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くたばれビーレビュー
文字として書かれた言語は純度が高いと少女は云った。文字として書かれた言語は誤解を生みやすいとビジネスパーソンが云った。「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ」と詩人が教えてくれた。詩は説明書きではない。詩は物語でもない。詩を人々は共有するものではない。詩は断絶を表すことが出来る唯一の表現方法である。なぜならば、言葉として言い表すことが出来ないことを詩情というのだから。「現実を言葉で組み立てることは出来ないからいつも残念な気持ちになる」と詩人が教えてくれた。詩人は矛盾と闘っている。詩人の闘いに他人との共闘は無い。他人と解り合える詩など断じて無い。私とあなたに断絶を教えてくれる詩があるだけだ。なのになぜ、見知らぬ者同士が詩を投稿し合うネット詩掲示板に私は居るのか。そこに現実以上の矛盾と原初の言葉があるからだ。矛盾の場所に誤解が生じる。表層のコミュニティーは嫌われ者たちを排除する。排除された者は勧善懲悪の欺瞞を告発し、その越境者たちは言葉に肉体を与える。それはとても淋しいことだけれど、越境者だけが持つ覚醒に私は鳥肌を立てていたい。共感もいらない。朗読会もいらない。リーディング大会も。パーティでもなく、セラピーでもなく、文字言語で闘ってきた詩だというのなら、孤独で残酷で、握りこぶしで黙って舞台を去るような、そんな不器用な人々の集いがあればいいと思う。そうでなければ、合理的で器用な人々が詩を死滅させるだろう。
くたばれビーレビュー ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 4061.2
お気に入り数: 3
投票数 : 0
ポイント数 : 10
作成日時 2018-08-05
コメント日時 2018-08-15
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 4 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 10 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 4 | 4 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 10 | 10 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
本作は、イベント「つぎ言語」で発刊されました小冊子へ寄書きしました内容を一部改編したものです。
0タイトルからして三浦さんらしいと思いました。それでいて「詩とは何か」について真摯に向き合った内容。惑乱しつつ読ませていただきました。立つ鳥跡を濁さずならぬ、立つ鳥跡を濁しまくりと言ったら御幣があるかもしれませんが、これが三浦さん一流の礼法であり、別れの言葉なのかなと。あと「サンプリング」のコメ欄について言及と、今後への期待。とても嬉しく拝見させていただきました。ありがとうございました。
0さまざまに考えさせられる作品と思いました。お疲れさまでした。b-review.はしばし継続するとのこと。 あらためて宜しくお願い致します。
0stereotype2085さん 重力さん コメント有難う御座います!
0三浦さんは、bれびのために彼らにとどまってほしかったのでしょうか? もともとコミュニティを必要としない詩が、コミュニティのとどまらないからといって 死ぬとは思えません。 三浦さんのこの文の文脈からいっても、詩はすべてをのみこんで闊歩していると想像しています。
