(パレスチナ被占領地ガザ地区北部
カマルアドワーン病院
フサーム・アブーサフィーヤ院長に捧げる詩)
あなたが監獄から解き放たれるまでに
あなたを正面から撮影した映像はすべて
それを撮る権力がある者たちのプロパガンダだ。真実は
ただ背面からしか撮られなかった。あなたが捕縛される直前、
奥から手前へ、砲口を恥知らずにもみせつける二台の戦車に向かって、
写真の枠外から心配する人びとのまなざしを受けながら
何も持たず毅然と、一面の瓦礫を越えて歩いていく人の
あの白衣の背面。そこに
あなたの抵抗のすべてがある。
新生児科医、小児科医として、あなたはただひたすらに背後の
命を守ってきた。一度目の突入のとき
息子のひとりをみせしめに殺されても、あなたは
病院から、自らの使命から離れなかった。隔離壁の外に
まだ残っている人間を探すかのように、
少しも答えを返さない世界に何度も支援を呼びかけた。狙撃手に
打ち込まれた銃弾で足を負傷してからも、翌日にはもう杖をついて
患者を見回ってはあまり怖がらないよう声をかけ、家族を
殺された看護師と共に泣いたのだ。私は隔離壁の外にいて
発信される映像をずっとみていた。私は
あなたの看守ではない。信じてくれ、看守になりたくなかった。
この地獄の底の地獄を地上に作り出しては、あなたたち一人ひとりの
声を聞かずに封じ込めるか、歪めて悪魔の響きに変える壁そのもの。
(地獄とは他者のことではない、私たちのことなのだ)
それがふさわしくもなく人間などと呼ばれている場所にいながら、
(人文学は七十八年間も大量殺戮の証言について語り合いながら
人間とは何かを論じ続けてきたというのに)
私は壁の一部から、人間になりたかった。
あなたが私にそう思わせた。あなたは隔離壁の内側にいながら
外へ張り上げたその声で、壁に埋もれた人間を呼び覚ましさえしたのだ。
二度目の突入を止められなかった私たちを、決して許すな。私たちは忘れるな、
あなたが解き放たれるとき、天井がある監獄からだけではなく
あなたが守ろうとした命が、殺された命と共に
天井のない巨大な絶滅収容所からも解き放たれるとき、あなたたちが
帰りたい場所へついに帰れるそのとき、私たちもまた
本当に、完全に壁でなくなるだろう、私たちは。あなたを
解き放て。パレスチナを
解き放て。私たちを
人間に戻せ。
(二〇二四年一二月二九日~二〇二五年二月二一日)
初めまして。 佳い詩だと思うのです。 だけど、何でしょう。 読んだ端から、どんどんすり抜けてゆくような。 忘れていくような。 印象に残ったのは、 看守にはなりたくなかった。本当だ。信じてくれ。 という部分。 そこにだけ、真実が宿っているように感じました。 ありがとうございます。
1>写真の枠外から心配する人びとのまなざしを受けながら >何も持たず毅然と、一面の瓦礫を越えて歩いていく人の >あの白衣の背面。そこに >あなたの抵抗のすべてがある。 地獄は死んでからあるものではなく、この世界が地獄なのだと考えている人間はどれだけいるだろう、この世界の暴力と残虐な事実から目を逸らさずにいようとする人はどれだけいるだろう、直視し難い人間の、自らの姿を、自ら作り出している世界に、その現実に抵抗し続けている人がどれだけいるだろう、 また詩投稿掲示板で原口さんの作品を読めたこと、思いがけず感動しています。生きるための糧となる、心に刻まれた作品でした。ありがとうございました。 (昔、mixiで少し言葉を交わさせて頂いた者です。唯一リスペクトする詩人としてX(ツイッター)はこっそり追わせて頂いています。)
1中東では、地域大国から小さな地区まで、「独裁体制」があって、ハマスも例に漏れず、急進的なスローガンと行動により台頭しました。アラファートの時代のPLOは、現実路線を取りながらも、西側諸国との妥協を繰り返し(そもそも中東各国の独裁政権を支援していたのは西洋諸国です...)、イスラエルにも常に弱腰で、その限界が露呈した形です。ガザでは、もはや単なる「民族解放闘争」ではなく、反体制運動・イスラーム主義・社会的絶望が絡み合い、一つの帰結として現状がある。個人的には、今のガザ、その周辺がこうなってしまった理由は、民衆たちの「特権エリート」への反感と乖離ということになるかと思っています。ガザの人々は熱烈にハマスを支持している。残念なことに、この現実は変わらないでしょう。 イスラエルはイスラエルで、天然資源は完全に中東諸国に依存していますし、軍事はアメリカに依存しています。過去に南レバノン占領やら、ボスニア虐殺など、いろいろやらかしている国ですけど、それをふまえても、とくに2000年代以降、地政学的にも、外交的にも、ガザでジェノサイドをやるメリットは、実際ほとんどなかったと思うのです。それはむろんネタニヤフも理解している、理解している上で、強行した。そこまでの背景を知ると、イスラエルの苦悩というか、陰影も、留意してもいいかもしれないですね。 本作ですが、力作...と評するのも、失礼にあたるかもしれないですね。現代詩的な「レイアウト」なんかどこふく風という感じです。どれだけの熱量が込められているのか想像もつかないほど、一行一行コストがあるのが一目瞭然です。やすっぽいオリエンタリズムはどこかへ吹き飛んでしまっている。
0