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友達
友達が海辺だった。彼の輪郭はあやふやに波打ち、切り取られた海辺の一部そのものだった。白いベッドの淵に彼は座り、波模様の影を落としながら、何も映らないテレビ画面をじっと見つめている。ぼんやりと暗い真昼の部屋で、友達の内側から海の光と波の音が流れてくる。磯の香りがこの部屋を包む中、ふと、その静けさを破る小さな動きがあった。――磯蟹だ。観葉植物の鉢の裏から素早く姿を現した。その蟹は、ほのかな陰影が渦を巻く壁を這いながら、冷たく湿ったベッドの上に辿り着き、そこで動きを緩める。やがて、磯蟹たちが次々と、彼の中の海辺に吸い寄せられるように集まり始めた。ベッドの上で、蟹たちが一匹ずつ孤独に動き回り、時折、群れとなって蠢いていた。その小さな鋏で好奇心と警戒心を交錯させながら、友達の周囲を執拗に歩き回る。それが彼の目にどのように映っていたのかは知る由もないが、ただ静かに蟹たちの動きを観察している。その視線はどこか遠い思い出の中を彷徨うようだった。彼は悠然と手を伸ばし、蟹たちを一匹、また一匹と掬い上げ、手の中へと滑り込ませ、まるで魔法のように消していった。その手つきは妙に優しかった。手の中の海辺に落っこちた蟹たちは、それぞれ姿勢を正し、ふたたび横へ歩き始める。私は、彼の無言に耐えかねて、小さく声をかけた。友達は一瞬だけ動きを止めた。そして何かを思い出したように、短い沈黙を置いた。ふっと笑みを浮かべた彼は、「ああ、忘れていたよ」と、軽く呟いてゆっくり立ち上がり、部屋を出て行った。足音も波音も遠のいていく。玄関ドアの閉まる音が鳴ると、取り残された一匹の磯蟹は、彼の座ったベッドの痕跡の上で、次第に動きが鈍くなり、やがて静止した。今でも彼の中では、穏やかな波が打ち寄せ、風が吹いているのだろう。銀色の日差しが降りそそぎ、波面が反射しているのだろう。波打ち際を裸足で歩く友達は、そのまま海辺に溶け込んで消えるのだろう。私は、私の部屋であるはずなのに、その場に取り残されたような気がした。しばらくこの部屋で、壁にもたれて佇んでいたが、自分が何を考え、何を感じているのか、まったく分からなかった。ただ、そっと目を閉じると、友達の姿が浮かび、開け放たれた海の音色が、まだこの部屋に染みついているような気がした。それでも私は、友達の顔を思い出せない。
友達 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1095.7
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-06
コメント日時 2025-02-12
項目 | 全期間(2025/04/12現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>友達が海辺だった。 その視線はやさしい。友達を透かしてみえるものは何?蟹が象徴するものは何?再生か?輪廻か?さざ波のようになだらかにイメージが寄せてきましたよー
1緻密に練り上げられた物語の展開が、最後まで集中と緊張を切らすことなく、目の前を燃えるように走り抜けていきました。一つだけ感じた(気になった)のは、それでいて胸に残る燃え跡が静かだということ。おそらく精巧がゆえに、書き手と読み手の間に距離が生じているのではないかと思います。すこしだけ、例えば何もせずに星を見上げるようなありふれた時間を、文章のなかに置かれるといいかもしれません。それが糊代になって、結びつきを生んでくれるような気がしました。
1抒情のある友達紹介ですね!詩的で綺麗なのでサラリと読めました。恋人ではなく友達なのが盛れていて良いです。人気者の世話好きの友達かな?
1「石炭」アンドリューワイエスの絵画があります。浜辺で流木のようなモノに火をおこしててザリガニを焼いた燃えかす跡の姿です。燃えかすなので煙だけが薄くたちのぼっている。ワイエスは何を思ってこんなものを絵に書いたのだろうか。写実的なスタイルの絵ですが、そのたちのぼる煙の様子が静かに寡黙で、妙にそそられたので私は部屋に飾っています。もちろん本物は高くて到底手も出せないので印刷物ですよ。笑。 この詩も寡黙ですね。遠い遠い曖昧な記憶でしょうね。私くらいの年齢になると幼少期頃に遊んだ友達の顔なんてもうすっかり忘れて思い出すことはできない。遊んだというその場所の景色と手にした遊具くらいですかね。思い出すのは。それにたぶん思い出しても記憶は曖昧でしょう。名匠ヴィム・ヴェンダース監督による「パリ--テキサス」の中で、別れていた家族が昔撮っておいたビデオを見返すシーンがあります。見終えた主人公の残像として残る記憶の曖昧さは、去るべき忘却として何を意味するのか。結局元通りの関係にはなりません。映画ではその辺りも表現されていると思いました。 この作品もそうでしょうね。浜辺で磯蟹と戯れるシーンしか記憶には残っていない。~白いベッドの淵に彼は座り~これは姿なき友を呼び起こしている語り手本人の姿でしょう。その混在として曖昧に描かれる場面は印象的ですね。 タイトル「友達」私は友を背景に、何か思考を巡らす横文字にされたほうが素敵だな、という印象を持ちますが、そのノスタルジーに振り返る遠い記憶。想い。そして寂寥感。なかなかよく書けていて秀作だと感じます。
1※ ↑タイトル「友達」と内容には置かれていても書かれたように友達を描いている作品ではないからです。
1お読みいただきありがとうございます。 ご感想をお寄せいただき、大変嬉しく思います。
0お読みいただきありがとうございます。 温かいアドバイスありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
1お読みいただきありがとうございます。 『友達』のモデルは実在します。私の親友であり、悪友でもあります。 人気者の人たらしです。
1お読みいただきありがとうございます。 拙作から様々な連想を広げてくださり、ご感想を楽しく拝読いたしました。 タイトルについては英題にしようかと悩みましたが、最終的に決めきれず、シンプルに『友達』といたしました。
0「友達が海辺だった」という導入は良い。あとは出来損ないの小説だ。
2まるで小説のような詩。 磯蟹の魅力に取りつかれ読み進め、「顔を思い出せない」ではっと意識を詩から離して現実に戻る。 磯蟹、いますね、そんな人いる、って読み直して思い、でも顔を思い出せないのか、と再びそこを読む時に面白くなりました。
1お読みいただきありがとうございます。 完備さんに読んで欲しかったものです。 完備さんに宛てたものではありませんけど、 完備さんが読んだらきっと「クサイ」とか言うんじゃないかなとか 色々想像していたんです。 初めて小説なるものを書いてみました。 1000字以内の掌編小説です。 自分もこの『友達』は自信作では決してありません。 出来損ない、か。ふむ。
0お読みいただきありがとうございます。 ご感想をお寄せいただき、深く感謝いたします。 私はなるべく「詩」から離れて書いたつもりでしたが、 どうしても「詩」っぽくなってしまうのは なぜでしょうね。 永遠の課題のような気がしています。
0小説を書くうえで大事なのは、才能じゃなくて責任感だと思います。
2お読みいただきありがとうございます。 そうですね。責任感も大切です。
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