0三浦くん 三浦くんのために、一度、紛失させたパスワードをメールアドレスから復元させました。祈りなき詩の末路はSNSにも近い。あの頃、おれが三浦くんを罵倒したのもSNSだったな。三浦くんは詩がすきだね。そして、三浦くんは自分の詩のこともだいすきだ。 だけど、きみは詩と詩人という言葉にはおおきな隔たりがあって、その淡いで悩むことが何よりも詩人として、大切だということも知っている。だからこそ、きみは詩人なんだね。 きみへと個人的な喝采の詩をお送りしたいものだが、三浦くんのメールアドレス、紛失させたので、むつかしいかな。 とりあえず、三浦くんの決意、伝わりました。 きみは詩人だよ。 + ふたたび、きえます。 ありがとうございました。
0僕も色々考えましたが、「現代詩」の現代詩たる所以は、自由ということではないかと。 自由って徹底的に総てが等価ということですね。定義付けを許さず、書かれた途端にそれは表現の結果というよりも、一つの存在そのものになる。 一木一草、石木の個々に評価は無意味だけど、それを敢えてすることでフィクショナルな評価基準が出来上がり、詩と評価基準とが諸共にある特定の場で消費されていく。そんなものではないでしょうか。 ビーレビューも評者、作者、運営との間で概ね消費の一サイクルが終わったのかもしれません。寂しいけど。 詩のムーブメントを起こせるのはこの虚しい場に無尽のエネルギーを注げる人だけ。文月悠光さんの活動なんか見ているとそんなふうに思います。
0fiorinaさん コメント有難う御座います。 彼等はとどまらなかったからこそ彼等なのだと思うのです。とどまっていたら彼等ではなかった。とどまるはずがない彼等がこの場所にやってきたことが私は嬉しかったのかもしれません。なんとも自分の気持ちをお伝えすることが難しいのですが、何といいますか、詩が遍くあるということは善悪を超越して如何なる人物にも詩はあるということで、それをオリジナルと云い、彼等に、僕はその真のオリジナルであれと、教えられたのかもしれません。
0るびくん。再び有難う。くたばれSNSだな。あ、いや、いいんだ。また、ええ作品をここに流しにこいな。夕闇の海辺みたいに。
0木村鉄、藤峰夫がぐだぐだ言ってるのかと思ったら 別人だったので驚きました。 とてつもない再現度です。 中身がさっぱり入ってこない。 じゃあ字面だけ見て楽しめるかと思ったらそうでもない。 目も痛くなる、頭も痛くなる、心は披露する、時間は浪費する 読ませて拒絶するのではなく 読ませずに拒絶させる新ジャンル。 木村鉄、藤峰夫以下の才能で 木村鉄、藤峰夫以上の糞リティ 私は憤死、これは糞詩 みんなこう思ってるから 見とけ https://www.youtube.com/watch?v=6A_pU1Tdhjo
0右肩さん 楽屋的な話になってしまいますが、ビーレビューに一番労力と熱量を注いだのは花緒さんでした。発起人全員がそう云うと思います。彼はとても合理主義者な面が強いと私は常々思っています。そんな彼が無償で何の利も生じないビーレビューに心血を注がせてしまったことは、やはり目にみえないマグマがこの場所にはあったのかもしれません。そして、彼は如何なることにも一切ブレることなく、このコミュニティのルールに徹した。マグマのままに。ムーブメントを起こせる者は天才ではなく、右肩さんがおっしゃられる通り、虚しい場に無尽のエネルギー、マグマだと思います。越境者たちは彼の磁場によって着てしまったのだと思うのです。
0カオティクル。 もうええわ。自分が一番わかっとるわ!。。有難う!
0上記の幼ヰるびさんの言葉「きみは詩と詩人という言葉にはおおきな隔たりがあって、その淡いで悩むことが何よりも詩人として、大切だということも知っている。」と仰っているように、御作の葛藤、すごく伝わってきました。三浦さんはとても熱い方ですね。詩より詩を書く人により興味を持ち、詩より詩を書く人を見ようと、感じようとしているのかな、と思いました。 読めば読むほど、いらない、いらない、という部分が「好きだ」と言っているように読めてきました。 そういう意味で、あのタイミングで御作を投稿したことや、このタイトルも含めて、成功していると感じました。何人かの人はこの作品によって、よりビーレビのキャスに興味を持ったのではないかと予想します。こういうことが出来る人は、私はどこかで羨ましいと思っているのかもしれません。
