3篇『青空』『All right』『ふり』 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

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千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

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パパの日曜日

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明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

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だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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3篇『青空』『All right』『ふり』    

『青空』 十年も一緒にいた青空が 遠くに行っちゃって 帰ってこなくなった いつも上を向いて探してるけど いろんな青空がいるから どれがどれだか分かんない 今頃ほかの青空と遊んでるのかな あんまり遠くに行かないで欲しいな 『All right』 鏡を眺めると 顔が光に包まれていた まるで白い電灯 洗ってもこすっても 取れないのは光のまぶしさ 逆に輝きを増して ピカピカになった ふいに どこからか 小バエが飛んできた 顔の光の周りを浮遊されたあと 「あ、ここは俺の居場所じゃない」 と言われて 小バエが どこかへ飛び去るのを見送るしかなかった まぶしい 目がまぶしい とりあえず サングラスを掛けるとしよう 『ふり』 詩人のふりをすることに 疲れたから 疲れた詩人のふりを することに決めた もっと疲れるハメになった ふりが、ふりふり ふりふりが、ふりふりふり ふりふりふりが、ふりふりふりふり 猫がじぶんの尻尾を追いかける ぐるぐるぐるぐる なにも変わらない日々のふりをする


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3篇『青空』『All right』『ふり』 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 26
P V 数 : 1097.2
お気に入り数: 1
投票数   : 3
ポイント数 : 0

作成日時 2024-12-01
コメント日時 2024-12-10
#現代詩
項目全期間(2025/01/18現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:1097.2
2025/01/18 16時54分01秒現在
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    作品に書かれた推薦文

3篇『青空』『All right』『ふり』 コメントセクション

コメント数(26)
三明十種
作品へ
(2024-12-02)

こんにちはー随分と肩の力が抜けた筆致のものですねーなんていいますか楽には決して書けないもんですよねー感じたものそのままなんて難しくて書けませんよねー詩句八苦して、それでいいんだと思いますねー試行錯誤、僕も僕のスタイル日々模索中ッス!疲れた詩人のふりはまじ疲れるよねー

0
三明十種さんへ
(2024-12-02)

こんにちは。 今回の作品では、日常的な言葉を使い、より軽やかな筆致で詩を書くことに挑戦したいという気持ちがありました。肩の力を抜きつつも、手を抜いているわけではありません。どの詩も想像の産物に過ぎませんが、それでも実際の出来事が反映されている部分もあります。特に『青空』については、実話を基にしています。ただし、私が創作する上で原動力としているのは、自分自身の人生の断片を散りばめることではありません。私の人生はあくまで背景に過ぎず、その背景から自然に滲み出るものが、結果として作品に影響を与えているのだと考えています。 自分の感じることを詩にするというのは、思った以上に難しいことだと実感します。ふと、ペソアの言葉が思い出されました。 「一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいることを言う。」 この言葉には深く考えさせられるものがあります。私自身、このどれにも当てはまらないような気がしますし、ペソアの言葉が彼の個人的な考えに過ぎないことも感じますが、それでもどこか心に響く部分があります。 スタイルの完成を目指すことは確かに大切ですが、それを固定化してしまうつもりはありません。私は、常に様々な形式のバリエーションを模索し、それを実際に取り入れながら実践し続けていきたいと考えております。 疲れた詩人のふりをするのは、確かに疲れるものだと思いますが、そんな奇妙な存在も面白いのではないか、と考えながらそのように書いてみました。

1
黒髪
作品へ
(2024-12-02)

疲れない詩人、というのは、語義矛盾の気がしますね、大げさか。 言葉が自由にしっかり使われているので、一定以上のレベルにあると思います。 光のまぶしさが記述されている個所などが、好ましいと思います。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-12-02)

ちょっと前の一行詩のときから、 先月のコスモスから、 こころみの方向性が面白いと思っています。 ただ、まだまだ小噺風なところがあるので、 ここから、どこまで刈り込めるか、 もっと短くなって(ある意味では、きりつめていければ) もっと面白くなるのでは、と考えます。

0
黒髪さんへ
(2024-12-02)

