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としょかんのとしょかん
としょかんのとしょかんに『重力の涙』という本を借りにいった。事前にとしょかんのインターネットでその本がどこにしまわれているかを調べていた。どうやらとしょかんには、としょかんのとしょかんという場所が存在するみたいだった。僕はトイレにいくふりをしたり、複雑な名前の本をさがす司書の方にくっついていきながら、普段はいかないようなところに足を伸ばしてとしょかんの内部を入念に調べた。すこし喉が渇いたので自動ドアにそっと触れ、エントランスホールまで戻ってくると、遠くの潟から吹く風がとしょかんの大きな窓から入りこみ、カーテンと僕の紐靴をひらひらと交互になびかせた。寄せては返す波のように。併設されていた自動販売機の前に立った。自動販売機は二台あって、ペットボトルと缶ジュースが買える当たりつきの基体と、紙コップがジュースを受け止めてくれる基体とが、手が入るくらいの隙間を空けて横並びに設置されている。その隙間の奥に鉄の門扉があることを見つけた。 としょかんの奥には鉄の門扉があって、入ることができないようになっていたのに、僕はどういうわけかすり抜けることができた。手前にある自動販売機や奥にあった門扉は、じっと黙って音を立てる様子もみせず、静かに僕をすり抜けさせた。すこしだけ誰かに見られているような気もしたけど、だから入ってもいいのだと思えた。階段を下りていく途中、僕は本当に誰一人とも出会わなかった。コツコツという音だけが空間に響いた。不思議な高揚感に酔いしれていたのだ。僕はどうしようもなく。階段はいつの間にか木の板に感触を変えた。木でできた廊下の壁伝いに埋め込まれた電球がときどきチカチカとひかり、足元に浮かんだ影のみずたまりを踏みつけて僕は前に前にと進んでいった。真っ直ぐな道がどこまでも伸びているように見える。右にも左にも折れることなくただ真っ直ぐな暗闇が口を開け待っている。 突き当りまでやってくると見えてきたのは本棚だった。としょかんにある頑丈なタイプのものとは全く違って、やわらかく年を重ねた風合いがあった。何かを許し、許されてきた歴史を感じた。そこには一冊だけ本があってやっぱり古びていた。角が欠けた背表紙に触れると、ギターみたいな耳鳴りがした。僕は今日二十六歳になり、もうすぐとしょかんは閉館の時間を迎える。ホタルノヒカリが天井から漏れ聞こえてくる。僕は急いだ。ここから出られなくなったら困るので、とにかくいろんな動作を素早く行うことにした。目の前の本を手に取り、僕はわきめもふらず来た道を戻った。真っ直ぐな廊下を走り、影のみずたまりを踏みこえ、上り階段があるはずの場所に戻ってきたのに、階段は下へ下へと続いていた。階段の少し上には窓があった。ほどけた蝶々結びで踊り場へ降りると、ぼんやりと窓の奥を見つめた。月がさかさまに浮かんでいた。それはきっと、夜明けを見る花のようだった。
としょかんのとしょかん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 745.1
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-10-01
コメント日時 2024-10-11
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この作品も面白いですね。この作品ももう自分ルール的(笑)にコメントさせて頂きます。 >重量の涙 感情で湧き(上がる)涙ではなく、重量ならもっと重い、抗えない涙と捉えて、 としょかんのとしょかんは心の表層から一步踏み入った深層の比喩として読みました。表層に並ぶ数々の書籍ではなく心の一番奥にあるのは一冊の書籍であるということ。 その場所への入口は固く閉ざされているのだけど、意外なところから見つかる。風に波うったカーテンの隙間のような場所からすり抜けるように入り込める瞬間がある。これは他者の心でも自身の心でもそうなのじゃないかと思いました。 一直線の道は真っ直ぐさを表しているように感じました。そして深く暗くいのですね。入口に戻るつもりがより深みへ。 ラストの、 >月がさかさまに浮かんでいた。それはきっと、夜明けを見る花のようだった。 限りなく美しいですね。救われる美しさ。これは1.5Aさんの人間性が見せる優しさの美しさでもあるように感じました。 そしてこの部分、不思議な日本語なんですよね。 >それは、きっと夜明けを見る花のようだった。 垣間見えたもの、掴みきれていないものへの願望だろうか。 もしかしたらこの花は見えたものではなく想像なのかも知れない。つまり、この夜明けを見る花を想像して書かれた作品。 そんなあやふやさ、危うさが一層美しく感じさせるのかも知れません。 …本の内容が気になりますね^_^ 心が浄化されるような作品でした。読ませて頂けて感謝。