0杜琴乃さん コメントありがとうございます。作品ではなく作者本位で読んでしまうことを変えることなく現在に至っております。この読み方は下品で知性も何も無い最低な読み方だと思うところもあります。何度かそれを変えてみよう、作品本位で読んでコメントすることを心がけてみましたが、残念ながら、いつも他人の作品に自分を投影して自分語り、挙げ句には作品評から離れた内容になってしまう。ロッキングオンという投稿型ロック批評雑誌の影響だと思います。作品本位でアカデミックなうんちくと商売本位の褒め殺し雑誌が横行していた当時、既成なメディアにカウンタースタンスで立ち上がった雑誌。そこには、アーティストの本質を突いているエキサイトな評の場が素人の投稿によって成立していました。アーティストからすればウザいことだと思います。しかしロッキングオンはアーティストをレコード会社、出版会社から解放しリスナーの手に明け渡した功績を残したと、私は思います。まったく私は勘違い野郎ですが、無名な人々がまやかしのステイタスから解放されることを願います。すみません、大層なことを嘯いてしまいました。 杜琴乃さん、ありがとうございます。
0この詩文の中で、と言うか、三浦さんの中で、ホメロスとかの叙事詩ってどういう位置づけになるか、教えてくださいまし。
0fiorinaさん ホメロスが存在したといわれる古代ギリシャには「意識」という概念がなかったといわれております。私が信奉する内田樹氏の言葉を借りれば、その意識の代替えは神だったと。無学ながらにも私が思うに、詩は神の声としてあったのではないか、つまり詩人とは神の代理であり叙事詩とは神の声の口述筆記かと。もう一度、前提を言いますが意識の概念が無かった時代です。神の声が聞こえる詩人とは正気だったのでしょうか。現代から考察すれば正気ではなかったといえます。しかしながら、もう一つの視点が私にはあります。これは、先に亡くなられた天才ホーキング博士の考察です。言語が誕生しなかったらDNAレベルでの伝達共有がされていただろうということ。つまり、仮説として、古代ギリシャにおける意識の概念の代替えとしての神の声とは死滅する寸前の触媒としてのDNAから発するものだったのかもしれません。正気もなにも、事実上あったとも思えるのです。私には。本作に沿って申し上げれば、その言語ではないDNAレベルでのコミュニティがもしもあるとすれば、それこそが不器用な者たちによる非言語空間なのかもしれません。
0花緒さん。 はい。何も申し開き出来ないに決まっているじゃないですか。時と場。内容、技法よりも、スキャンダラスな仄めかし。一点優れていることを見いだすとすれば、発表したタイミング。時と場。
0この世に存在する、詩と名付けられたものの中に、ひとつでも俺を満足させたものがあったろうか。三千歳を過ぎた時点で、メンドーなので、既に自分の年齢を数えるのをやめたんだが、それにしても、この俺を満足させてくれる詩など、ただの1度も、この世に存在したことはなかった。 すべて、くたばっちまえ。自滅しないなら、すべてを俺は焼き尽くす、燃やし尽くす。 その灰だけが分厚く積もった空間で、はじめて俺は詩を書くのだ。己の腕を切り落として、それを筆にして地が見えるまで、灰を掻き分けながら。 おい、みうら、とやら。なぜ、見恨という本名を騙らぬ。
0三浦様、私はまだ詩というものが分かりませんし、どの人に資質や才能があるとか、ないとか、分かりません。でも、このように、三浦様の作品に素敵な方々がコメントしているのを見て、読んで、三浦様の作品にはコメントしたくなる魅力があるということ、そして、作品から溢れ出すエネルギーがあるということ、共感できる、共感したいと思えること、もっと隣で感じていたいとおもうこと、私は、三浦様が紛れもなく詩人である、と思います。詩が好きな人が私も好きです。まるで、家族のようですね、勝手に親近感を持ってしまって、他人から見れば迷惑極まりないですが。私は、自分を詩人だとは思ってないのです、ビーレビには素敵な方がたくさんいて、まだ自分がそこまで到達していないと自覚してますし、勝手に兄や姉のように思っているのです。お兄ちゃん、欲しかったんです、許してくださいね。くたばれビーレビュー、きっと愛ゆえでしょう、否定されるかもしれないけど。みんな三浦様が好きなのだろうと思います、私は新参者ですので羨ましいです。三浦様の作品には力強さの中に愛がある、人よりも誰よりも詩が好きだと。その想いはきっと、1番。素敵だな、と思いました。
