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afterhour
afterhour ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 728.3
お気に入り数: 0
投票数 : 8
ポイント数 : 0
作成日時 2025-03-02
コメント日時 2025-03-26
項目 | 全期間(2025/04/12現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
すごく良い。とても良い。やたら古風では?とは思うが。
1散文の型で書かれているので、読み手の息継ぎで心地よく読めました、その御蔭か読んだ後まじで眠くなりました。退屈という意味ではなく、詩にうまく浸れた、身を委ねられたそんなかんじでした。良
1放課後。或いは就業後。ライブ後。譜面に散り添えた言葉かな?と思われたのですか、そうではないですね。音が強く意識されているのならばこのように言葉使いを断片的に置こうとはしない。 イメージに置かれた断片の数々。絵画的なモンタージュ技法に近い作りだと感じました。 夢が見ていた。先ず冒頭から立ち止まらせてしまう。夢が見ていた。とは誰が見ていたのでしょうか。続きを読めば彼のメモ書きとある。とすればこの夢は彼、つまりメモの作者が見ていた夢なのでしょうか? いいえ~一段落目を誤読した~とある。ということは、わたしの中で夢が勝手に想像していた。という無意識の状態を指している、ということでしょう。 つまりこの詩はそんな半覚醒状態の中に置かれた獣心(詩心)の午後。笑。 書かれてある言葉たちを拾うなかで朦朧と意識された状態を切り取り額縁の中でイメージとして描いてみせた。 そのように意識された作りだと感じます。なかなかよく考えられて操作されているのかな。と感心します。
2↑ 言葉という文字の中で真に幻想(白日夢)に酔いしれ交錯するとはこういうことではないのか。という意識が形式的な作りの詩で上手く表現されているな、と思います。
1初めまして(ですかね?) そうですね。 とても、意図的だと思います。 普通の文、《》の文、()の文。 普通の文だけよんでも、一つの詩が完成している。 《》の部分だけ読んでも、一つの詩が完成する。 ()は、独白でしょうか。 それらが、「ねむるねむる る る る」に収束する。 「る」が3つ。 少なくとも、あと2つ仕掛けがある。 一つは「リーリエ」→リリー。 ここでギブアップです。 あと一つは分かりませんし、私が推測したことは全部、完全な勘違いかもしれません。 ありがとうございます。
1ありがとうございます!
0ありがとうございます、うれしいです
1↑ コメントから落ちてますが、この詩の根底にあるのも現実を超えた現実。シュールリアリズムです。《 & * *》によって思考は変化し改めて追われるように重なるイメージ。ダブルイメージが施されようとしている。
1この作品にひとつ思ったことを書かせて頂くのであれば、隙がなさすぎるのではないかということでした。しかし同時に、それが日本語とか文法をぶっこわす(としているのか?)とたらしめる、気概みたいなものに転換して感じられました。ただ、この作品は一度読んでしまえばそれで良くて、復読したくなるような作品であるのか、という部分に着目すれば、もうすこし読み手に近づく詩文があっても良かったのではないかと思うのですが、詩に残された課題というか、その可能性みたいなものは、日本語(言葉)の概念を打ち壊すこと、唯一そこに、書き手は託されているのではないかと思いました。
1所謂ネット詩ではなく、現代詩の射程を見据えられた作品である、と感受を致しました。 稀有、為、な、事と。
1コメントいただきうれしいです ありがとうございます
1コメントありがとうございます! 「誰が読むのか」というのは、現代詩ないし現代アートの抱える問題である、と思います 読み手に開かれるべき言葉、とそうでない言葉、私はそうでない言葉をつきつめたいです
1ごめんなさい。 何か空欄が送信されていますね。 高橋髙橋さんの作品を開いた覚えは無いのですが、 寝ぼけていたので。 申し訳ないです。
1最初に目についたのは「野」、「焼跡」という地表から、そこに建つ家屋、「水の表面」と、詩全体が表面というものを丁寧になぞっている。鳥も飛ばずに地上を歩いていますし、本やそのシミ、メモ、穴の空いた栞などの紙の表面もモチーフとして出てくる。 《》内が、「書き残したかれのメモ」としてありますが、その「まだあたらしい筆跡」を「読む」という行為を、粘り気のあるインクを垂らすことのようだとたとえている。「誤読」したと気づけても、手遅れな感覚を捉えようとしてるようです。「どの魅惑的な曲り角にも何度も近づいては風化する影がある」というところにも、通じますね。 その「曲がり角」の比喩を契機に、この詩中主体は実際に外に歩いていきながら、もしくは意識を外に飛ばして、「読む」という行為を実践していくようです。紙だけに視線を留めてはいけない、と思ったかのよう。 「読む」というのが、連続的なものではないこと、でしょうか。「指先の交歓」も、絡み合ったり離れたりするでしょうし、「美術評論の分厚い本」は、その難解さゆえに、開いては閉じ、開いては閉じる。夢から覚めてはまた同じ夢の続きに戻ろうとする感覚。「非/連続体が尾から伸び」る感覚……。 最後は、「る」という文字のループ性、流転がありそうだとも思いました。追いかけても追いかけても「読む」ことができないことを悟るような締め方。 良い詩でした。
1硬質な叙情を感じたのですが、やわらぎがそこかしこにあったのかもしれません。どうしても最後の「るるるる」は草野心平の蛙の詩を想起させられてしまうのですがこの詩では蛙は全く出て来なかったか、少なくとも主題には成っていない。冒頭「夢が見ていた」は何を意味するのかを考えると、そこから何か開けてくる、詩像があるのかもしれません。
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