こんばんは。 疲れない詩人。なるほど、その発想は私にはありませんでした。逆転の着想として非常に興味深いですね。もしも私が「疲れない詩人」という考えに至っていたなら、そこからさらに物語や詩の世界を広げることができたかもしれません。実に面白い視点だと思います。 今回の作品が黒髪さんの審美眼にかなうものであれば、これ以上の喜びはありません。ただ、『All right』という詩の中で「光」という言葉を三度使用してしまった点が少々気がかりです。しかし、それもまた私の書いたひとつの形として、あえて手直しをせず現行のままお届けしようと思います。

1
おまるたろうさんへ
(2024-12-02)

こんばんは。 あらゆる試みに楽しく挑戦させていただいております。その姿勢を評価していただけたこと、大変嬉しく思います。ただし、知的な挑戦や膨大な知識を要する試みについては、私の能力の限界を感じることもあり、どうしても限られた範囲の中でしか遊ぶことができないのが私の弱点でもあります。 今回の作品では、小噺のような軽妙なスタイルを理想として掲げ、消費される芸術という形態もあってよいのではないかと思いながら、軽い気持ちで読まれることを意識して書きました。とはいえ、これでも削れる部分は可能な限り削り、無駄を省く努力をしたつもりです。しかし、軽い筆致を追求したこともあって、さらに切り詰めることは私にとって非常に難しい課題です。まだその域に達していない私の未熟さの表れなのでしょう。今後も精進を重ねていきたいと思います。 今回のような作品のストックはまだ多く控えており、次に投稿予定の作品も三篇を纏めたものとなっています。ただし、今回は比較的短いものが中心でしたが、次回の作品はそれよりも少し長めの内容となっております。今回いただいたおまるたろうさんのアドバイスを踏まえ、次回の投稿作品についても改めて見直しをしてみようと思います。

0
秋乃 夕陽
秋乃 夕陽
作品へ
(2024-12-03)

疲れた詩人のふりをしてふりふり、猫がじぶんの尻尾を追いかけるようにぐるぐるしてなにも変わらない日々のふりをしていたら、いつかは本当につかれも憂も脱ぎ去った詩人になっているかもしれない。

2
秋乃 夕陽さんへ
(2024-12-05)

おはようございます。 そのご感想、とても素敵です。ぐるぐる回るうちに、疲れも憂いも脱ぎ捨てて、本物の詩人になるという展開は、作品の導線に基づいた素晴らしい発想であると唸ってしまいます。そのように、語り手は詩人のふりをしているうちに、気がつけば本物の詩人になっているかもしれません。ぐるぐる回る猫のように、大切な何かを追いかけているのかもしれませんね。

2
秋乃 夕陽
秋乃 夕陽
類さんへ
(2024-12-05)

類さん、そうなんですよね。 私はこうして大切な何かを追いかけているんですよね。 言葉という網を使ってそこへ入れるものは果たして更なる詩の発展か、それとも後退か、熟慮する楽しみが増えますね。

2
秋乃 夕陽さんへ
(2024-12-05)

こんにちは。 大切な何かを追いかけることはとても意義深いことです。それが何であれ、追い続けることで見えてくるものがきっとあるはずです。 >言葉という網を使ってそこへ入れるものは果たして更なる詩の発展か、それとも後退か、熟慮する楽しみが増えますね。 まさにその通りです。詩の発展と後退に関して言えば、もちろん発展を望みます。言葉の中に何を入れるかという点よりも、どのように表現するかが重要だと考えています。極端な例ですが、「愛」という言葉に対して、作者がどれほど深い思い入れを持っていても、ただ「愛」と書かれた一言だけの作品では、その思いは伝わらないと思います。読者は自分自身の記憶を呼び起こし、愛を疑似体験として感じ取るしかありません。良い思い出もあれば、苦い思い出もあることでしょう。しかし、言葉の中には、すでに作者の思いが込められているのです。その思いの深さには個人差があるとしても、大切なのは、その思いに形をきちんと与えること。更なる詩の発展のためには、一つ一つの言葉をどう扱うか、どのように表現するかが最も重要だと私は感じます。

2
エイクピア
作品へ
(2024-12-06)

小品が合わさって詩になっているようで、サティーの小曲のような、サティーのピアノ作品みたいなそんな感じがしました。

0
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-12-06)

