たとえばあの曲がり角を曲がればまた曲がり角が
何度行き来しても覚えられない何回そこには曲がり角が存在するのか
最初の曲がり角を一として次を二にするとじきに元の曲がり角に戻ることがあるそれはいくつめにあたるのかまったく見当がつかない
曲がり角を反対方向から老婆が
ここで何かが閃く
老婆の背にぴたりとつき私は離れない
あの曲がり角を曲がれば老婆と一緒に私は曲がることを経験して子供の頃の記憶に繋がるそれは亡き母親の声
あなたは一人で歩いてはだめよここでは迷子になってしまう迷子になってしまうとあなたと会えなくなるの離れ離れになることはとても辛いわあたしと繋がりのあったひとたちはもうあらわれないここの曲がり角で曲がる回数を間違えてしまったからあなたが大人になったら曲がるときに必ず数を正しく数えるのよ
老婆の背にはりついて私は鉛筆でメモ帳に回数を書きつける正の字が増えていくほど記憶の母との距離が遠くなるような気がして私は知らない老婆の背を涙で濡らしていく
作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 2005.6
お気に入り数: 2
投票数 : 6
ポイント数 : 2
作成日時 2020-11-13
コメント日時 2020-11-16
#現代詩
#縦書き
#受賞作
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
閲覧指数:2005.6
2024/12/22 01時35分41秒現在
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ベケットを彷彿とさせる、数えかたで悩む奇妙な語り手。しかしこの作品で際立っているのは間違いなく「亡き母の声」です。その生々しさ、シリアスさと、老婆の背にピタリとついていく語り手の滑稽さのバランスがなんともいえない気持ちにさせるのです。
0訂正 バランス→アンバランス
0シリアスでセンチメンタルな亡き母というテーマにも関わらず、改行のない語り手にせかされるような感じがします。
0句読点のない、子供の頃の記憶がそのまま止めどない記憶の想起と悲しみを書き表しているようで、心に迫ってくるような心地でした。
0曲がり角とは人生の曲がり角か、記憶の曲がり角か。曲がり角を曲がるとはいかなることなのか。亡き母の声はまるでぐるぐると回転し続けるが如く、記憶の淵より再生されているようで、色々考えさせられ、感じさせられる作品です。
0亡き母の声にフォーカスしてもらえてありがとうございます。批評文のほうもしっかり読ませていただきます。
0>改行のない語り手にせかされるような感じがします。 せかされる、という言葉をぼくが正確に解釈できていないのですが、想像するに、バラードなのにポップな感じがするというようなことに近いでしょうか。内容(意味)と語りかたのズレという点で、何か創作においてヒントを得たような気がします。ありがとうございます。
1>子供の頃の記憶がそのまま止めどない記憶の想起と悲しみを書き表しているようで、心に迫ってくるような心地でした。 ぼくにそのような作為はなかったのですが、言われてみるとなるほどと思いました。「止めどない記憶の想起」というのがとてもいい言葉ですね。
1>亡き母の声はまるでぐるぐると回転し続けるが如く、記憶の淵より再生されているようで、 ここで m.tasaki さんの言葉を借りるなら「記憶の曲がり角」から声が再生され続ける、という発想がぼくに生まれました。曲がることを繰り返して元の場所に戻ると、再び声が聞こえる。何度でも再生可能な声は、死んだ歌手の歌声のように、もはや生きていることに近いのかもと仰々しくも考えさせられたのでした。
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