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私はトカゲ
三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。言葉の内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく気配がある。言葉の内実をそっくりえぐり取って、喉を下していったので。 まず一錠、のど仏のあたりがコクン。 食道を下るものの、食道を下る様子をよく見ようとしたら、山崎さんの手を握ったまま、私の視界は内側へ反転し、山崎さんに、 「あら、三白眼。ん?白目。白目剥いてるよ、八重ちゃん面白い」と笑われてしまった。 二錠め。三錠め。 そんなことを言われたって、山崎さん、山崎理恵さん、あなたの内側だって、わたしが見ているものとおんなじ。こんなふうにピンクでねとねとして、うんと不愉快にしめってる。 わかる? 何かが身体に入る、それは頭を貫通する銃弾のようにはスマートに入り込まない。ダン、パパッ、プシューッとはいかないの。 三白眼をくいっと渋谷の白昼に戻す。 視界を取り戻すと物や現象を束ねる意識の箍が緩む。緩んで動く。 くいくい。くくいくい。 つまり、巨大な掌で揺すられるような感じで、街の構図も比喩的に振動したってわけ。うん。 だからね、私ね、山崎さん、あなたに縋り付くようにしてずるずる崩れ落ちてるでしょ。いやん。何か色っぽい。あなたの柔らかいお腹に顔を押し当てて、下腹に向かってずるずるっといくと、股間から微かにあなたの尿の匂いもして。私は気持ちよくきもちよく内と外の刺激を反転し、やや攻撃的にそれを受容して山崎さん、あなたとあなたの渋谷を、ピンクでねとねとして生暖かい暗闇へ力任せに突っ込んだんだ。と。ゴトン。アスファルトに頭が落ちました。柔らかくありません。あいたた。 とても赤みがかって、そして真っ暗。 「八重ちゃん、ヒトしてないよ。ヒトと言えないぞ、今。あの、もしもし。死ぬの?あなた死ぬことにしたの?」 違うな、山崎さん。主観に死はありません。自分自身の死は神話的に創作されたもので、個人の中で不断に再創造されなきゃなんないから、つまり概念として存在するにすぎないんだ。知らないでしょ?理恵さん。 死なないよ、私。死ぬつもりありませんから。 身体を置いたまま、理恵さん、山崎理恵さん。あなたを残して私は渋谷の匂いを歩いてます。 カレーの匂い、鶏肉を焼く匂い。それから麺を茹でるふわっとした湯気、その匂い。まだある。牛革のバッグの皺の寄った匂い。真っ新な衣服の匂い。もちろん人間やそうでない生き物の皮膚と様々な分泌物、排泄物の匂いも濃厚だ。都市の下水網、そのさらに地下にある水脈、地殻の下にもやもやと予感されるマントルの灼熱も。みな匂う。 それらがまるで水彩の染みのように滲んで入り混じっている。聴覚もない視覚もない、肌触りすらない世界だけれど、私は確かに地表にいるし、私は確かに数万メートルの気圏の果てにいる。わかった。広大な出来事の総体が私でありました。 改めまして、こんにちは。みなさん。 私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。 私はこんなにわかりやすい神話として生まれたんだ。 イザナギは今、天の御柱にじょうろで水をやっています。はしけやしまだきも小さき御柱に雨は降りつぎ風やまず陽はそそぎつつかげりつつ春の真ひるとなりにけるかも。 空の高みまで湧き上がった砂塵。砂粒が水蒸気の凝結を身に纏い、地へ向かって鎮められていく。鎮まっていく。時間はトカゲの背に乗って、無明の湿地を進んでいます。 泥の中に浅く浸るしっぽ。S字形に曲がったしっぽ。振り上げられてすぐ落ちてちゃぽといいしなまた動く。 私の性欲は造山活動で隆起し、低粘度の熔岩を吹き上げながら愛している愛していますと泣いています。山崎理恵さん、あなたを。あなたのことを。 愛していると。 手を伸ばして理恵さんの頬に触れた。頬に触れた。 「八重ちゃん、八重ちゃん。あなたここにいるじゃない。よかった。よかったよ。八重ちゃん、もうここにいないかと思ったよ」 山崎さんは泣いている。 私の頭を膝にのせて、体を深く折り曲げている。幾筋もの長い髪の毛が夜の扇状地に広がり、鼻をすするあなたの表情は歴史の彼方、朧に紛れて見えない。 いいんだよ、泣かなくて。 でも私はトカゲのしっぽ。 渋谷は緩やかな谷間に身を潜めた極ささやかな建築物の時間的不連続帯でしかありません。 理恵さん。あなたも私も。
私はトカゲ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1332.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-12
コメント日時 2017-04-11
