生活ってなんだ? - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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生活ってなんだ?    

 水位を増している川の近くを通れば、泥や腐った枝葉のような匂いがして、それは呼吸をとおして、鼻から肺へゆき、わたしのつく息でまた川へと流れいたる、川はそうやって、わたしを晩御飯の買い出しへ運ぶ。  道はまだ水分を多く含んでいて、つっかけが地面を蹴る時、少し涼しい気がする。スーパーへ続く階段には、ところどころ水たまりが出来ていて、足元を見ずに歩くわたしを責めるように、たまった水をわたしのくるぶしへ飛ばしてくる。  スーパーには無限に近い数のデラウェアの粒が増殖と減少を繰り返し、フルーツ売り場には今の季節、とにかく丸い粒が多い。アメリカンチェリーもさくらんぼも、プラムもハウスみかんも、輸入ぶどうもみんな丸い粒を光らせて、目の前に立つ高齢の女性に選ばれるのかだけが気がかりな様子だ。隅の方に、ココナッツが三つほど売られているのを見て、これをゴンっと叩いてストローを挿して、その中身を飲んだら、ここから脱出できる気がして、わたしは誘惑にかられるが、可燃ごみの日までにどれほどのちいさなハエがそこへたかるかを想像して、やはりココナッツたちは三兄弟のまま、肩を寄せ合っている。スーパーはとても空調が効いていて、わたしはさっさと、納豆とたまごとカニカマとそれからさけの切り身を買って、そこを切り上げる。  身体は一度とても冷たくなったのに、スーパーの外に出て少しすると、ジトッとした汗がやはり垂れてくる。家までの道のりは十五分ほどで、また川の匂いを嗅いで帰る。歩道には長方形の大きなプランターの中にペチュニアとベゴニアが植っている。ベゴニアは夏の盛りには、焼けたベーコンみたいになっていて、わたしはその頃にあの花をみると、健やかな朝ごはんの一部をつい思ってしまう。  家に着くと汗がダラっとたれて、思わずエアコンをつける。それから、わたしは服を脱いで手を洗いうがいをし、エコバッグの中身を冷蔵庫に入れて近頃閉まりにくいそのドアを強く押してから、脱衣所へゆく。出てきた頃には、ハーブの匂いがわたしを包んでいる。わたしはドライヤーが嫌いなのだが、脱衣所の椅子に座って決められた時間は最低でもドライヤーで髪を乾かすことに決めている。携帯のアラームが鳴ると同時に髪を乾かすのをやめ、リビングへ行き、エアコンの設定温度を一度あげる。  お出汁を引くときには二通りの心境があって、こんなことはやってらんないよ、と、これが世にいう生活というやつか、のだいたいどちらかであるが、両者が混じって、こんな面倒なことはやってられないけれど、これが生活か、となるときもある。食べるものに関心がなかった時期が、人生の九割強を占めているので、わたしの部屋のコンロは一口コンロで、野菜やらを切ったり何なりができるスペースも、コンロとシンクが、10cmほどの距離でくっついているだけだ。こんな狭い台所では何もできないので、スペースを増設するために購入した、主にパンなどを作りたい人向けの、収納と作業スペースが一体になった場所で、冷蔵庫から取り出したねぎを刻む。ねぎの半分は明日の朝以降食べる納豆用に細かく切り、残りはお味噌汁用に大きめに切った。味噌汁は熱いのが苦手なので、先に作ってしまう。具はねぎと油揚げだ。出来上がった味噌汁を手にこぼさないように慎重に器によそい、テーブルへ置きに行く。さけはフライパンにキッチンペーパーを敷き、そこへ乗せて両面を焼く。換気扇を回していても、台所中に、焼けた魚の匂いが充満し、それだけで腹がいっぱいになる気がする。さけを焼き終わったら、皿に盛り付けた後、卵焼き機を収納棚から取り出し、卵焼きを作る。器に卵をといて、砂糖と醤油を入れて混ぜて、油を敷いた卵焼き機を熱していく、これをくるくる巻いている間だけわたしは何も考えずに住む。 (すくない収入のこと、離れて暮らす両親、さらに離れた場所に住む祖父母のこと、姉のこと、妹のこと、昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)  何も考えず作った卵焼きはとても黄色くて、この世のものというより空想上の月に近い色をしている。卵焼きと焼いたさけを持って、台所を出る。そして、食卓に並んだものたちをみて、米を炊くのを忘れていたことに気づく。ため息をついて、冷凍ご飯の在庫があったかを見に行く。自分の要領の悪さやもっと根本的なだめさに直面した時、降り積もって続いていくことこそが、生活の核心の部分なのではないかと、ごくたまに思う。でもそんな考えはすぐに流れていく。わたしはわたしのだめさに流されて、その流れはとても速い。諦めた気持ちで冷凍庫を覗くと、奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはんがあった。



