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夢の霞の果てに
現在の美麗な境遇に酔いしれたり 冒険の気分のさなかにあったり 何か既存のものとは区別できるような主義を思いついたとき 人は最も幸福なのだろう そしてとても健全だ ひょっとして他者は羨んだり迷惑がったりするかもしれないけれど そんなことはこの人には見えない 幸福な者は夢の霞の中を駆け抜けるものだ そして駆け抜けたとき我に返り 再び物事をありのままに見ることになる でもありのままに見るということもまた夢だ 人はこの夢にも酔いしれてまた駆け出す 夢の霞の果てという場所があるのだろうか あった 欲動と暴力こそがそこで首をもたげている 破壊されて瓦礫だけの平野となった町 人が以前の夢を取り戻すのは難しいことだ あんなにも親しかったものなのに もはやちょっとやそっとの力ではどうにもならない これこそ本当のありのままということ 今日僕は怖くて怯えた 女性から愛を打ち明けられたから 砂漠のような僕から何を得たいと言うのだろう 何もないことが恥ずかしかったのではない 夢の霞の果てにある欲動と暴力がありありと感じられたからだ
夢の霞の果てに ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 814.7
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2022-04-04
コメント日時 2022-04-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
一行一行が綺麗に繋がっておらず、訴求力がない詩という印象でした
1お読み下さりありがとうございます。感想、批評、ありがたく思います。著作は読者に曝されてこそ意味を生ずるものです。詩文のみを読んで批評をいただきたいので作者の私がこの作の解説を書くのはやめておきます。指摘されたことは次の創作のときに意識して書こうと思います。
0夢の霞の果てに、暴力と欲動が首をもたげている、ということについて、もっと 説明があっても良かったと思います。フロイトなどがいっているのでしょうか。 幼い時の夢の中から、その向こうには、青年になって暴力と欲動が待っている、 ということでしょうか。すると、幼児は非本来的な存在で、暴力と欲動 の本能(?)がある成人期が本来である、ということでしょうか。 しかし、もっとよく読むと、ありのままに見ることさえも夢であり、夢でないのが、 暴力と欲動だけである、とおっしゃっておられます。すると、暴力と欲動は、 幸福を壊す物でしょうか。それは、個人一人であれば幸せなのに、それを壊す 必要が人間や、動物の本能にはある(生きぬいたり、手に入れるために)、という ことでしょうか。暴力と欲動は最後に果たしてどうなってしまうのか、といったことを、 がれきの街が示唆している、すると、暴力と欲動を制御する方法を考えねばならない、 といったことを思いました。 興味深く、しっかりとした叙述の作品を読ませていただき、ありがとうございました。 もっと、夢や暴力、欲動のバリエーションを、自分の中で見つめ直し、想像し、 知識に入れていこうという気になりました。
1お読み下さりありがとうございます。私は「考えてから書く」ということをあまりせず、「考えるために書く」「書きながら考える」という態度・方法をよく取ります。この作もこの種のものです。フロイトの著書は実は読んだことがないもので、いつか読みたいと思っています。人は通常何かに囚われていて、そうでもなければ空しいものだと思います。なんの動機も持てず、なんの行動も起こせないと考えました。夢に囚われているのが普段の私たちの状態であると考えました。「破壊されて瓦礫だけの平野となった町」はウクライナ情勢がモチーフです。人間の行為はなぜあんな「果て」に至るのか。第五連の「女性から愛を打ち明けられた」「僕」も事実がモチーフです。より一般的に考えるなら女性からでも男性からでもよかった箇所です。私のこの、考えるために書いた、おそらくはまだ考えている途上にある未完成の詩文を深く読んでいただき、感謝です。私もまた、勉強の必要と意欲を抱いているものです。
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