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<歴史遺産>
私は様々に進化を遂げる動植物を含め、この地球全体が人類に託された歴史遺産だと思う。 (託されたとは、人間が動植物より優位に立つということではなく、むしろ、 環境や遺産の破壊は、人間いかんにかかってきたことを意味する。) 従来の保護制度の長所を残しつつ、一点豪華建築の保護から、面つまり風景全体を 広く保護する制度への移行を推し進め、生き物の始源から未来への歴史の舞台として大きく護る、 という考え方に立って欲しい。 また、保護優先ということで現在博物館的に、どちらかといえば隔離しているものを、 もっと生活にとけ込ませる形で、一般の人々がその中にはいって日常的に活(使)用し、 そのことで損なわれるものは、高い技術で修理、修復していく循環システムが、 経済的にも確立していくべきだと思う。 そこに人間が入ることで損傷よりも保全につながるような、ものや環境についての 意識教育が先駆けて行われることも重要だ。 時代と人の暮らしが、残すべき過去の遺産に密着し新たな血流となれば、 問題となっているレプリカ保存とは異質の、生きた歴史保存といえるのではないだろうか。 そして(これは暴論になるかもしれないが、)それでもなお滅びるものがあるとすれば、 その「滅び行くという美」の存在も認めていいのではないか。 むしろ歴史的美をふまえた新たな歴史遺産の創造に積極的に取り組むべきだと思う。 今開発というときそういう美の思想が欠落しているために、ともすれば開発イコール破壊になっている。 歴史を組み込んで未来をデザインすることがもし可能になれば、反対運動の矛先となる 【開発】という言葉も実質も、悪から善に転じるかもしれない。 保護も保存も開発も、人類が到達しうる最高の美を目指して進んで欲しい。 素晴らしい環境は、そこで育つ子どもたちに何か善なるものを信じさせる。 そういう大きな意志で未来を築いていくきっかけとして、歴史遺産の果たす役割は不可欠だ。 (2004)
<歴史遺産> ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1182.7
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ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-28
コメント日時 2017-10-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
小論文の模範解答の一例、のような印象を受けてしまうのですが・・・それは、意図的に、選択されたものなのかどうか・・・ 宇宙船地球号が、人類、のために作られたもの・・・そんな産業革命以来の人間の振る舞いが、少しずつ、共生の方向へ変化しつつあると思っています。 その、共生に至るためには、人間が欲望を抑える必要がある。理性による抑制が効果的だとは思いますが・・・そして、それは教育や学習によって可能なのかもしれませんが・・・他者への驚嘆やリスペクト、美への感動、未知への畏怖、そんな、非理性的な感情の方が、より強く、共生へと人を促すのではないか・・・ とはいえ、感情は片寄りがちですから、理性による制御も欠かせないわけですが。 開発、にあたり・・・ただただ、手を加えず、人が入り込まないようにして、保存する、という発想を取るのか? 保存されるべき対象の持つ、美や感動を与える資質が周知され、自ずから人間が欲望を制御して、自然保護や環境保護に踏み出す筋道をつけるのか・・・ と言った、もろもろの問題を孕んでいるとは思いますが・・・ あまりにも正論を淡々と抑制的に論理的に記しているので、語り手の感動の所在や、こうした発想に至る必然が見えない。 歴史的美や、美の思想の欠落、それこそが、話者が問題として投げ掛けたいものではないのか?そこを突いていく、抉っていくような鋭さがほしい、そう思いました。
0論文的記述が詩にならないという考え方は誤りだと思う。 美しい論文は充分詩にも成り得るはずで、それは何をもってして美しいと解釈するのか。 あなたの色、あなただけの言語色をもう少し意識してみたら如何だろう。 このことは個性といったパーソナリティーにも当然つながる訳ですが、詩には読ませて思考を促すだけではない、写真や動画のような、脳裏に浮かぶ瞬間の残像も必要不可欠なのではないか、とも思います。 「余談。京都近辺に安くて住みよい空き家はないでしょうか。追々情報を伝えて頂ければ幸いでございます。」