適当感に溢れ、偶然的気まぐれ発想に頼る妙味。10年付き合った青空と別れたか。空想的遊びの精神。囚われ心から逃れてのびのびと空気を吸うような一作。言葉はどこかで意味が出来てしまう。するとつまらなくなる。面白くなった後つまらなくなる。それは凝り固まるということだけど、その歪みにいく一歩手前の状態が一番良いですよね。トロトロのフカフカの状態が。あったかくて。冷たかったり。

0
エイクピアさんへ
(2024-12-06)

こんばんは。 最近、書き溜めた詩の中から三篇を選ぶ際、全体の調和を意識しました。三篇の詩が一つの作品として共鳴し合い、立ち現れるような感覚を目指したのです。イギリスの画家フランシス・ベーコンが描いた「トリプティク(三連画)」を意識していた、と言えば少し大袈裟かもしれませんが、詩を並べることで生まれる空気感や雰囲気を期待していました。 また、エリック・サティの曲は、私がもっとも聴きたかった音楽の一つです。しかし、耳が聞こえない私にとっては、それを味わうことは叶いません。その点で、ジョン・ケージの『4分33秒』は、私のような重度難聴者にとって最も「理解できる」音楽と言えるかもしれません。この曲は、私の日常そのもののように思えるのです。

0
万太郎さんへ
(2024-12-06)

こんばんは。 遊び心だけは、いつまでも失いたくないと強く思っています。詩は遊びですが、それは単なる遊びではなく、真剣に向き合える遊びです。私にとって「詩」と「遊び」は、もっとも高い位置にあり、決して裏切られることのない、絶対的な信頼を置ける概念と言えるでしょう。 おっしゃる通り、意味が固定化される前の曖昧でふわりとした状態こそ、言葉の可能性を最大限に感じられる瞬間なのかもしれません。そのトロトロでフカフカ、温かく冷たい矛盾の狭間にこそ、一見すると不自由な制限があるようでいて、その狭間をくぐり抜ければ広がる空や壮大な原っぱのような自由が待っているのではないでしょうか。自由の精神こそが、作品に空気を通す鍵であるのかもしれません。

1
万太郎さんへ
(2024-12-06)

こんばんは。 追記したい点がありましたので、改めて返信させていただきます。 >10年付き合った青空と別れたか。 筆者自身についてお話しすると、この詩のモデルは恋人ではありませんが、特別な関係にある存在であることは確かです。『青空』においては、自分の人生の断片を下敷きにしている部分もありますが、個別的な要素よりも普遍性を意識して創作しています。そのため、どのように読まれても、またどのように想像されても構いません。 たとえば、万太郎さんが「十年付き合っていた彼女」のことと解釈されたのであれば、そのように受け取っていただいても差し支えないような作りになっています。読者が自由に感じ、想像できる余白を大切にしたいと考えています。

0
万太郎
万太郎
類さんへ
(2024-12-06)

あっ、青空を恋人と読む読みはありませんでした。比喩的に見ればそうも読めますね。視点の位置を変える勉強になりました! 大事なもの晴れやかなものの例えとしての「青空」私の青空っていう歌もありますし、なんかこういう比喩的なイメージの遊びも昔はいっぱいあった。詳しい解説ありがとうございます!

1
万太郎さんへ
(2024-12-07)

こんばんは。 私の早とちりでしたね。今回の詩は、恋人と解釈することもできますし、親友、家族、お笑いの相方、バンドメンバーなど、どのように当てはめていただいても構いません。その自由さを意図して書いており、ある意味では、それが擬人化の醍醐味と言えるかもしれません。 また、万太郎さんのような直線的な視点も非常に重要です。私は青空の特性を意識しつつ、あえてその特性から逸脱するような書き方を試みています。そのため、直線的な視点を持つことで、詩の意外性をより深く味わえるのではないでしょうか。 この作品では、「青空」であると同時に「誰か」でもあるという、重ね合わせの状態を意識して書きました。それぞれの特徴を活かしつつ、多面的な表現を目指したのです。そのため、直線的な視点と多角的な視点の両方が重要になってくると考えています。 要するに、この作品は擬人化であると同時に擬態でもあるということです。誰かのふりをした青空としての擬人化、そして青空のふりをした誰かとしての擬態。その両方の要素を織り込んで書いています。 特に擬態という手法は、一般的なものではなく、少なくとも私の知る限りでは滅多に用いられることのない技法です。こうして自分の手法について種明かしをしてしまうのは、自分にとって損をする行為かもしれません。しかし、私は常に新しい書き方を模索しており、今回ご紹介した手法も私の一部に過ぎません。 多角的な視点や思考を養うことは決して容易ではありませんが、私が目指している理想の一つです。

