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夏のハルディン急行
投げやりな 特急列車 乗り損ねた 無頼な男が 水際で 老いさらばえ 夏の夜の夢は うつ伏せに 痛さでつらい 爪先立ちした彼女よ 交わりならば モンスーンに捧げようか 泡立ちの白い 裸体になって Tシャツを 被せてしまった サボテンに サイダーをこぼす ウィラードが待つ光よ 涼み終わる夜明けよ 共犯者となって 呼吸を くちうつして 生き残りゆく 罪人になろう きさまーばけーしょん、 なみしずくーを、 ながそうかー、 さよなあら、ばんそーこ、 きずーぐちー、はがしたあら、 停止する ハルディンホテルで夏が停止するんだ
夏のハルディン急行 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1072.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-27
コメント日時 2017-09-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは、 ハルディンホテルは外国に実在していた療養施設です。 美声の紳士から『一緒に行きませんか?』と言われたら大喜びです私です。 この作品からはマイナスなメッセージを強く受けましたが、なるほど、狂気を排除した世間一般的にはそんな風に見えるのだろう、とも感じました。 ハルディンホテルは、悩ましい狂気を救済するためにあったはずなのですがね。うーん。
0追記しますm(__)m 物質社会の毒を引き受けて事実上の廃棄物となった人間は、人工的な解決策を受け入れる気持ちになれませんでした。 なので与えられた毒を抜くために、呪術という精神世界の技法に頼りながら回復を試みるのですが、 物質社会のほうが驚くべき早さで見直しをはかったために、 ハルディン・ホテルは閉鎖されました。 それでもかりそめに敷かれた「救いの手」というシンボルとしてハルディン・ホテルの名前が残ってしまったのだろう、と私は考えます。
0渚鳥さん 人は死まで意識する傷を負うことがある。あると思う。治癒できる場所、あるいは人を探す。救いを求めて思想や宗教に求める人もいる。芸術に求める人もいる。結果的に、治癒されなかった、されないままに生き続ける人もいる。僕は治癒されないまま、生き続ける必要があった。傷が治癒されないまま生き続けるために一つ方法を見付けた。偽り生きること。傷をみないで生きれば、とりあえずは生きれることを見付けた。歳を重ねるうちに傷を負っていることを忘れた。その年月は二十数年だったと思う。ある時、ハルディンホテルへ一緒に行かないかと、あなたが一緒に行ってくれる人なんでしょう?と問いかけてくる人に出会った。それで思い出した。ハルディンホテルを。僕は、一緒に行こうか、どうするべきか、態度を保留にした。あれから一年経って今回この作品を書いた。僕がもし、ハルディンホテルへ一緒に行っていたら、停止したと思う。着いたその先にあるハルディンホテルへ入る前に停止したんだ。きっと。僕はハルディン急行へ一緒に乗らなくてよかったと思う。自分に正直でなくても、偽りであっても、よかったと思う。結論を出さずに終わる。渚鳥さんのコメントへの返しになっていないのだけれども、なんだか、このことを書きたくなった。その後のこと、あの人はハルディンホテルへ行かずにすんだようだ。
0三浦さんへ こんにちは、 身近な人のことが胸を掠めました。 偽善・商標として、自己犠牲で生きていたような人でした。 与えられた場所で生きると決めて、それ以上は求めない人でした。 いつものようににこやかに帰って来たその人。いつもの美しい顔です。私はその人の背中を見ました。そこに答えが書いてありました。 「誰にもわかるもんか」 「わかるもんか」 私はその一瞬、 彼女の凄まじさを知りました。 いつも優しかったけれど、 誰かに笑われても笑ってやり過ごし、 その人の優しさはいつのまにか知らないところで武器になってしまったのでした。 気を遣うということが、脱げない鎧のように彼女を固めてしまいましたが、 そんな人生もやはり人生だったのでしょう。