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
すみません。旧作です。ひょっとしたら覚えてる方もあるかもしれません。
0作為なのか偶然なのか必然なのかわかりませんが・・・「えぐる」という肉体感覚、それから「匂い」の感覚が鮮烈な作品でした。 「まず一錠~私。死ぬつもりありませんから。」までの、ライトノベル風というのか、軽めで言葉が過剰に放出されるけれども、核心をさけて(迂回して)いる、といったムードの部分、個人的な好みとしては、もっと言葉を刈り込んで、スピーディーに後半部に接続していった方がよいのではないか、と思ったのですが・・・前半部を「リーダビリティー」と感じる方の方が、多いのかな・・・。 理恵さんと八重ちゃん、ふたりのレズビアン的な(それも、なにやら薬剤を介在させているかのような)関係性に託して、言葉による誘引、意識の混濁、魂の幽体離脱、のような感覚が描かれているとも読め・・・生理的感覚を持った、詩の内省化・・・いや、違うな、詩を生み出していく過程を二人の関係性に託して描いているようにも読め・・・なかなかスリリングな作品だと思いました。 今、これを出すという時機的なことについて、なのですが。大阪の某理事長が「トカゲのしっぽ切り」はせんで下さい、とユーチューブで流していたことが被ってきてしまうのですが・・・それは、かぶったり、重ねて読まれてもよい、ということ、なのでしょうか。あの騒動とは関わりない作品、だということは、読めばわかる、とは思いつつ。
0まりもさん、こんにちは。 前半、もたついていますね。繰り返し同じ言葉を使っています。 これ、リズムが欲しかったのと、世界にそれなりの密度を与えたかったからです。「散文」ではなく、 どうしても「詩」にしたかったんでしょう。 もちろんどなたからどんな読解を受けても良いし、意外な解釈も面白いのですが、まりもさんの読解については我が意を得たかのように思われます。「薬剤=言葉」と考えてもらえたら読みやすいと思います。僕自身、薬物なんか使ったことないですし、そうしたいとも思わないので。「詩を生み出していく過程」という解釈、明確にそう考えていたわけでもないのですが、まさにそれだよな、と首肯しました。 今更この古いのを出したのは、新作を書く参考にと、ちょっと文学極道で自分の書いたものを読み直していて、これ面白いかも、と思ったからです、書いたことも忘れていたので。 M学園とは関係ないつもりです。しかし太くて長いシッポですね、あれも。
0▼要旨 投身自殺の今際と、「呑み込んだ言葉が腑に落ちる」というような比喩が、みごとに重層的に描かれていると思います。 そのような想定で読んだら、わたしは作中の全表現に合点が行きました。 渋谷の路上へ身を投げ、渋谷の(アスファルトで覆われているため地には還れないから)天に昇っていく身体が、自分の(気管でなく)食道を通って自分の(肺でなく)胃に落ち、吸収されて自分の身体の一部になる薬剤に喩えられていると思います。 その奇想天外な情景の想像だけで、わたしはもうこの作品に夢中です。 そのうえこまかいとこまで冒頭からすばらしすぎて、とんでもない読み応えです。劇薬のような言葉に陶酔し、取り憑かれたようになり、もはや身体より言葉のほうが本体であるかのようだといった、物書きなら三日に一度は体験していそうな感覚までも、目覚ましく描写されていると思います。 このようなすばらしい読書体験の感動を、ぜんぶうまいこと説明するのは至難のわざですが、早急に言いたい二点だけ性急に書かせていただきます。 ▼鑑賞の一部(便宜上断定形で書きますが、すべてわたしの推測です。) 作中には、厳密に区分すれば二種の語り手が登場します。 ①三錠の言葉を呑み込んだ【私】(はトカゲ) ②内側に反転した【私】=【八重ちゃん】=呑み込まれた【言葉】(はトカゲのしっぽに当たる部分) ①は(このこと自体が比喩なのかもしれませんが)投身自殺をしているので、口にも鼻にも強い風圧を受けており、声を出すことはできないと考えられます。その事態が【三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。】という奇想天外な比喩で語られています。 身体に呑まれた薬剤の、身体に吸収され身体の一部になっていくさまが、渋谷の地に堕ち渋谷の天へ昇る①の姿を象徴しています。 「投身自殺は気持ちいい」という俗説がありますが、現に①(身体)は、自分の言葉(②/この詩の語り)に陶酔しきっています。最後には身体でなく言葉こそが自身の本体であるかのように(「身を投げる」というのはそういうことなのかもしれません、)下記のいわく言い難いことを語ります。 【私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。】 トカゲは敵に捕まった場合、しっぽを切り離して逃げることができます。