1
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-12-07)

歳をとると脳が進化するし、作品内容について自分で解説する野暮をおかすこともあると思います。作者は自分で自分の作品に責任を持たなければいけない。解説が口説くなると野暮ったくなるけれど、スマートに纏められていれば問題はない。種明かしどうかな? と心配する心持ちがあれば大丈夫と思います。無神経だとやたら解説詰めになってしまいますし、今回の一件無邪気作風は類さんの資質そのものを表すのでなくあくまで実験過程の一つかと。人文における実験の積み重ねというのは今日的な在り方として納得です。

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万太郎さんへ
(2024-12-07)

おはようございます。 歳を重ねることで脳が進化するという考えには、私も深く同意します。そして、年齢を重ねるほど人はむしろ若返る、というポジティブな思想を持っています。 今回お伝えしたのはあくまで手法の説明であり、作品自体の解説ではありません。私の作品には余白を意識しており、それが読者の自由な読解や想像を妨げることのないようにしています。作者の説明は、ただ一つの視点を示すに過ぎず、万太郎さんには万太郎さんの視点や想像があります。私は「作品は読者ごとに新たに生まれ変わる」という思想を大切にしているので、その解釈の幅を狭める意図はありません。 また、私は作品の核となる重要な部分については一切語っていません。手法を公開することで損をする可能性があると考えたのは、この場がネット環境であり、他の人がその手法を模倣する可能性があるからです。もし完璧に真似された場合、私は別の手法を探る必要が出てくるでしょう。それでもなお手法を説明したのは、この掲示板の多くのユーザーが書き手兼読み手だと認識しているからです。万太郎さんもその一人であると考え、読み手としてではなく、書き手として情報を共有したいと思ったからです。それが少しでも有益であれば幸いです。 作品に対する作者の責任とは、完成させ、それを公開することに尽きます。それ以降の責任は、読み手に委ねられるべきです。読み手がどのように作品を解釈し、楽しむかについては各自の自由に委ねられます。一方で、作者が作品の解説や手法の説明を行うのもまた、作者の自由です。私が説明を行ったのは、作品について深く知っていただきたいという気持ちではなく、書き手としての情報共有の意図からです。 無邪気な作風についてですが、これは単なる実験ではなく、私の中にある多様な表現欲求の一環です。私の作品は全て、私自身の一部を切り取ったものにほかなりません。無邪気さそのものが私の本質ではないかもしれませんが、それは確かに私の一面です。人は誰でも多面的な存在であると考えています。 >作者は自分で自分の作品に責任を持たなければいけない。 そのお考えについてですが、まずはその常識を疑ってみることが大切ではないでしょうか。読者は決して神様ではありません。

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万太郎
万太郎
類さんへ
(2024-12-07)

>>作者は自分で自分の作品に責任を持たなければいけない。 そのお考えについてですが、まずはその常識を疑ってみることが大切ではないでしょうか。読者は決して神様ではありません。 そうかも知れません。著作者が必ずしも過去の自分の著作内容に責任を負っているかというとそういうことばかりでもないですしね。人は成長するものだし変わる生き物です。しかし、広く伝播し普及した言葉には影響力があるため、書いている人は内容に関し細心の注意を払うものだとは思いますが。つまり偏った内容に感化され、悪い行いをしてしまった人などが出てきた時などに、作者は良心的な人なら、少し自分で気になるものではないかな? とも思うのです。 主体性を持つというのは責任込みではないかな? 例えば、自分の影響で誰かが社会的に脅威になるような言動をした時、自分がもしその影響を与えた人間だとしたら、どうしようと思う。私はそう考えてしまうタイプです。

0
万太郎さんへ
(2024-12-07)

万太郎さん、書き込み自体は問題ありませんが、これからはsage進行でお願いできればと思います。念のため、追撃が来る前にお伝えさせていただきました。 なお、新作にコメントをいただいており、返信には順番がありますので、お返事は少しお待ちいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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万太郎さんへ
(2024-12-08)

