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思い出す詩のことなど
子供の時分、木枯らしの強かった夜の翌朝などに雨戸を開けてみると、庭に詩が幾つか落ちていることがあったものだ。 その頃は、そんなことが当たり前の世の中であったから、朝日に透かして見て、美しく輝くようなものでもなければ残しておかず、たいがい枯葉と一緒に燃やしてしまった。 どこの家でもそうであり、焚き火で焼き芋をこさえる時など、詩が混じっていると甘みが増すなどと大人達が冗談めかして話しているのを火にあたりながら聞いていたものだ。 道路に落ちた詩は、詩拾い屋が根こそぎ持って行った。きまってボロを着て頬被りをした二人組の男達がリヤカーで来て、サーベルの様なもので詩を刺し貫き、荷台に置かれた大きな竹籠の縁でこそげ落とし中に入れ、人目を避けるように次の町へと足早に去って行った。 一度だけ「あの詩はどうなるのか」と、夕餉を囲んでいる時にたずねたことがあったのだが、両親から「そんなこと、子供は知らなくてよい」と、きつく叱られ、そのことを口にだすのは私の中で禁忌となった。 いつか知りたいと心の内に長く思っていたのだが、私が大人になる頃には、もはや以前のように詩を見かける機会など無くなっていた。そればかりか、詩について、自分達がどんなことをしてきたか、口を噤んでいるほうが賢明だと云う世相にさえなっていた。 だから私は、今もあの竹籠の中の詩が結局どうなってしまったのか、未だに知らないままである。
思い出す詩のことなど ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1242.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-12
コメント日時 2018-03-15
項目 | 全期間(2025/01/03現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんという詩情、なんというノスタルジー。短いながら語られるべきことはすべて語り尽くされている気がします。強烈に胸に迫るセピア色の美しいおとぎ話。しかも「子供の自分」のことが必ずしも「古き良き時代」として語られるのではなく、かといってもう過去のようなことがなくなってしまった現在がよりいい時代として語られることもなく、どちらかというと深い喪失感と古い時代への憧憬をいくらか含んでいるようなニュアンスの語り口がこの物語に寓意と感情が何層にも重なり合った厚みと深みを与えていると感じました。
0この「詩」というのがなんの比喩なのかということばかり気になってしまいました。この詩の主題はそこではないのかもしれませんが。昔はそこいらに転がっていたのに、今ではそれをどういう風に扱っていたのかさえ口に出すのがはばかられるもの。ただし、美しくて輝いているものなら今でも残っているかもしれないもの。いったい何なのだろう。
0拝読。 ここ何年かは野良犬野良猫の類を見ていないように思います。かわりに毛並みの整った小型犬が飼い主に連れられている。 子どもの時分、いなくなった野良の類の行方を親に聞いても知らないよと返されたものですが、殺処分されていたとはいえなかったのかもしれません。同じように詩が殺詩ょ分されていたとしたら、怖い話ですが、ありえない話でもないですね。 かといって、首輪をかけられてハーネスで縛られた詩を見るのも胸くそ悪いように思います。 自転車に乗った空き缶回収のおっちゃんを見たことがあります。ハンドルを握る両手にゴミ袋を持っていて、ゴミ袋には空き缶がいっぱい。そんなだから腕の筋肉がハンパない。それだけ集めても大してお金にはならないのですが。 あのなかにギッシリ詩が詰め込まれて、塵芥処理施設でプレスされることを想像すると、薄寒ささえ感じます。
0何処かで…というノスタルジーのような感覚は子供時代を思い出させる書き口だからだろうか。詩がなんの比喩なのか、などということは読み終えてしばらくするまで浮かんで来なかったぐらい、すとん、と胸に落ちてきました。