生活ってなんだ? ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 17
P V 数 : 1666.6
お気に入り数: 1
投票数   : 3
ポイント数 : 0

作成日時 2024-07-13
コメント日時 2024-07-23
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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叙情性00
前衛性00
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 エンタメ00
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閲覧指数:1666.6
2024/11/21 22時34分15秒現在
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    作品に書かれた推薦文

生活ってなんだ? コメントセクション

コメント数(17)
湖湖
湖湖
作品へ
(2024-07-13)

生活が丁寧に描写されて丁寧に生きている感じです。ダメさが云々の最後の方の記述は自己を過小評価する感情の揺れな気がしました。命は砂粒のようでも宝石です。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-13)

詩だと思ってページを開いたら、私(小説)だった……(下手なギャグ) どことなく、ほどよい生活感というのがあると思えました。 しかし、同時にどことなく一種の気だるさがあるように思えるというか……(それも料理を作る場面で。お出汁を引くときの心境だったり、焼けた魚の匂いでおなかいっぱいになる=食欲が減退してるということで……いいのかな? この読み方で合ってるだろうか?) 食や料理でそういった倦怠感を感じたことがあまりないから、これはこれで興味深いけれども。

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1.5A
作品へ
(2024-07-14)

まず、「奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはん」というのは作中の“わたし”に投影されているのではないかと思いました。雨と川、川縁やごはんや鼻に流れ込む様々な匂い、湿気と洋服が汗を吸う音、生活の中にいる“わたし”。文章の端々から映像がにじみ出て、一行読み進めるごとに、作者と読者の目の前で、鮮やかに双方のイメージが結ばれていきます。次に気になったのは、「(~昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」という記述でした。「何も考えずに」と書かれつつ、ナレーションのようにこの記述が挿し込まれ、連と連が繋がれていきます。僕はこの一文から死を連想したのですが、死、とまではいかなくとも、行方をくらませるという可能性もなきにしもあらずなのですが、前連で細密に書かれた料理の場面からは、やはり生活という、生の部分を想起しやすいように感じます。なので、↑の記述(死のイメージ)がその分、不意に現れすぎているように見えて、少し気になりました。仮に、生と死の対比がそこにあったとしても、死のイメージの方は今にも死んでしまいかけているように、目のきわにか細く映って見え、その生と死の力のバランスのようなものが不均衡に強調されて感じられました。「~奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはんがあった。」で締め括られるのも、一番上に書いた理由が生きてくるような気がして、とても良いので迷いますが、例えば今の最終連を繰り上げて、「(すくない収入のこと、離れて暮らす両親、さらに離れた場所に住む祖父母のこと、姉のこと、妹のこと、昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」の方を終わりに据えられると、(僕が感じた)唐突さは、強い読後の印象を残すための結末へと、挿げ替えられるのではと思いました。あるいは現状の終わりのままであれば、「(~昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」の伏線(例えば精神を落ち着かせるために安定剤を口にしている場面や、“わたし”が唐突な不安に駆られてしまう性質があるみたいなシーンを前段階として描かれるなど)をどこかの連にひっそり忍ばせておかれると、感じた唐突さはすっと腑に落ちていく気がします。あるいは、増水した川や(大)雨というのは、反射的に人間の不安な気持ちを表す言葉であるとも考えられますので、そこに(意識的に)フォーカスを作ることで、“わたし”の中にある不安みたいなものがおのずと代弁されていくのではと思いました。雨の日の川の流れと、“わたし”のふがいなさもどことなく似ているんですね。起点と終点が雨上がりの空みたいに繋がって見えました。『生活ってなんだ?』という表題は一見かわいらしくもあり、はたまた、『つなぐ』でも意味が通じるのではないかと思いました。『ゆれる』みたいに。それから家族の登場のさせ方がとても上手だと思いました。その一行の中に“わたし”のルーツを散らばせている感じがして、そこから安易に家族の話に広げていかれなかったところがまた、“わたし”により焦点を絞られている感じもして、作品の奥行きを広げる効果が最小限で得られていると感じました。と同時にそれは、物語を広げていく源流にもなりうるかと考えます。終盤の方にある「これをくるくる巻いている間だけわたしは何も考えずに“住む”」はタイプミスかと思いました。着目すべきところを挙げれば終わりが見えてきませんが、この作品を拝見しながら、頭の中では『水たまりで息をする』が浮かんでいました。この作品を形作る息をするような自然な文章は、息をしなければ生きられないことへの裏返しだと思いました。