0まりもさん 私もかなり屈折率が高いのですがまりもさんの屈折もかなり複雑でわかりにくいと思います(失礼!)。ミルトンの失楽園にも似た服従するのであれば死を選ぶという美学、そこに相対値はありません。きっとまりもさんもご自身の奥底にはそれへの共感がある。しかし世界には相対値を詩情などと呼ぶ欺瞞に満ちた詩人だらけであることをまりもさんは一番よく知っていらっしゃる。その矛盾の中で、誤解は誤解のままにサタンを名乗るみうらくんを羨ましく思いながら共感されていたまりもさんを私は知っています。また、勘違い野郎なみうらくんを出してしまいましたね。
0なつめさん 自分が思うがままに書きたいことを書いて自分がそれをジャッジする。他人なんかにあたしの作品の評価を委ねない。それってとても辛い孤独な作業らしいです。でも一番楽しいことみたいです。ある意味でそれは、ビーレビの場と矛盾することみたいです。なつめさんがいつか、みうらくんが言っていた詩が欺瞞だったと気がつく時、死ねばいいよといいながらも、笑ってくれると思います。
0>詩は物語でもない。 三浦さん、この一点に絞って食い下がってみます。 このことばは最近散見するのですが、ポップな現代詩に面白みを見いだしつつある私にも、頷くところはあるのですが、一方で、物語の失われたこの世界を思うと暗澹とします。いにしえの詩人たちは、神々のみならず、人間のみならず、星々や草木にさえ壮大な物語を紡ぎ出し、それらの叙事詩はオペラや詩劇となって上演され、たったひとつしか歩めない人の道筋を無数の生を同時に生きているかのように彩ってきました。過去の詩人たちが担ってきたその役割を現代の詩人たちは放棄しろ、と言うことでしょうか。
0fiorinaさん 再びのコメント有難う御座います。おバカなみうらくんを斯様にレベル上げの希求をいただけることは、有意義な夏休みです。 人間が無知から覚醒する思考工程、あるいは人間が何故に宗教を持つのか、それらを考察すれば、「物語」が重要なファクターとしてあることに気付きます。物語は人間の思考を自由にする。現実における絶望を希望へと誘う物語。では神は物語を作るでしょうか。神は物語を作らない。神は物語を語らない。物語を作り語るのは人間自身であることはfiorinaさんも同意されることでしょう。では、詩はどうか。これについて、私は根拠も文献も示す術を持ちませんが、言い切りたいと思います。詩は人為的なものではないと私は信じているのです。詩は降りてくる。詩は聴こえてくるもの。人はこれを文字言語として表す他にない(聴こえてくるものを声にして発する刹那、詩は消えてしまう)、到達することが極めて難しい場所(御察しのことだと思いますが、具体的な場所を指しての表現ではありません)に在るもの。無いとみなされても合理的支持を受けるもの。そうであったとしても、詩は万人にあるのです。認識することが困難であったとしても。 まとめとして、私の結論を申し上げれば、詩は物語ではありません。一方で、物語に詩が在ったとしても。 fiorinaさんへ伝わりますようにと、祈りながらコメントを終わります。
0ありがとうございます。 >物語に詩が在ったとしても これで充分です。 仮に、 >詩は人為的なものではないと私は信じているのです。詩は降りてくる。詩は聴こえてくるもの。 >人はこれを文字言語として表す他にない としても、↑これらが物語の姿をしている場合があると言うことですね。
0fiorinaさん ご指摘、解ります。ああ、確かに論理が破綻してますね。というか、私が書いていることは最初から破綻してるんですけどね(笑)。これでは共感を得れる強度は持っていない。
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