0まりもさん、小気味よいコメントをありがとうございます。 >歴史的美や、美の思想の欠落、それこそが、話者が問題として投げ掛けたいものではないのか? だめ出しの部分だと思いますが、とてもうれしく読ませていただきました。 上記を考える詩やエッセイで、常に前提として私の中にある柱のようなものでしたので、 今回は、脚色を加えずそのまま置かせていただきました。 が、独立した一編として魅力的に作品化するということが、伝達したい性急さのゆえに往々にしてできていない、と反省しています。 それこそ風景のように、全体と細部の美をともに追求しないといけませんね。 >あまりにも正論を淡々と抑制的に論理的に記しているので、語り手の感動の所在や、こうした発想に至る必然が見えない。 そうですね。他の多くの作品でそれに触れた際、正論と言うより極論と受け取られているのでは、と言う恐れがいつもあるのは確かで、それに対する身構えもあったかも知れません。 ついしん: 以前まりもさんが拙作「ダグマ Ⅲ」へのコメントで書いてくださった >文化遺産や歴史遺産を「人質」にとって、自分たちの短期的、短絡的な欲望を満たそうとする・・・ >この不毛性と・・・文化遺産を守るために、失われる命の問題と・・・。 >ドレスデンの再建に関する、詳細なドキュメントと人々の情熱を見て、圧倒された想いがあります。 に対して、以下の部分は私なりのレスになるかも知れないと思っています。 >そして(これは暴論になるかもしれないが、)それでもなお滅びるものがあるとすれば、 >その「滅び行くという美」の存在も認めていいのではないか。 >むしろ歴史的美をふまえた新たな歴史遺産の創造に積極的に取り組むべきだと思う。 アラメルモさん、コメントありがとうございました。 >美しい論文は充分詩にも成り得るはずで、それは何をもってして美しいと解釈するのか。 >あなたの色、あなただけの言語色をもう少し意識してみたら如何だろう。 >脳裏に浮かぶ瞬間の残像 示唆に富んだコメントありがとうございます。 確かに、かつてそういう散文、批評(嵐のような、天翔る馬のような、万華鏡のような)を連日読んだことがありました。 さては酔っ払って書いてるな、と思ったものでしたが(笑)、 飲んでも飲まなくても、地に足がつき醒めすぎていると感じさせたら、その時点で負け?かもですね。 (余談について。 詩人が気軽に集える拠点作りを、いよいよ始められるのでしょうか。 又、ご連絡しますね。)
0そうですね。芸術と夜遊びに人生の半分を捧げてきました。 後いくら生きられるか、これからはもっと自由にこの身を捧げて生きたい。 若い世代の方には芸術に身を捧げるというよりも、お金に執着しないでも豊かに暮らしていけるような社会を創造してほしい。 何かの役に立ちたいとは思っております。
0花緒さん、お久しぶりです。拝見してますよ。 佳い詩が書き込まれているし、名前を知る書き手たちも集いはじめていますね。意識の高い批評を重んじるあなた方の努力の成果でしょう。追々前衛的な詩も投稿されると刺激にもなりまた活気づくでしょうね。頑張ってください。フィオリーナさんにはレスをお借りして申し訳ない。少しだけ挨拶を。
0アラメルモさんへ 大変重要な補足をありがとうございます。〈論文的記述が詩にならないという考え方は誤りだと思う。〉まさしく、おっしゃる通りだと思います。この点に関する言及が不足していました。 まず、成立した作品としての詩(poem)と詩情(poesy)とを、ゆるく分けておきたい、と思います。そして、アラメルモさんがおっしゃる「詩」は、この場合、詩情を強く感じさせる作品、という、大きな枠でとらえておられるように感じました。 実は、私もまだ、明確に定義できていないのですが、ビーレビューで言う「クリエイティブライティング」と、旧来の(口語自由詩100年の歴史の中で、漠然と形を成してきた)詩とは、重なるけれども、一致はしていない、と思っています。大きなクリエイティブライティングの円の一部にかかるように、「詩」(時に現代詩、とくくられる)小円がある。そして、クリエイティブライティングの大きな円の境界線は、まだ曖昧ではっきりとは見えない。いずれ、その領域が、ビーレビューという場の中から生まれていくのではないか。だとしたら、その領域が成立していく様子を見たい。そんな予感や期待を持って、このサイトに参加しています。 前置きが長くなりましたが、たとえば、リルケのロダン論は「詩」なのか。谷崎の陰影礼賛は「詩」なのか・・・形式だけを問うとしたら、まったくナンセンスな問いですが、私たちがこうした文章から刺激を受けたり、感動を覚えたりするとするなら、そこには詩情があるに違いない。それは広い意味での詩、であるだろう、ここで呼ぶなら、クリエイティブライティングであるだろう、と思っています。 そして、私たちが受ける感動の由来は、もちろん内容(思想、想像力、物語られる記憶、心象映像etc.)