0それは、きっと夜明けを見る花のようだった、のそれというのは、さかさかの月を見ている僕自身として書こうと思いました。帰り道が消えてしまった絶望のなかでも、それ以上にさかさまの月という不思議さを目の当たりにした僕の顔には、きっとまだ表情が灯されているのではないかと想像し、夜明けを見る花、というどことなく諦めから遠ざかる例え方にしました。少し飛躍させると、(自分が)死に近づいている最中でも、ただ満面の恐怖に染まるのではなく、死の局面を優越した美しさやきれいさが自分の傍らにあれば、それを認識できるのではないか、もしくは認識していたいという願望が体のどこかに残されていてほしいと、そんなふうに考えました。重力の涙というのはでっちあげたものなのですが、これを書くときには短い小説をもとにしました。あるとき夜の図書館に入れるというイベントがあって行ったのですが、普段より人がたくさんいて、僕が当初想像していた、本が眠っているような静まり返った夜の図書館さが全然なかったのは、しかしよい思い出でした。そのように図書館の魅力は語りつくせませんが、これからも人々を引きつける不思議な存在であり続けて欲しいなと、お返事を書かせて頂きながら思いました。コメントを頂き、ありがとうございました。
1そういうことだったのですね。 あぁ、なんだか更に良い詩だと思える。確かに、確かにそうですよね、と頷ける。絶対的な暗さの中に飲み込まれた中で何が灯となるか、それは超越した美しさなのだろうと思います。それは勿論視覚的な美という単純なものだけではなく。(1.5Aさんが私が詩を書くことをそれとなく勧めてくれる理由が何となくわかった気がします。これは独り言) 私は読解ってその時の自分を映し出す鏡だと思っているんですが、無意識下の自分をもっと掘り起こせばきっとたどり着けたように思えます。 本当に良い作品、そしてレスポンスありがとうございました。 夜の図書館、何だか魅力的ですね。
1哲学的な詩だと思ったですね。最近、デイヴィッド・ルイスという哲学者の本を読んでいるのですけど、彼は世界が並行して複数あると主張するのですよね。その思考の背景には、物理学や集合論などがベースにあるのですが、考えてみれば詩というのも、もともと昔から、そういう世界の複数性みたいなの夢想している、それとともに生きている人種が書いているのだろうなと。それで、この作品を読むにあたって、ポイントとなるのは「図書館」をモチーフにしたことの是非になるのだろうと思います。
0「としょかんのとしょかん」という発想自体が素敵だと思いました。 図書館を所蔵する図書館ということでしょうか、世界にはたくさんの言葉で書かれた図書館がいろいろな景色や天候の中に佇んでいて、それが図書館の図書館で手に取ることができる、そういった空想が広がりました。作品全体としても興味深く読ませていただきました。 最後は少し意外というか、「としょかんのとしょかん」という題名で、絶望というか暗い結末にされたことは、わたしには難しいように思われました。 途中の描写に自動販売機が大きな存在感を持っていますが、ここにも何か狙いがあったのでしょうか。おまるたろうさんの仰るように図書館の「集合」としてであれば(わたしも題名からそのような印象を持ちましたが)、26歳の自分が下に下に行く必要性はなかったんじゃないかなと思ってしまって、不思議な読後感でした。
0「としょかんのとしょかん」とは何ぞやと矢張り思いますね。としょかんのなかにあるとしょかんなのか、としょかんのなかのとしょかん、つまりよりグレードの高い図書館の事なのか、判断に迷います。正解はないのかもしれませんが。雰囲気と言うか匂いがあると思いました。影のみずたまりだとか、すり抜けることのできる僕など。物語を許容する雰囲気がいいのかもしれません。
0僕もSF映画は好きなのでよく観ますがちょっとニヤリと笑みがこぼれますね。としょかんのとしょかん「図書館の図書館」。?なんでひらがなに置かれたのかな?って思えば単に図書館という場所を特定させたくなかったのだろうと推測してみます。「重力の涙」このことはおまるくんも指摘している重力波のことでしょうね。重力波といえば世界ではじめて検出したのは物理学者のキープ、ソーン。この人が関わった映画で有名なのが、そう、まさにこの作品の素になっている「インターステラー」ですね。だからこの映画を観ている人にはすぐにピンときちゃうとおもいますよ。この作品でも置かれている僕は多次元(パラレル)世界へ迷い込んでしまったわけですから。 でも、どうでしょうね。細やかに表現されているとは思うのですが、いまいちインパクトに迫ってこない。それは重力波によって(そこがブラックホールか素粒子の波か何なのかさえわからない)その存在すらもはっきりとしない実体(虚体、超現象?)に置かれた僕が、別次元の中から元の三次元世界を見つめて動き廻る様子でしか表されていないからかな、とも思ってしまう。もう少し向こう側(三次元)の動きや様子も描いてほしかったかなと。何せ冒頭からいきなり主人公の僕は異次元にハマり込んでしまってるわけだから。そんな印象ですかね。