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ハツ
ハツ
湖湖さんへ
(2024-07-14)

湖湖さん、コメントありがとうございます。 >命は砂粒のようでも宝石です。 湖湖さんはいつもさまざまなコメント欄でコメントが光ってらっしゃる印象です。それが自分宛だとなおさら嬉しいんですよね。コメントありがとうございました。

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ハツ
ハツ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-14)

テイムラー隆一さん、コメントありがとうございます。 >食や料理でそういった倦怠感を感じたことがあまりないから、これはこれで興味深いけれども。 それはとってもハッピーなことだと思います。 料理シーンはハッピーな方が世界観として明るくて共感されやすいかもしれないというのは確かにです。もうちょっと共感されやすさや明るさも追いかけていきたいですね。コメントありがとうございました。

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ハツ
ハツ
1.5Aさんへ
(2024-07-14)

1.5Aさん、コメントありがとうございます。 >なので、↑の記述(死のイメージ)がその分、不意に現れすぎているように見えて、少し気になりました。 たしかに……となりました。カッチカチのごはんを主人公の心の中にある石のようなものとして読んでいただくことも可能なのかもしれませんが、わりとご機嫌にスーパーで買い物してますし、植物に食を見出してる主人公だから、ちょっと唐突ですね。これが平日の真っ昼間の話で、主人公も本来働いているはずなのに……というようになんとか不穏さを散りばめられたら良かった気がします。 >終盤の方にある「これをくるくる巻いている間だけわたしは何も考えずに“住む”」はタイプミスかと思いました。 ありがとうございます!教えていただいて初めて気づきました。情けない……。縦書きはサラサラスルスルよめて誤字の発見率が下がります。助かりました。 『水たまりで息をする』ですが、高瀬 隼子さんの本は何度かパラパラと書店でめくってみて、ちょっとつらいかもと読むのを見送られています。 いろんなポイントに言及していただいているので、自分の中でもうちょっと考えてみます。これだけのコメントを書いていただいたことを次回以降に活かせるよう励みます。コメントありがとうございました。

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A・O・I
作品へ
(2024-07-15)

わたしは何も考えずに住む」 わたしてきにはこの誤字すごく好きですね。これで終わりたいぐらいですwこの作品は日々の生活のルーティンをなわけですから、住む、で確かにーーとなりそうだなと。 いつも思うのだけど作品を書く際に順を追って時系列にしてしまいがちですが、結局印象としてなにを持ってなにを残すかだとおもう。私だったら最終連から始めて、次に()括弧の部分を、んで初連に続けますかね。あとどうしても〝わたし〟としてしまうと作者から切り離しづらくなるので。おんなにする、淡々と置きたいかなと。全体を見てもまあ括弧の部分が生かしきれてないというのはあります。そういった不安感は丁寧に生きつつも、ふっとあらわれるものだから、ちらちらと散らばしてほのめかすといいのかなとも感じました

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ハツ
ハツ
作品へ
(2024-07-16)