上記は、そのようにして見捨てられた身体(①)の言葉(②)です。②によってそう定義されたので①がそうなるのです、言葉が身体を支配しているから言葉が身体を定義できるのです。うまく説明できないのが残念ですが、わたしはこの表現にしびれました。 * それにしても、この詩の冒頭は、なんという鮮やかな逆喩でしょう。 【三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。言葉の内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく気配がある。言葉の内実をそっくりえぐり取って、喉を下していったので。】 たとえば糖衣錠を飲んだ場合、まず表面の糖衣(薬剤ではない部分)が溶けるはずです。「オブラートに包んだ物言い」といった常套句は、そういう事実に基づいているはずです。 この詩がそのオブラートの溶けるさまを【内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく】と表現しているのであれば、「オブラートこそが内実」ということになってしまいます。あたかもソンタグ『反解釈』の仮面の話です。 そう思って詩を見渡すと、確かにこの詩は、投身自殺の動機も、八重ちゃんと山崎さんとの関係も、【愛していますと泣いています。】といったオブラートのごとき比喩と集約と美化(?)によってごまかされています。なにもかも隠蔽されておりその隠蔽を【内実】と呼ぶのです。 つまり「悪いことは思い出したくない」というのが八重ちゃんの「本音」、それ以外に遺したい言葉がないから遺した「遺言」であるというのが、わたしは自殺した実父とその遺書を知っているので、とてもストレートにわかるような気がしました。 * 以上二点の感動だけ、早急に言いたかったので性急に書き込みました。 ほかのかたの読解や感動も読みたいです。
0澤さん、コメントありがとうございます。 本当に期待していた以上の評でした。 わくわくしました。 花緒さん、コメントありがとうございました。 楽しく読んで頂けたようで嬉しいです。 臨死体験というのは結構な多幸感があるようですね。
0右肩さん、こんにちは。文学極道で私がまだ辛うじて活発であった時から、右肩さんの詩が気になって気になって仕方がありませんでした。今、告白します(笑)。なぜ、そんなに惹かれていたのか、今になって分かるのですが、散文でありながら詩であることについての説得力を持っている点にあると思います。ここで引合いに出すべきではないかもしれませんが、文学極道に投稿されていた「図形」という詩。あれは度肝を抜かれました。とんでもなく良く書けている。それに比べると、こちらの作品は、上手くいっていない気がします。いつもの作品に比べて、物語性そのものの薄さを感じてしまうのです。あ、全体としては賞賛しいたい気持ちでいっぱいです、ということをお伝えしておきます。
0相変わらず右肩さんの詩は怖いです。トカゲが出てきた所で全部繋がっていく、あの行間の >改めまして、こんにちは。みなさん。 > >私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。 >私はこんなにわかりやすい神話として生まれたんだ。 ここが必殺すぎて怖いです。えげつないですね。トカゲのしっぽに、投体自殺によって精神が肉体から剥離されていく瞬間が覆いかぶさっていく、それから錠剤によってトランスしていく様相が渋谷の街と重なりあう所、様々な体液、分泌物というのか、排泄物という、肉体から切り離されていく物というのか、上手く言葉にならないのですが、そういう物も全て繋げていく荒業が、荒業に見えないまま、いつの間にか繋がっていくし、それがイザナミ、イザナギ=神話につながっていっちゃうというか、結局の所神話っていうのは、ある意味万能なんですよね。本当に。 >私は気持ちよくきもちよく内と外の刺激を反転し、やや攻撃的にそれを受容して山崎さん、あなたとあなたの渋谷を、ピンクでねとねとして生暖かい暗闇へ力任せに突っ込んだんだ。と。ゴトン。アスファルトに頭が落ちました。柔らかくありません。あいたた。 >カレーの匂い、鶏肉を焼く匂い。それから麺を茹でるふわっとした湯気、その匂い。まだある。牛革のバッグの皺の寄った匂い。真っ新な衣服の匂い。もちろん人間やそうでない生き物の皮膚と様々な分泌物、排泄物の匂いも濃厚だ。都市の下水網、そのさらに地下にある水脈、地殻の下にもやもやと予感されるマントルの灼熱も。みな匂う。 >それらがまるで水彩の染みのように滲んで入り混じっている。聴覚もない視覚もない、肌触りすらない世界だけれど、私は確かに地表にいるし、私は確かに数万メートルの気圏の果てにいる。わかった。広大な出来事の総体が私でありました。 もう少し突っ込んで考えてみたい事柄ばかりなのですけれども、正直時間が足りないという事、それからTwitterでなんとなく、話そびれてしまったのですが、死と生についての突っ込んだ話について、後は神話ってなんなんだろうか、みたいな事についての考えを聞いてみたいと思いました。凄く話の広がる話題を豊富に含んだ作品だと個人的には思っています。後、名前について、も聞いてみたい。なぜ山崎さんと八重さんなのか、名前とは何かみたいな事について、グエングエンさんの作品に寄せた右肩さんのレスを思い出してから無性に気になっています。(理由はないのかもしれないのですが、ないなんて事は有り得ないだろうという確信があります)