0作品評からずれてしまいましたこと、 大変失礼しました………。 ……感想ですが、述べたいと思います。 モンスーン ウィラード と、一種ポイントのように置かれている語句が、 この作品を引き締めていると思います。 モンスーン(季節風)が、詩世界を撫でるように許してゆき、 ウィラード(Willard 【名詞】 1. 米国の教育者で、初期の女性のための高等教育擁護者であった(1787年−1870年)(United States educator who was an early campaigner for higher education for women (1787-1870))が、 この、詩世界から、読者へ向けて警鐘を鳴らしている。 男も女も、差別も傲慢も許す風(モンスーン)が、 無意識の内に「女」を示して危機感を募らせるのです。 女達は女達で、男がいなければ、自分が女だということも忘れてしまう生き物ですから、 どこかに別の男が出てくることで、 この詩はさらに深みへたどりつく可能性もあっただろうな、と 考えました。
0花緒さん。 コメントありがとう。次に大きくステップアップする前段階で終わってしまった感が確かにあります。もう少し掘り下げると自分のなかでの大作になった気がする。
0こんばんは。 一行一行をとても大切に描かれているのがよく伝わってきます。 必要最小限のお言葉で深みのある詩を描かれるご姿勢は僕はすごく共感しますね。 詩の流れ方がとてもきれいで、たぶん音読も繰り返されて推敲されたのだと感じましたね。
0一連目、音感から「うつ伏せに」で止めたのかな、と思いつつ。その後は何だろう・・・死体が水に浮いている光景、かな、そこまで描くのをためらったゆえの止め方なのかな、と思いました。 二連目の〈痛さでつらい/爪先立ちした彼女よ〉背伸びし続けたゆえに、心に痛みを負ってしまった彼女、とメタファーで読みたいのですが、すぐに〈交わりは〉という直接的な表現があるので、急行の中での立位の交わり、という、なんとも身も蓋もない情景を念頭に置くべきか・・・〈ウィラードが待つ光よ〉これも語感としては、非情に「かっこいい」のだけれども。唐突感が否めない・・・前半部分に、〈ウィラード〉が呼び出される伏線があればよかったのかもしれない、と思いました。 最終連は、列車がスピードを落として止まる、その過程と作中人物の呼びかけとを重ねた、のであろう、と思いつつ・・・ここをもう一工夫しても良かったのではないか。きさま、という、くだけた乱暴な物言いとサマーバケーションの軽さ。傷口とか絆創膏といった、メタファーというには、いささか安易なのでは?という小物、到着するのは(二人の)傷口(傷口駅)と駅員がアナウンスしているような表記の仕方。 どうすればいいか、と問われると、とっさには思いつかない、のですが・・・この、最終連・・・列車の停止音が、そのような「言葉」として聞こえた、としても。もう少し、なんとか、言い方を工夫できないか・・・というところが、気になりました。
0全体としてリズムや比喩がそれなりに計算されていて、詩としての形をそれなりに保っており、さらにそれなりのひねりも加えられているのにも関わらず、詩が本来持つべき(だと私が個人的に考える)内発的な何か(作者の動機や衝動、思想などとといいかえてもいいのかもしれませんが、承認欲求を超えたもっと切実なもの)が作品から根本的に脱落しているように感じました。 細かな表現一つ一つに感じる若干の違和感については、まりもさんがコメントのなかですべて語り尽くしてくださっている感じで同感です。とくに2連目は...。 あるいは、もしかしたらこれが音楽の歌詞だったら、ものすごく魅力的だったのかもしれないな、、と感じたりしました(ネットで「ハルディン・ホテル」で検索したときに、平沢進さんという方のそのタイトルの曲がヒットして聞いてみたんですが、ああ、もしかしたらこういう音楽が三浦果実さんの頭のなかで流れていたのかもしれないな、、と詩のイメージと一致する部分がありなんだか妙に納得したりしました)