A・O・Iさん、こんばんは。コメントありがとうございます。 >わたしは何も考えずに住む」 わたしもこの誤字好きです。なんかイイ……!今度使います。たしかに最後に持ってきたいです。 >いつも思うのだけど作品を書く際に順を追って時系列にしてしまいがちですが わたしは時系列に魂を売ったのかというレベルで時系列順で書いてしまって後で、全然ダメだ〜となっています。いい加減に時系列以外の書き方を使いたいです。 >結局印象としてなにを持ってなにを残すかだとおもう。 これが自分の中で咀嚼し切れてないんでしょうね。そういう風にかける時もまぐれであるけど、ほとんどはできてない。 >あとどうしても〝わたし〟としてしまうと作者から切り離しづらくなるので。おんなにする、淡々と置きたいかなと。 それだ!となりました。おんなにするかは悩みどころですが、名前をつけるのもいいかもですね。ちょっと考えます! コメントありがとうございました。参考にします。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-17)

ハツさんは個人的にはたいへんに好みな作風ですが、 どうせそこまで書くのなら、「鬱」卍解でやってみても面白いかも、、 と不穏なことを思ったりもします。 あるいは、もともとモノローグの個性の力が強いので、 それを抑制する方向性もありかもしれませんね。 自分をいっさい出さずに、他人に目をむけるとか。

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ハツ
ハツ
おまるたろうさんへ
(2024-07-17)

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 鬱の卍解で笑いました。突き抜けた方が何事もおもしろいですからね。 >あるいは、もともとモノローグの個性の力が強いので、 それを抑制する方向性もありかもしれませんね。 自分をいっさい出さずに、他人に目をむけるとか。 しかしこちらも魅力的です。他人に目を向ける。自分の恩師から、他者を、人間をよく見つめなさいとよく言われているので、ちょっとびっくりしました。アイディアとして面白いので、両方やってみます! コメントありがとうございました!

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1.5A
作品へ
(2024-07-18)

A・O・Iさんの主語を変えてみるという発想は面白いですね。“人名”の場合も想像してみたのですが、読み手と作品が切り離されて(主人公への感情移入の薄まり)、括弧の文章と、その他の文章とのトーンが統一された感覚がよりあったのは、僕は主語を“女”や“男”に変換したときでした。こういう方法は今まで考えもしなかったので勉強になりました。

1
A・O・I
作品へ
(2024-07-18)

自分が最近思うのは作品に対して、書かれていることに対して、文体が合っているかどうかですね。おすすめされた杳子読み終わったんですけど、なかなかおもしろかったです。気持ち悪さと云うより、一番正確に現すための文体になっているといったかんでした。とても新鮮に読めましたし、勉強になりました。教えていただきありがとうございます(^^) ハツさんの作品って、詳細であるからこそ、その文列にある仕草やモノに思いにひとつひとつフォーカスがあたるんですよね、なのでこの作品は特に大まかなヒトガタであれば、読みてそれぞれのおもう姿になれるような気がします。 結局自分の作品がどう受け取れるか、なにが印象に残りどこを読み取ろうとするか。なにも考えずに置いてしまうと、読んでいて目立つところと潰れる部分が出てくる、そういったことを考えながら推敲するといいかなとおもわれます。まあ人のことはろくに言えないのですがね(-_-;)

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ハツ
ハツ
A・O・Iさんへ
(2024-07-22)

A・O・Iさん、こんばんは。コメントありがとうございます。 >作品に対して、書かれていることに対して、文体が合っているかどうかですね。 まちがいないです。本当にこれに尽きると思います。そうなってくると本当に最近書いたもの(公開はしてません)は大体 書かれているものと文体が合ってないなと気づきました。 >気持ち悪さと云うより、一番正確に現すための文体になっているといったかんでした。 杳子読んでくださったんですね!ヤッター!嬉しいです。一番正確に現すための文体……。たしかに、そうだと思います。わたしが以前、文体というものが何かわからず質問したときに、文体がその作品に必然性を持つこと、文体が、作品内で使うワードを生かすと教えていただいたことがあって、A・O・Iさんの言っておられることも多分近いですよね。書ける人はみんなそこまで考えているんだな〜と頭が下がります。 >なにが印象に残りどこを読み取ろうとするか。 こちらのコメントは、一度目に頂いたコメントの >結局印象としてなにを持ってなにを残すかだとおもう。 と繋がってきますね。自分自身が推敲時には読み手になってないといけないですね。あとは、書くときにテーマ、読んで欲しいものを明確に……。今月はもう出せなさそうですが、これから着手するものには上の二点を意識してみることにします!いつもコメントを本当にありがとうございます。