0渋谷という、すり鉢状の場が特別な異界をつくって云々という物語、たしか昔、田口ランディの小説であったと思う。渋谷の街を歩いているとたしかに疲れる。あれは、一体、なんだろうね。 山手線も渋谷辺りでいつも妙な電波を拾っている気がする。渋谷駅を通過する時、僕のiphoneは時々、siriが急にしゃべり出して困る。あれは、一体、なんだろうね。宮台真司先生なら、何か知っているだろうか。 『私はトカゲ』の主人公は山崎理恵さんでも、八重ちゃんでも、私でもトカゲでもない。 隠れているけれども、真の主人公は、渋谷という魔物の棲み処。
0葛西佑也さん、コメントありがとうございました。 以前から読んで頂いていると言うだけでうれしいですね。 「図形」ですか……、 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/457.html#20160111_152_8559p ですね。 オダさんからコメント頂いているのに返事も書いていません!そのうちに、と思っているうちに忘れたのでしょうか?ありゃ~。あまり評判もよくなかったようです。 「鳩が咥えてきた指」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/404.html#20140731_427_7575p の発展形のつもりだったけど、十分伝わらなかったのか、主題が陳腐と判断されたのか……。 余計なことですが、「戦争」や「若者の在り方」という社会性を抜いて考えると、「 LED(或いは「雪の砂漠」 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/357.html#20130211_485_6689p の方ができがよいと思います。お読みでなかったらご一読下さい。
0hyakkinnさん、返信めちゃくちゃ遅れてごめんなさい。 色々考えているうちにちょっと返事を書けなくなってなっていました。 簡単にいかせてください。 脳の機能の一部が壊れると、自他の区別をつけることができなくなって、自分というものがどこまでも広がっていく、例えば床や壁が自分の一部のように 思えてしまうのだ、と養老孟司が書いていました。それ、どんなものかな と思ったことがあります。死の直前の世界ってそうかな、と。八重ちゃんはそこから戻ってきたんですね、きっと。 山崎さん、八重ちゃんという 名前、古めかしくって何処か土俗的でしょ?キラキラネームのアスファルトを剥がすと、渋谷の古い地層としての人間が見えてくるのです。ブラタモリか、とノリ突っ込みしつつもそういうことなんです。二人は少女だけど、平成の人間ではないかも知れません。
0三浦さん、一気に借金を返します。古いものを上げてごめんなさい。 渋谷だけでなくて、土地というものは何処も実は魔界特性を持っていますよね。人も含めて、生命が生まれ、死んでゆく場ですから。つまらないベッドタウンに家を建てるときだって、地鎮祭は必らずやらなきゃ。それぞれの土地がそれぞれ特異という意味で、やっぱり渋谷は特異です。だから、そこで八重たんの、じゃなかった八重ちゃんの魂は国産みをする神となり、トカゲという地霊となり、再び人に戻るという冒険をするのです。ラノベ的に読めば、そういう女子高生のセカイ系冒険譚ですし、もう少し穿った見方をすれば、自意識からの解放と回帰ということになるのでしょうか?専門に勉強された澤さんに見られるかも知れないのにわかったふりをしてそんなことを言うのは汗顔の至りってやつですが。ただ三浦さんが看破しているように、この物語を書いた作者自身も登場人物の一人として関係に組み込まれています。作者は八重ちゃんの主観から世界を記述していますもんね。でも作者であって決して八重ちゃん自身ではではないから、そこに分裂した人格があるわけです。自意識を抜けた人格の統合としての物語が、分裂の現実から成立している、という面白おかしい事実に目を向けると、この面白くもない作品も面白おかしく読めるかも知れません。いや、そうあって欲しいなあ。ないのが当然だとは知りつつ、ですね。
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