別枠表示
エスカレート
空港にきて一番初めに驚いたのはエスカレーターを上から押しつぶしてぺちゃんこにした歩道があったことだ。無論元々エスカレーターだったのでぺちゃんこにされてもその機能は失われることなく自動で人々を目的地のちょっと手前まで送り届ける。私はそこにおっかなびっくり足を乗せると全く歩くことなく前方に運ばれていく。空港に初めてきたのは確か新婚旅行だった気がする。けれどそのとき動く歩道が空港の中に設置されていたかどうかまでははっきりと思い出せない。だから空港にきて一番初めに驚いたのはまでの文章になるべく取り消し線を入れて読み進めて欲しいと願う。そして下記に、動く歩道もエスカレーターとして記述するものとする。そうこうしている間にエスカレーターの終着地点が差し迫ってきている。思い切って、エスカレーターの終わりでジャンプをした。我ながらみっともない姿だと思った。こうするしか私には術が残されていないような気がしたのだ。エスカレーターの最後でジャンプをすることは、この国では硬く禁じられている。見つかれば重罪だ。ただでは済まない。エスカレーターの法律に疎い私でも、耳にタコができるほど父親から注意されたのを、今もまだ覚えているほどだ。エスカレーターの最後の部分でジャンプをする、このことが禁じられた背景には、ジャンプをした足元に余計な圧力が掛かってしまい、その圧力がエスカレーターの内部構造をぐるぐると回転しながら破壊していき、唐突にあらぬ事故を引き起こしかねないという、行政機関が公表したシミュレートの結果が大きく関わっているようだった。エスカレーターの両脇に設置された看板にも、幅跳びをする人のピクトグラムに✖マークがつけられていて、サブリミナル効果を生むようにエスカレーターの終着地点までその看板がずらりと立ち並んでいる。私は飛行機に乗ることを諦めると、空港警備員が駆けつけてきてしまう前に、踵を返して空港を立ち去った。タクシーの中でそのことを妻に報告すると、貴方らしいわねと言われた。すまないと言った。私から連絡をしておきますからねと言って途切れた会話が妻の最後の言葉になった。エスカレーターの終着地点を上手く対処しなければ足を挟まれかねないという恐怖が、積年の悲しみのように私の胸奥に降り頻っている(もしくは壊れた蛇口からとめどなく顔を覗かせる水滴を修理屋に電話をかけるでもなくただじっと眺めているように)。この町ではエスカレーターに足を挟まれるという事故が月数回の頻度で起きていて、足はおろか洋服がエスカレーターの手すりに挟まれるといった事例もあるようだった。それを知った私はエスカレーターの手すりには金輪際触るまいと固く心に誓った。しかし人々はそういった危険性を知りつつも、エスカレーターとは上手く関わっているようだった。エスカレーターが一番格好良く見える角度を模索して地べたに這いつくばるような体勢で写真を撮る青年を見かけたり、エスカレーターに乗る前に深々と一礼をする老人がたまたま映り込んだ場面がテレビから流れてきても、食卓では家族の箸が止まることなどはなく、皿の上に盛りつけられた料理だけが淡々と減っていった。かくゆう私もあの日から、エスカレーターに関する全てのことが網羅された図鑑を、行きつけの老書店に買い求めに走り、エスカレーターに対する恐怖を払しょくするように、毎日少しずつ図鑑のページを捲っていった。私には一人息子がいたのだが、仕事が忙しく結局最後まで満足に構ってやることができなかった。家庭はいつも妻に任せきりだった。ふり返れば何とつまらない父親であったのか、今さらながら妻と息子に謝りたい。ある日接待から解放された私が深夜家に帰ると、息子が一人、居間で勉強をしていた。なぜこんなところでと訊くと、こっちの方が落ち着けるからと笑った。私は甘いホットミルクを一つ作ると、黙って机の上に置いた。息子はかねてから希望していた大学に無事入学し、就職と同時に遠くの街に行ってしまった。息子と私が似ていたのは、何事も石橋を叩いて渡るような慎重さ、よく言えば野心や冒険心を欠き、安定志向でこつこつと取り組むこと以外は、なかったのかもしれない。私の場合はそれが仕事だった。大きな利益を求められない代わりに、その分、自分を押し殺して業務にあたらねばならなかった。不条理な文句もたくさん浴びた。小さな喜びもあった。概ね戸惑いと苦悩の連続だったが、それに少しずつ慣れてくると、いつの間にか深く考える気持ちが消えてしまった。