1
ほり
作品へ
(2024-07-23)

何気ない生活を細かく描いた作品で素敵だと思って元気をもらいました。心配なことや気にかかることが多い中でスーパー行ってご飯を作るっていうルーティンがあるおかげで心配などを少しだけの間だけですけど、離れることができますね。このことを思い出させてくれた作品です。 ご飯が冷凍庫にあってよかったですね。人ってそれぞれ何か欠けてるところがあると思います。その欠けてるところを意識するとそれがすごく大きな欠点に見えてしまいがちです。そして、その欠点をなんとかするためにみんなそれぞれ頑張るのですけれど、頑張れなかったときにクッションになってくれる何かを用意するのも重要ですね。主人公の場合は、うっかり米を炊き忘れても過去の自分が冷凍庫に入れたやつを使えばいいってなったこの展開、私は好きです。 ちなみに、主人公にとってそれはなんかひどい落ち度みたいに描かれてますけど、私はそもそもご飯を忘れることは失敗だと思わないし、ご飯がなくてもおいしくいただけると思いますね、ほんとにおいしそうです。

1
天才詩人2
天才詩人2
作品へ
(2024-07-23)

 食べ物に興味があまりなかったと文中にありますが 本当かしらと思うくらい食べ物が出てきて しかもそれがキチンとキチンと描写されて キッチンの説明なんかもすごく丁寧だし サーモンなんかすごく美味しそうなのに ご飯を炊いてないというオチで そこで「わたし」は運命的とも思える自分の拙さを見て 川のように増水していく劣等感に呑まれるようでありながら 最後に発見した冷凍ご飯はキチンとチンして食卓に並んだと考えてもいいなら なんだかちゃんとちいさなカタルシスがあって そこはまあ良かったなと勝手に思いました   これはこれといっしよじゃなきゃねみたいなことがありますね トムアンドジェリーだとか 赤ワインと生ハムとか 夕焼けと青春みたいな そうこなくっちゃとなるなんとなく安心な組合せ それの大元はたぶん 家族 おとうさんとおかあさん なのかもしれなくて だったとしたらご飯とお味噌汁とおかずというのは 聖なる儀式のための三種の神器みたいなもので どれひとつ欠けても 大元には参与できないし よく考えたら それを揃えたところで 儀式を真似ることができるだけであってどっちにしろ参与できないです  失われたものは当たり前に戻らず そうなれば次こそは気をつけなきゃいけない だったとしたらこれはこうなくちゃいけない それはそうでなくちゃいけない そんなものを集めていくのが 大人になるってことなんでしょうか 独立なんでしょうか 俺も自分のためだけに料理をして 自分だけでご飯を食べて ひとりでお皿を洗ってる時に どうして 俺の人生はこんなに寂しくなってしまったんだろうと考えます なんだか間違った儀式を繰り返しているような それでも これが人生さ とか言って平気なフリしてるんですけどね はは

1
ハツ
ハツ
天才詩人2さんへ
(2024-07-23)

天才詩人2さん。いいコメントです。ありがとうございます。読ましてもらってちょっと泣きそうになったんで、短く返しますが、コメント上手いっすね。しかも刺さるやつ。その作法学びたいんでまたコメントください、よければ。(昨日ディスコードの初期の方の読み返して、レスとレスレス盛り上げたいよね、って話を何人かでしてたログが出てきた。なんか分からんけどちょっと初心に帰った。皆げんきであってねと思った。それの積み重ねが人生。人生って、げんきであってねって思う人が増えていくことだと思うんすよね。若干タメ口で失礼しました。)コメントありがとうございました。

1
ハツ
ハツ
ほりさんへ
(2024-07-23)

ほりさん、こんばんは。コメントありがとうございます。こちらこそほりさんから頂いたコメントでげんきもらえました。そのときどきで、浮き沈みってやっぱりあるけど、それって人から見たらそんな大したことでもないのかもしれません。そのことをわたしはほりさんのコメントから気づかせて頂きました。夜に見てよかったコメントです。ありがとうございます。嬉しかったです。

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