にもよると思いますが、同時に、文体であるとか、言葉の強度、音韻が生み出す情感、詩形(詩面)といった、視覚的、聴覚的要素にも多くを負っているだろう、と思っています。 アラメルモさんの〈あなたの色、あなただけの言語色をもう少し意識してみたら如何だろう。〉というコメントに、強く共感致しました。同時に、それは形式面での話にも通じるのではないか(文体や言葉の強度といった)部分に寄ったアドバイスでもあるように感じました。 そうした、文体そのものが醸し出す詩情が、抑制され過ぎているのではないか、ということが、フィオリーナさんの今回の作品に感じた、もどかしさの要因であろう、と思うと同時に・・・仄めかされている、フィオリーナさんの「詩情」の由来が、より強く表明されていれば・・・と、僭越な言葉を使うなら、不満を感じたのでした。 それは、詩情を装った、装飾過多な形容詞や修飾語を用いるとか、気取った言い回しや、気障なレトリックを用いる、というようなことではないはず、なのだけれども・・・。 ここから先は、フィオリーナさんへのコメントに引き継ぎます。
0フィオリーナさんへ 好意的に受け止めて下さって、ありがとうございました。ご返信を拝読しながら、いろいろ思い出したり、考えさせられたりしています。 〈「滅び行くという美」〉〈歴史的美〉について。思い出したのは、たしかベトナムのアーティストだと記憶しているのですが(名前を失念しました)描いた作品を、野ざらしにするのですね。そして、紫外線に焼かれ、雨に打たれて、朽ちていく、その経過そのものを、美として提示する。写真を撮って、その瞬間を固定することはせず、ただ、自然にまかせていく。獣が破いたりする、その偶発的な行為も含めて。 非永続的な美を、一瞬の美として固定し(殺してしまい)それをレプリカのように博物館や美術館に展示すること。そのアーティストは、そうした「変化する美」を「不変の美」として固定し、殺してしまうことを畏れ、避けたのだと思うのです。それは、最も美しい瞬間の愛する人を、その瞬間を永遠に保存するために、殺して剥製にして保管することと、どう違うのか。それこそ、比喩による極論ですが、そんな問いも喚起されますね。そして、フィオリーナさんは、そうした保存の仕方に、違和感を覚えておられるのでしょう。 美を感じる瞬間、その一瞬性と、非永続性・・・変化し続けるということへの想いがあるのでしょう。あえて、写真で「固定」しないことも含めて。その変化を見守り続ける心の中に、フィオリーナさんのおっしゃる、滅びゆく美へのヒントがある、と思うのです。 あるいは、茶器の美。芸術作品として作られたわけではない、庶民の飯椀として作られたものに、ある日、ある時、一人の粋人が「美」や「おもしろみ」を見出す。その器を用いて行われた茶会、その時と場が、その器の「記憶」として加えられていく。記憶は、物語ること、でもある。器の来歴は、歴史であり、ストーリア、物語、でもある。「器」の言葉は・・・たとえば、貫入にしみこんだ茶渋の色や、金継ぎの痕、時には、火災の煤痕・・・など、外見が無言で語るものは別として・・・受け継いできた人々の記憶、その人達の集合的な物語でもある。その集合的な物語が、ある日、ある時、一人の詩人の心を動かし、器そのものの記憶、として物語られ始める・・・それは、器の魂の言葉を、詩人が代弁した、と言えるのではないでしょうか。 歴史遺産が内包する、その歴史遺産に様々な形で携わってきた人々の集合的物語、記憶の集積を、物語ること。それこそが、〈歴史的美をふまえた新たな歴史遺産の創造に積極的に取り組むべきだと思う。〉というフィオリーナさんの結論につながる言葉、なのではないでしょうか。そして、フィオリーナさんが、作品創作を通じて試みようとしておられること、それこそ、物語る、という行為を通じて生み出される、新たな歴史遺産、なのではありませんか?・・・そんなことを、お伝えしたい、と思いました。
0*アラメルモさん、ありがとうございます。 自分のできる範囲で、どこまで豊かに生きられるか、人生の後半には試せますね。 現ふぉに最初の私信を送らせていただきましたが、 今後はbレビュウの私信、又はフォーラム・雑談コーナーでの公開書簡でいかがでしょうか。 *花緒さん、ありがとうございます。 >滅び行くという美、という観点をもっと推し進めて書かれた物を読んでみたいような印象も受けました。 ものや出来事に時間が宿り、それが美になったり、滅びになったりするのを、 わたしたち人間は、「視ている」「記憶する」存在として、何かを託されているのでしょうね。 焦点を絞ってこれからも書いてみたいような気がします。 「ダグマⅢ」は私にもとても愛着があり、うれしく読ませていただきました。 *まりもさん、ありがとうございます。 コメント(具体例)そのものが、深い洞察と理解を土台にしたクリエイティブライティングと感じました。 