だからその歯車の中にただひたすら身を委ねた。この家から巣立っていった息子のために、私になど似てくれるな、つまらない大人になるなよ、と、しかし息子の安定した将来のことを思うと、ついに私の口からそれを息子には伝えることができなかったが、息子が私に似てしまわないようにと、恥じらいもなく神様に祈らない日はなかった。皮肉なもので定年後の私には毎日あり余るほどの時間があった。エスカレーターに関する知らない用語を見つけると、エスカレーターの詳しい用語集(保険として買い求めていたもの)とエスカレーターの図鑑とを交互に見比べながら、ときにデパートへ図鑑を持込み、そこで使われているエスカレーターの型番を調査しながら、一つ一つ時間をかけてエスカレーターに対する理解と見聞を深めていった。やがてエスカレーターそのものの構造は、ごく単純な回転運動であると分かってきたが、その構造に、我々人間の終わることなき営みを懸命に写し取ったかのように思えてしまい、なおのこと私の心をエスカレーターがぎゅっと捉えた。やがて捲れるページが最後の一枚になると、なんとそこにはエスカレーター本人からのあとがきが記されていたのだった。索引から自主的に作った問題を解いた後、息を整え、あとがきを最後まで読み終えると、私の頭の中にはエスカレーターの歴史、構造、設置風景までもが克明に映り込み、そのトライアングルの中心には一本の大樹が記念として、植樹されたかのような気持ちがゆっくりと広がっていった。それからすぐに町にある唯一のエスカレーターの会社に履歴書を送り、ほどなくして採用の通知が届けられた。我ながら自分の行動に自分が一番驚いているが、エスカレートした行動もたまにはいいものだぞと、これで毎朝私の膝の上に座りにくる孫たちに、言ってやれるだろう。
ログインしてコメントを書く
エスカレート ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 220.2
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-20
コメント日時 2024-11-21
項目 | 全期間(2024/11/22現在) |
---|---|
叙情性 | 0 |
前衛性 | 0 |
可読性 | 0 |
エンタメ | 0 |
技巧 | 0 |
音韻 | 0 |
構成 | 0 |
総合ポイント | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
驚異的に虚無で、インポテンスな作品ですね。 「それ」を言語化するほど、わたしも感想(批評言語として)練れていませんけど。高い次元で書いていらっしゃるというのは、そことなく気づいているのですけど、ね。おもうに、1.5Aさんの世界観を理解できる人は、ほとんどいないのではないかな。
0興味深く拝読しました。エスカレーター(レール)に乗ってしまう人生の虚無とその人生の考察、最後に感じるであろう恐怖、そのレールからのシフトが描かれていているのだろうと読みました。 安定した人生は楽しいだろうか、それは誰のためだろうか、自分のため?家族のため? 新婚旅行(結婚)から始まるレール感覚、その人生の選択をしたのは本人なのだけど、何時しか疑問が湧き、そして最後までエスカレーターで運んでもらうことを望んでいた妻とは離婚することになる。家族への責務や世間体、パートナーとの決定的な不和ではない熟年離婚って単純なことではないんだろうと感じました。 エスカレーター(レール)で運ばれる(誰かを運ぶ)人生から逆の立場にシフトした主人公が得たもの、それは〝自分の足で歩く〟という自信であり誇りみたいなものなの。誰かのために生きることは素晴らしいことではあるのだけど(それが結婚であり子育てかも知れないけど)それによって自分自身が押し殺された(ただの歯車)と感じる人生だとしたら、それはきっと間違っていると私は思うのですよね。 『良い人生を』と誰彼なしに心の中で声をかけたくなるような読後感がありました。大抵の書き手は自分の立ち位置での感情しか描けないのだけど、それを俯瞰した立ち位置から作品に起こせる1.5Aさんの資質能力の高さを改めて感じた作品でした。まるで50代の既婚男性が書いたような。笑 でも実際はまだお若そうですよね。そういう意味ですごいな、と。
0