0コメントを頂きありがとうございます。 おまるたろうさん 並行した世界については色々な考えがあると思いますが、僕が空想してしまうのは〇〇をしていれば(というちょっとした後悔)の世界ですね。例えば決断について―決断は並行した世界に存在する全ての僕によって、全通りの種類試されているはずなので、そこには間違った選択や答えも無論存在しているはずなのですが、必ずどこかの僕が正解に辿り着けている、という理屈を付けて、毎回自分を慰めています。図書館はいつの時代も知の集合体であり続けて欲しいと願うのですが、図書館の本が様々な人に借りられ、再び図書館に帰ってくる。そうした循環にも、並行する世界を垣間見えるのではないかと思ったりします。 佐々木春さん としょかんのとしょかんというのは(僕の中では)図書館の深層というイメージなのですが、佐々木さんのおっしゃる図書館を所蔵する図書館というのは、とても面白い発想だと思います。以下、色々と感じたことを書かせて頂きます。まず26歳にした理由は、さかさまの月について検索をしていたら、逆三日月というものがあり、“月の満ち欠けの周期が新しく始まって26日目の月を”逆三日月”と呼びます”というそこに書かれた説明文から、26という数字を拝借しました。さかさまの月=逆三日月なのかは、いまいちよく理解できていませんし、それ以上の意味はないのですが、確かに26歳のふるまいにしては全体的に幼さが残るなと感じました。次になぜ階段を下りたのかですが、暗闇の残る(階段の)踊り場に四角形のひかりがぽつんと落ちていたから、みたいなことを初めは書いていたのですが、上手く書けなかったので結局削ってしまいました。そして自動販売機についてですが、これは実際に僕が行く図書館のエントランスホールにそのように設置されているままを書いています。最後に“僕”の存在についてですが(ありえないことを色々としているのですが)、そもそもの生死は明確には書きませんでした。もしかしたら“僕”自身が“本”だったという可能性もどこかにあって、それは“僕”の意志ではないかもしれませんが、最終的に図書館の深層(で眠りにつくため)に帰ってきたのだと考えるのであれば、悲しいばかりの結末ではないのかなと考えます。 エイクピアさん 単純に文章を読むという面白さが湧いてくるように注力して書きました。説明的になり過ぎず、あっさり読める読みものを書こうとしていたらこのような図書館になりました。しかしひとえに図書館といっても、その空間には閉架書庫があったり、会議室があったり、売店があったり、なかには図書館内に書店があったり、地域によっても様々な特色があり、そんなことを調べているだけで何だか楽しくなってきてしまいます。そういった楽しさが物語の陰影になり、不思議な世界がいつまでも照らし出されたらいいなと思いました。 メルモsアラガイsさん 表題にひらがなを用いたのは、絵本っぽさを出したかったというのがまずあります。そして絵本の持つファンタジーな部分やSF(すこし不思議)の色、そういう力を借りたかった気持ちが大きくありました。「インターステラー」は名作だと思います。同じSF映画だと「オデッセイ」も面白かった記憶がありますが、なにぶん昔に鑑賞した映画ですので、Wikipediaで改めてあらすじを確認して、ひとり懐かしさに浸りました。「もう少し向こう側(三次元)の動きや様子も描いてほしかったかなと」 ご指摘いただいた通りだと思います。これは飽くなき宇宙への探求心のように、永遠の宿題とさせて下さい。
0メルモさんのインパクトについての言及、私も同意します。元は小説だというコメントから考えたのですが、まだ説明的な描写が削除され切れていないのかなと思いました。そのため、最後に階段を下に進む展開も事前に読めてしまいました。まあ、図書館からすんなり出てこれることはないだろうなと。どこか散文調な箇所があることで、読み手に並行した想像を許してしまい、スピードが追い付かれてしまうことがある、のかなと。 ただ、題材がものすごく面白かったです。ワクワクしながら読みました。ある方の、図書館の本棚が牢獄に見える、という言葉を思い出しました。長年本棚に閉じ込められているが、何か光るものを持っている本がある。だから、燃やされたり捨てられたりせずにそこに並べられている。 「何かを許し、許されてきた歴史を感じた。」 ゆえに、この言葉にグッと来ました。 他、色々面白いところが散見されます。普通の図書館ではない、地下は一本道。自由に本を探すという性質の場所ではなくなっていたり。それだけで、その場所が何を訴えているかが伝わってきそうな気がします。 良い詩でした。
0ありがとうございます。詩は人によって書いている理由が異なり、好みも分かれる、またその嗜好は経験や歳月によって変化をするものだと思います。熊倉さんが書いて下さったワクワクする気持ちというのは、僕が創作物に対して大切にしている主点で、それは探検だったり冒険だったり、まだ知らなかった町を散策した記憶のような、そんな原体験に似ていると感じます。金井雄二さんの詩を読んだときに浮かんでくる感覚というか。描写と感覚が混ざり合っていくような、気がつけば段々と詩を小説の淡いに近づけたいと思うようになりました。
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