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海岸通り ※
映画祭のある5月から急速にふくれあがった人口が、烈しいエネルギーで街を席巻する夏の間、最も豊かな人々と最も貧しい人々が違和感なく混在していた。港には各国の豪華ヨットが碇泊し、夕暮れともなると白亜のホテル群のネオンが、ネックレスのように熾烈な輝きを連ねる。週末ごとの花火大会。両手を広げた湾の切れ目に、港から集結した大小のヨットの、色とりどりに装飾された灯が一斉にともされ、海から陸に架かる光のリングが顕れる。その中央に横たわる二艘の黒船から、大音響の音楽とともに競うように花火が打ち上げられた。人々は日中肌を焼いた砂浜や岩や道路に思い思いに陣取って、夏の夜の饗宴を見上げるのだった。花火が終わって、夜が更ける程に華やかな晩餐や船上パーティが繰り広げられる一方で、様々な路上芸、アフリカから地中海を越えて来た人々の手になる装飾品、似顔絵描き、タトゥをする店などに、ゆったりと散策をする人々が足を停める。物乞いも多く、それぞれ定まった街角に独自のスタイルで場所を占めていた。公園では老人たちが、ペタンクという鉄のボール投げに終日興じている。夜遅いバスで、運転手に促されて、無賃乗車の母娘が悪びれもせず降りていった。 (潮騒) 少年は夕刻になると海沿いの道にヴァイオリンを抱えて佇んだ 彼はまだ一つもちゃんと弾くことができない 街外れに立つ肌の色の違う兄はもう随分と沢山の曲を巧みに弾く いつか少年も苦もなくヴァイオリンを弾くのだろうか そんな日が来るとは誰ひとり信じられなかった 少女が通り過ぎた 硬貨を握りしめていたが 少年の足下の開いたヴァイオリンケースの中に投げることができず 俯いたまま急ぎ足で通り過ぎた 少年は毎日へたくそにヴァイオリンを弾いた そのとぎれとぎれの音は行き交う人々の喧噪を縫って潮騒に溶けていった ある日少年がいくらか上手に弾いた 少女ははっと顔を上げ 引き寄せられるようにヴァイオリンケースに近づくと かがみ込んでそっと硬貨を置き急ぎ足で離れた その日から遠くに少女の姿を認めると かれはヴァイオリンを肩から下ろしてしまう 少女は無関心に通り過ぎ しばらくすると鳴り始めるヴァイオリンの音色を背中で聴いた 海の街を去る日 少女は初めてウィンドウ越しに少年に手を振った 少年はヴァイオリンを弾きながらじっと長い間少女を見つめた いつか少年も苦もなくヴァイオリンを弾くのだろうか そんな日が来ると少女は信じていた 私の水疱瘡は、過去に免疫があったらしく、結局ごま粒代の発疹が5つ6つ出ただけで事なきを得た。そのことが判明するまでに、7月の初め海岸通りのややはずれにある古いホテル(Miramar )に引っ越した。残念なことに、ホテルは古風な外観のみを残して、殆どの部屋がリフォームされていた。フランスにおいてもこういう改造が惜しげもなく進んでいくらしかった。そういえば、その街の顔とも言える映画祭の会場にも、「建て替える前は凄く良かったみたいよ」とダグマがつぶやいた面影はなかった。私は私が借りることのできる唯一の古をとどめた部屋を予約していたが、そこには8月まで入れず、仕方なく空いていた部屋で、早朝から昇降するダストボックスのきしむ轟音に悩まされながら一ヶ月暮らした。(2004作・fiction) ※ bレヴュウ杯不参加作品です。
海岸通り ※ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 873.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-04-03
コメント日時 2018-04-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
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0文章お上手ですね。 煌びやかかつ少し物寂しいフランスの風景が目に浮かびます。 散文詩に分類されるでしょうか。 趣深く拝読させていただきました。
0山本琴煢さん、ありがとうございます。 「かつ少し物寂しい、」は喧噪の中にあっても、 ついてきますね。 散文詩ではなく、紀行文・散文のつもりですが、みなさん詩を愛しておられるので、 詩として読まれてしまうことが、いつも複雑なところであります。
0複雑な気持ちにさせてしまってすみません。m(__)m 私は「分類」という言葉を使っているので、話をややこしくしてしまっているのですが、どのようなジャンルであるかを取り立てて気にする方ではありません。 よく分からないから、あやふやに「散文詩」という言葉を使ってしまいました(汗) ある意味で、「散文詩」という区分を便宜上使い勝手のいいもののように考えていたかもしれません。 ただ、私は何らかの作品を鑑賞するとき、そこに含まれている「詩題」に注目します。 詩に留まらず、散文、絵画、音楽、映画、スポーツに至ってまで「詩題」があるのかを必ず見ます。 よく小説家がメタファーを使いますが、作家が意図できない次元のところの、また、科学や哲学が証明できないところの、さらに大きなメタファーが私の意味する「詩題」です。 これは萩原朔太郎が用いている言葉です。 その意味で、この「海岸通り」という作品は「詩題があるな」と感じました。 人間の意志ではどうにもできない侘しさと、それでも美しいと思える世界が広がっているように感じました。
0中間の挿入部、憐れまれたくない、そんな少年の青い矜持と、少女の励ましたい、応援したい、という気持ちのすれ違う切なさが面白いと思いました。 前後の部分との関連というか脈絡が、今一つよくわからず・・・前後の叙景というのか、状況説明のナレーション的な部分・・・フィオリーナさんの通常分、平叙文ということになるのでしょうけれど、ここがいつも、翻訳文のようだと感じます。 前後、とまとめて書きましたが、プロローグの部分は第三者的視点、ナレーション的視点が強く、エピローグの部分は、「私」の物語、となっている。その構成から見直すと、少年と少女の物語は「私」の内面の自己葛藤が外部に投影されたもの、と見ることも出来そうです。
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