0この詩では、「詩」に対して今では口を噤んでいるが、しかしその「詩」がかつては刺し貫かれるような生々しいものとしてあったと述べられていますが、その生々しい感覚の喪失としては(「詩」はそのような感覚を表していると私には思われたので)私にも思い出されるものがありました。特にこの詩情とよく結びついているのが、何か思い出すというような語り手の口調で、その口調に鑑賞者を誘うことによって子どもの頃の何かをなくしたという喪失感を甘く想起させるような詩であると感じました。また、世界に対するまだ幼く淡い感覚が、刺し貫かれる経験によってその生々しさに気づかされ、しかしそれが禁忌化・希薄化することで喪失されていくという流れも、私の子どもの頃の感覚に幾らか似ているように感じられました。 しかし、「詩」という語がそのような感覚を示していると詩の文脈からは感じられるのですが、詩そのものは感覚自体ではなく発声や文字であるという感覚があり、それ故に「庭に詩が幾つか落ちている」や「たいがい枯葉と一緒に燃やして」という部分に違和が感じられてしまうので、ややこの考えは安易に結びつけすぎているのかもしれないと思いました。或いはもしかするとこの部分に関しては、詩に対する感じ方の、或いはそれ以前の生の直観に対する感じ方の違いなのかもしれませんが……。
0文章に無駄がなくなめらかで、何度でも読みたくなるような作品だと思いました。
0インフルエンザに罹り、コメントを寄せていただいた皆様に返信が遅れ申し訳ありません。今しばらくお待ちください。
0昭和の作家の文章の一部のような趣きですが、 一語が詩に変える魔法(お手本)のように読みました。 比喩せずにはいられない人間のいたずらごころが醸す味わいと、 無心に「詩」を「詩」として読んだときの、そのたびごとに、 心のなかで小さく弾ける出あいの素敵さ! インフルエンザ、撃退してください。おだいじに~
0survofさま、コメントを頂きありがとうございました。 平成も30年になりましたが、いまいち愛着がないんですね。 時代についていけないといえば、それまでですが(苦笑) 「古き良き時代」のお話し、そうなのかもしれません。 実際、思い出は必要以上に美化・上書きされがちですし。 それでも、記憶から消せないホロ苦さみたいな「あの感じ」を少しでも書けたとしたら、 今回は良しとしたいと考えています。 IHクッキングヒーター(2.5kW)さま、コメントを頂きありがとうございました。 やはり、「詩」が何を表現しているか気になりますよね(微笑) ただ書いた僕も、そこに関しては漠然としたイメージしか持っていないのです。 すいません。 でも、明確な答えがないというのも悪くないと思われませんか。 地(
0花緒さま、コメントを頂きありがとうございました。 お手本といわれると、相当こそばゆいですね。 また、「分かりやすい」という意見はありがたいです。 今回は「白ウエキ」で書いたもので……。
0蔀 県さま、コメントを頂きありがとうございました。 作った本人より深く考えて頂き、非常に恐縮しています(汗) 「ありえない世界観なのに」という点は、まさにそうですね。 これは文章としては存在しても、像としては結べませんよね。 しかし、その宙ぶらりんの所が良かったんでしょうか(微笑)
0なんだかとても素敵な世界観でした。 ものすごくしっかりまとまっているし、不思議なユーモアがあって、何回でも読み直したくなっちゃう。 私は詩は一年ほど前に書き始めたばかりで、詩とはいったいなんなんだろ? みたいなことを考えることがふとありますが、そうそう、詩ってこういうふうに日常にまぎれてるんだよナア、という。 平成の日常な混ざっている詩、というのを、だれか返詩で書いてくださらないかな〜(他力本願)。
0田中修子さま、コメント頂きありがとうございました。 詩は日常=世界にあふれてるのでしょうね。 世界中で一日にどのくらいの詩が創造されているか?考えるだけでクラクラします。 詩を書き始められて一年余りとのこと、これからもどんどん書いてください。 僕は書き恥め、十余年経ってしまいました(苦笑) 蛾兆ボルカさま、コメント頂きありがとうございました。 他の方の「読み」を拝読するにつけ、 作者自身の意識の低さに冷や汗の出る思いです。 「詩」が何を意味するのか? 僕はたぶん「時代の空気」みたいなモノだと考えています。 しかし、あえて云えばですが。 ジャズでいえば「モード」みたいな感じになるでしょうか……。 まったくもって、ことばで表現するのは難しいです。
0ウエキさん、御作にコメントさせて頂きます。 詩が幾つか落ちている、美しいようなイメージは、後半の二人組の男たちの怪しさ、詩の扱われ方のつめたさで、何か悪いもの、かなしいもののような印象に変わる。 最初と最後では全く異なった印象になる、自然にそう読めるところにこの詩の力を感じました。
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