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丘の向こうに消えてゆく
★ 三角谷の端っこにわたしの家があって そこで水汲みしていると 朝日が昇ってきて ひび割れたわたしの右手、 彩る 色彩が貫通して手のひらの影に虹色のうつすから そうやって草の上で、 膝を抱えていつまでも眠っていたい わたしを 姉が呼び止めて殴られた 小さな言葉で託された 弟のなきがら みたいな顔してねむってるはなみずを スカートでぬぐう ★ 幻が水に裂けて だんだん、 今日の働きを終えた子供たちが、 丘の上へのぼっていく、ダンボールを広げたコースターで 坂を滑る遊びをしながら 遠くの空を見ていると、日と星が落ちてくる 「みてあれ」って 指さした向こうから、出稼ぎでボロボロになった皮膚で、 頭を撫でてくれる、大人たちと手をつないで家路についた わたしの手は誰もつかんでくれない 子守の、得意な姉になりたかった 守られるばかりのわたし をぶんれつしたい そういって一緒にシチューを囲む食卓 ★ 夜半に目が覚めて 体が割れていく、ゆびきり、寒さが、少し空いた窓から差し込んできた夜が、本当に寂しい /さみしさが一人歩きして、二階のベランダに上がる わたしの 体が前に歩く 星で溢れているから、一人で踊ってもこわくない けど、弟が起き出してきて、わたしをみている のをみているわたしをみて、泣き出した、弟を、なだめるわたしは、わたしじゃ、どうにもならないから、夜に、 みんな起きだして わたしが、お下がりである事、 夜は、 夜であることを思い出すまで、 また、 朝日が昇ってくるように 姉が 呆然とするわたしのこころの外側を抱いてくれる ★ 思いついた言葉で、夢を占おう、何もない水たまりに、ちぎった花束をとかそう、ばらけた赤い花弁を両手ですくい上げて、唇にしよう、手をつないだ弟、指に加えた音を風でかわかそう、水を組み上げるわたしの手、泣いてしまう弟の涙、そういうのみんな、みんな丘の上から流れていく比喩、きっと、朝日がこうして昇るから、その度におもいだす、不甲斐なさと一緒に流れてしまう、削がれ落ちた透明な手のひらのひふがはがれおちて、おとなたちが帰ってくる前に、ダンボールにまたがって坂を下った、やけくその野原を駆け巡るか細いこころで、 ★ 妹が生まれるという知らせが、大きくなった弟の耳に、 初めて入る時の音 思い出がよみがえる、 透明になって消えた、 あの坂の上の、 丘の向こうに、消えていった
丘の向こうに消えてゆく ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1237.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-04-30
コメント日時 2017-05-22
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
百均さん、こんばんは。 語り手は三人姉弟の真ん中であり、「わたしの手は誰もつかんでくれない」という記述から推察するに、共働きかなにかの理由で両親とあまりコミュニケートすることが出来ない家庭環境であるようです。事実、家族について語られているとおぼしきこの詩には「姉」や「弟」といった単語は何度も登場するのに直接的に両親を指す単語は一度も登場していません。辛うじて「おとな」というよそよそしい単語が出てくる程度でしょうか。そして語り手たち姉弟は、「おとな」達に頼らず、自分たち(子供)だけでもなんとかうまくやっていかなければならないと思っていることが、「子守の、得意な姉になりたかった」という語りからもわかります。 個人的な話になって申し訳ないのですが、私も家庭環境が色々複雑だったりしまして、語り手と同じく幼い頃から両親と良好な関係を築くということが出来なかったんですね。それもあってなんというか、こういう詩を読むときどうしても語り手をどこか自分と重ねてしまいすごく複雑な気持ちになります。ただ私は当時一人っ子だったこともあり、暗い意識はずっとおとな(両親)へと向いていたので、この詩の語り手のようにおとな以外へ眼差しを向けていくような思考というのは自分にとってすごく異質で、私にも姉弟がいたらこのような考え方をしたのだろうかと考えさせられもしました。なんか私的な話でごめんなさい。 百均さんはいつも実直な詩を書かれますね。百均さんの評にも言えることだけれど、自分の言葉で読み、自分の言葉で書くというのは誰にでもできることじゃなくて、百均さんの素敵な才能だと思います。何が言いたいのか分からなくなってきましたが、とにかくこの詩をなんとなく好きだなあと思ったのでした。ただの感想で申し訳ないです。
0文章の区切り方(改行のリズム)に独特の屈曲があって、そのリズム感に揺さぶられながら読みました。 「弟のなきがら みたいな顔してねむってるはなみずを」 なんて、えっと驚いて、それからずっこけるようなズラシがあったり・・・ 「体が割れていく、ゆびきり、寒さが、少し空いた窓から差し込んできた夜が、本当に寂しい」この、とつとつと途切れながら、流れるように一気にあふれ出すような一行、とか・・・「わたしの/ 体が前に歩く」魂だけが夜空に抜け出して、歩いている、ような感覚とか・・・ どんなに子守りの上手い姉でも、「呆然とするわたしのこころの外側を抱いてくれる」ことはあっても、こころの内側、本当に寂しい、その芯のところは、抱いてはくれないんだな、とか・・・ 「みんな丘の上から流れていく比喩、きっと、朝日がこうして昇るから、その度におもいだす、不甲斐なさと一緒に流れてしまう、削がれ落ちた透明な手のひらのひふがはがれおちて、」この流麗な一節、とても素敵でした。 丘は、故郷の景であるように見えるけれども・・・子供時代とか、想い出の国と、現実界との境界にある「丘」のように感じました。
0紅月さん 色々、遅れてしまってすいません。 なんだろうな、凄く嬉しいレスでした。なんだか、上手くここでは返事ができないのですが、最近の紅月さんへの色々な返事の中で書いているとおり、僕の場合は「姉」という存在が非常に偉大な物としてありまして(それは良くも悪くもなのですが)父や母ともそれで色々あったのですが、そういう物の一部分を、今回は少しだけ描けたのかなと思います。 とはいいつつも、本作は、多分紅月さんからの影響を割と、モロに受けている感じが、しています。 レスありがとうございました。 僕は自分の書くものが何もかも嫌いだと思いながらずっと生きているのですが、少しだけ好きになってもいいのかなとおもいました。
0まりもさん 遅れてしまってすいません。 「丘」という言葉をどうしても使いたくて、でも、僕には丘という記憶がどこにもなかったので、捏造するしかなかったのですが、その過程の中で、丘の持つイメージというのが、何かしらの象徴みたいになりそうな予感がしてきましてて、それが最後に上手く弾けてくれればいいなと思いながら本作を書いたのですが。それがまりもさんには伝わったのかなと思い、レスを読んでいて嬉しくおもいました。 文章のどこを書き足して引き算するのか、というのが、今回は少しだけ上手くいった感じがあります。今回引用して下さった所は、個人的に調整みたいなのを加えた所が多く、ちょっとだけ推敲の手触りというか、こういう感じで持っていけばいいのかなという感じが得られたような気がしました。 レス、ありがとうございました。
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