0追記: 発起人の方の作品ということで思ったことをズバズバと書いてしまいましたが、そういえば、酷評しておきながら具体的な理由を書いていませんでしたね。マナー違反で失礼しました。 「詩が本来持つべき内発的な何かが作品から根本的に脱落しているように」感じた理由というのは、コメントに対する三浦果実さんのレスのほうにはそうしたものを強く感じたにも関わらず、コメントで語られているその熱い思いが詩からはあまり感じることができなかったということです。前回の「持論」もそのように感じたというのも大きいです。作品よりもむしろ私コメントに対するレスの方が持論としてきちんと成立していると感じたくらいで、今回もコメントと作品が逆だったら表現としてより説得力があるのにな、と感じました。なかなか作品の内容そのものに触れることができずすみません。
0森田さん 私もレイモンド・カーヴァは大好きです。ありがとうございます。 まりもさん メタファーを他者に与える。それは私の生きざまそのものです。私の存在意義はメタファーであり、それがイデアでもあるということです。 survofさん マナーなんて、私に対しては気になさらないで下さい。なぜならば私がマナーすれすれの境界線を楽しんでいるからです。ありがとうございます。
0「ハルディンホテルで夏が停止するんだ」は好きです。 ビーレビューではじめて「このフレーズが好き」に出会えました。 もっとも、詩は行間を読むものだと思いますが、わたしはいまはフレーズを欲していました。
0本当は世界なんて終わっちゃってるんだ、っていう妄想をするときがあって。それは1999年、2011年とか、もっと2001年、1989年、2013年とか、色々あるタイミングのどれかでなんだけど、その時、世界は滅びました。なのにそれをうまく理解できないひとたちは、まるで世界が終わってないように生きてる。俺も当然、世界が終わってないみたいな顔して生きてる。世界、あるじゃん、みたいな。 生きるってのはどういうことなんだろう。孔子は弟子の「死ってなんなんすかね!?」みたいな質問にたいして「生きることもよくわかんねえのに死ぬことなんかわかるわけないやろ」って言ってる。生きるってどういうこと?って質問に対して、こういうこと!と言下に答えられるひとは、ちょっと怪しい。わかればわかるだけ、わかんないことがふえていくはずだから。生きるということは、それはそれは多様なことで、なぜなら世界が多様だからで、その世界のなかに適応していくことだから、つまりそれは変わるってことでもある。この前関西のヤンキーのしょーたくんが言ってたけど、止まるってことは死ぬってことやで。川をみてみい、と彼は言うんです。流れの溜まる淀みは死んどる。流れ続けなきゃいけない。フローを止めちゃいけない。それが生きるってことだから。マイフレンド曰わくそんなかんじ。 思い出は止まってると思う。そこから俺たちは遠ざかってしまった。俺たちは毎日歯を磨いて、眠り、朝になったら、仕事に行く。毎日、毎日、遠ざかっている。思い出、というかその過去の経験は、その過去に凍りついている、結晶している。ときどき思い出を思い出してると、本当はそのとき俺は死にたかったんだな、と思うときがある。それを世界のエンディングのひとつのポイントだと、なんとなく、思ったりする。1999年に、2011年に、ハルディン・ホテル行きの特急に乗ってしまえばよかったかもしれないけど、実際のところは乗らなかったのだし、今、今と思い出から遠ざかる当座の間僕たちは、バスや電車に揺られなきゃいけない。なんだったら今から乗り換えてやってもいいんだぜ?みたいな気持ちになるときもある。でもだいたいいつものに乗ってる。なんかよくわかんないけど生きるってそんなかんじ。と思いました。
0何だかよく分からんのだけど、ともかく終連が好き。 御大層なタイトルと、それまでのやや硬質(サイダー、サボテンのサ音遊びは除く)な詩形を 自ら破壊し、嘲笑するような終連です。 さよなあら、ばんそーこ、 きずーぐちー、はがしたあら 特にここね。 私の硬化した脳みそがふたたびザックリと割れ、新鮮な赤い血が噴き出しそうです。 そして、しずかにしずかに、少しばかりの含羞をもって、ばんそーこ、を貼りたくなったのです。
0sonetiraさん この掲示板は面白いと思うよね。時々、びっくりな作品に出くわす。 シリューさん 思い出は眠れない夜行バスみたいに窮屈で朝が来れば消えてしまう。そんなものさ。 白島さん 絆創膏が万能薬の世になっても、無くならないで欲しいですね。剥がす痛みはあったほうがいいです。
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