こんばんは。 尾崎豊の「盗んだバイク」問題を思い出しますね。「夜の校舎窓ガラス壊して回った」などの歌詞も同様です。彼の曲を聴いて影響を受けた一部の愚か者が、その行動の言い訳として尾崎豊の曲を持ち出し、当時の彼の良心を苦しませたという話を知っています。しかし、良心の呵責を感じることが責任の取り方になるかといえば、それは論点のすり替えです。政治家が「遺憾だ」と感じることで責任を取ったことになるのか、と問えば、その答えは「違う」でしょう。 先にも述べたように、作品に対する作者の責任は、完成させ、それを世に送り出すこと。それ以上でも以下でもありません。その後、作品がどのように受け取られ、どう影響を及ぼすかは、完全に読み手や受け手の責任に委ねられるべきです。万太郎さん、誰かがバイクを盗んだ責任を、死後の尾崎豊に問いますか?

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-12-09)

『All right』が好きですね 結局、サングラスをかけても自分の目がどのようになってるのか確認できない。 もしかしたら、光はその不可視な「目」から放たれているのではないかと思わされる。 自分だけにではなく、他者や世界(All)にその光輝く目を向けていこうよ、みたいなメッセージを受け取りました。 良い詩です。

0
万太郎
万太郎
類さんへ
(2024-12-09)

了解しました。sage機能というか、このサイトの場合、詳細設定欄を開けてコメント下部の付与ポイント表示の下にある『作品を掲示板トップに移動させない』にチェックを入れるでいいですよね。 >完全に読み手や受け手の責任に委ねられるべきです。万太郎さん、誰かがバイクを盗んだ責任を、死後の尾崎豊に問いますか? 問いません。ただ尾崎がどういう意図でその歌詞を歌い、それをどう聞き手が誤解したのか? という点において、尾崎は気にしたし苦しんだと思いますし、その点において共感しますね。 そういう面では、自分の意図したものを曲解されて悪用された時に、自分はそういうものを意図して内容を発表はしていないと潔癖を保つ努力はやはり必要だと思います。どんな影響力を発揮するものも悪い武器にはなる。人が他人に対し影響力を発揮して生きるのが社会の基本だとして、自分の発信したものの影響力に対して、気にはした方がいいと私はやはり思いますね。 この点について特に言い争うつもりはありません。お互いに意見は平行線でも構いません。何故かというとこれは実はとても深い問題で、だからこそ直ぐに話し合って答えの出る問題ではないと思うからです。コメント返信遅れてもいいし、特に返信することがなければそれで構いません。では。

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熊倉ミハイさんへ
(2024-12-10)

こんばんは。 サングラスを掛けても何の解決にもならない、という点がこの作品のミソになっています。『All right』は元々、「鏡を眺めると/顔が闇に包まれていた」というアイデアを起点に展開していったのですが、その結果、陰鬱で予定調和的な作品が出来上がってしまいました。そこで視点を転換し、「顔が光に包まれていた」という書き出しに変更し、ユーモアを意識して展開を進めたことで、ポジティブな効果が生まれたのではないかと思います。お褒めいただき、ありがとうございます。

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万太郎さんへ
(2024-12-10)

こんばんは。 作品の感想や批評から逸脱した雑談には、やはり限度というものがございます。もし話題が長引くようであれば、sage進行でお願いできれば幸いです。他の投稿作品の妨げにならないよう配慮したいと思います。一方で、新たな感想や批評をいただく場合には、sage機能を使用していただく必要はございません。 私の主張はすでに一通り述べさせていただきましたし、万太郎さんの主張も同様に出揃ったのではないかと存じます。この先議論を続けても、仰る通り平行線をたどるだけになる可能性が高いかと思います。このテーマは非常に奥深い問題であり、その深さゆえに意見や主張も多様に枝分かれする側面を持っています。 潔癖を保つ努力について触れられていましたが、作品を完成させ、公開することまでを作者の責任と考える姿勢もまた、一つの誠実な態度であると認識しています。「気にするか、気にしないか」によって責任の有無が左右されるというわけではないのではないでしょうか。仮に「気にする振り」をすることで責任を果たしたことになるのであれば、それは真に責任を果たすこととは言えないのでは、とも考えています。 この「場」はいつでも開かれています。何か気になることがあれば、どうぞ遠慮なくお越しください。対話を重ねることで、自分自身の内面を深める良い機会になると信じています。

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