私は美術や歴史についての基本的な学びがあまりなく、美術館等の狭い場所も苦手で、 訪れることも稀にしかありません。 ただ日常使う美しい雑記や、散歩の途中に見る建築や庭、見渡す景色に思うことを 無知を怖れつつ書いているのが現状です。 テロや戦争に言及しましたが、基本は、「最高の散歩道を私にくださいな」 というのが出発点です。 それでも、空にも大地にもあふれるほどの圧倒的で繊細な美があり、けれど、 そのことに気づきもしないかのように滅びていきます。 人間はそれを惜しむためだけに生まれたのか、と思うほどです。 そして、滅びまい、滅ぼすまいとする儚い努力を続けています。 自然の無尽蔵に比して、人間に属するものはあまりにも有限であることに気づいているからでしょうか。 映画「イル・ポスティーノ」の郵便配達夫は、そのすべてを虚心に驚き、愛する人でした。 >たしかベトナムのアーティストだと記憶しているのですが(名前を失念しました)描いた作品を、 >野ざらしにするのですね。そして、紫外線に焼かれ、雨に打たれて、朽ちていく、その経過そのものを、美として提示する。 このアーティストも同じ心の持ち主なのでしょうね。 しかし、言葉を持つ人(ネルーダ)は、それらを書き留めました。 「イル・ポスティーノ」には、滅び行く美と、文字を(初めとする記憶する手段を)獲得した人間の運命が描かれていたと思います。 狭い意味での歴史遺産もその有限であることにおいて、できるだけ長く持続して、 現代に失われている美や技術を伝え、復活するよすがとして欲しいと私も思います。 けれども、そのために今生きる人間の生活を遠く離れてしまったら、何のために存在しているのか、 ただ未来に引き渡すためだけの保護になっているのではないかと感じます。 今生きる人間の時間が寄り添うことでしか、まりもさんの言われる「集合的物語、記憶の集積」と言う美を積み重ねることも、 そこに触れた人間たちが生き生きと物語ることもできないと思うのです。 私たちは、あの郵便配達夫であることだけでいいな、と思いつつ、 書き記すという誘惑に負けていくのかも知れません。 *天才詩人さん、ありがとうございます。 >京都に詩人さんのたまり場をつくる話、クラウドファンディング等をつかって本格的にやってみたら面白いのではないでしょうか。 文学極道の「明け方の夢」という荒唐無稽な詩から始まったことですが、本格化するとなると気を引き締めてゆきたいと思います。 目下アラメルモさんとの私信段階ですが、もしよろしければ、bレビュウの掲示板で、クラウドファンディングを含め、多くの方のご意見を聞きながら、 アラメルモさん(清貧に豊かに)と私(孤独な女性詩人が何度も訪れたくなるような、美しくおいしく居心地のよい場)を目指して、 【詩人の家】(仮名)をつくっていきたいです。よろしくお願いいたします。
0誤記を訂正します。 ①まりもさんへのレス中 ただ日常使う美しい雑記や、→ただ日常使う美しい雑器や、 ②天才詩人さんへのレス中 もしよろしければ、bレビュウの掲示板で、→もしよろしければ、bレビュウのフォーラム・雑談コーナーで
0天才詩人さん ありがとうございます。 すでにフォーラムに kyouto 【詩人の家】(仮名)にむけて として、トピックを立てたのですが、名前の欄に英数字が入ってしまいました。お手数ですが、fiorina と差し替えていただけないでしょうか。よろしくおねがいいたします。
0fiorinaさんの整った文章が、私は、とても好きです。 崩れた文章しか書けない人、たとえば私ですけれど、しっかり書ける人が、うんとすごいと思います。 (まりもさんも訂正なさっているけれども)小論文の模範解答は、おそらくもっと無味乾燥なんじゃないかな、と。 それからまた、 fiorinaさんの文章の魅力は、みなさんの批評への返答にもあらわれているような気がします。 書簡集を読んでいる気分になるのです。 美しい風景の中では、喧嘩も美しくなる、というのは、こういうことなのかもしれませんねぇ~。 私は飽きっぽくって嫌味っぽくていかんなぁ~。 (また、テーブルに置く照明を買いました!)
0*修子さん、今夜はお話ししたい気分でしたので、うれしいです。 >美しい風景の中では、喧嘩も美しくなる、というのは、こういうことなのかもしれませんねぇ~。 今夜は分からず屋ちゃんに対して、心の中でじゃっかん毒づきましたので、喧嘩も美しくなる、 とは済ましていられないことも、多々ありますね(笑。 >(また、テーブルに置く照明を買いました!) この情報がうれしいんです! たくさんコメントありがとう~。 私は詩も批評もあまりに知らないので、今もう勉強しています。 来年になる前に(笑)、皆さんの作品にコメントをたくさん書けるようになりたいです。
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