題名と、無数の点と線から、私は大海原を思い描きました。 たとえば、ビジュアルポエム展などに、銀板に刻んで掲示されていたら、はっと息をのむような衝撃度を持って迫って来る作品、かもしれません。 ・・・ひらがなでつづられた「抒情詩」の部分、音の流れも言葉の響きも、とても美しい、のですが・・・イメージの展開も、いいなあ、という思いがあったのですが・・・モールス信号の部分を、「翻訳」すると、この詩に成る、ということ、でよいのでしょうか。 海原をイメージしながら読んだので、翻訳作品、を読んだ時のイメージというのか、読後感と、実はあまり変わらなかった。その理由を考えているのですが、どうも言葉になりません。 激しく突き刺さって来るような「情動」ではなく、たゆたうような言葉の流れで、胸の内に去来する歌の由来、そして、エコーのように聞こえて来るカモメの声、砂浜に寄せる波の音・・・を想起しながら読んだから、かもしれません。 点字の詩集を「ながめ」ながら、それともまた異なる。言葉って、なんでしょう。外国語であっても、同じコードを理解する人であれば「意味」を交換可能、であるわけですが・・・質感とか、イメージを伝える、その力も、文字にはある、はずなのだけれど・・・行間にも、詩形にも。 戦後詩が、書になじまない、という批評家の言葉を読みながら(近代詩は書として上手く収まる)メディアと書法について、考えている所です。
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0本作をどう感じたのか、うまく言葉にするのは難しい。僕はモールス信号知らないのです、ラピュタの冒頭のシーンに出てくる事以外はあんまり知らない。僕は専門家じゃないから細かい事は言えないのだけれど、モールス信号は我々の持つ言葉から形と音を奪って、棒と点の形に置き換えてしまう。その他の要素は多分あんまり差違はない筈で、でもこうして置き換えられた途端に、タイトルに「かもめ」と置かれてしまった瞬間にそれまで保たれていた形や音が、カモメの群体に変化してしまう。 そういう意味で言葉の性質をより形として認識してしまうというのですかね。中々難しいですが、言葉から形と音を奪い、そこに新しい形を植え付けるという試みかな。そういう意味ではちゃんと喧嘩を売れている感じがします。この作品は「日本語」で書かれた文章なのですが、モールス信号を取り入れてない人間からすれば、かもめの群れに見えるっていうんですかね。
0皆さま、お読みくださりありがとう。 まりもさん 近代詩と現代詩という区分じたいが、もはや時代遅れのような気がします。わたしは勝手に、これからのネット詩は、ネット詩ではなく、クリエイティブ・ライティングとして、あるいはそれに類する名前をつけて評するのがいい気がしているのですね。くだらない往復書簡みたいなのをアート作品にするよりかはその方が生産性があると思います。 白島さまへ -・ --・-・ ・-・・ -・-・ 百均さんへ これがかもめなら、間違いなくかもめのジョナサンみたく加速してそうですね。なんちゃって。
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