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言語三章
第一章 訊き返してほしくない 本当のことは一度しか言えない 言うという行為の なんと心許ないことか 僕だって不安だ 言ったことがあなたにちゃんと聞こえたのか あなたの耳に届く前に 風に飛ばされたんじゃないかと それでも僕は二度と言わない 同じことを二度言うのは変だし 訊き返すことと同じように失礼だと思うから だから信じよう 一度言われた言葉は必ず相手に届くのだと そしてなお 取り返すことができない それだけにものを言う場合は 気をつけないといけないね 心と心は言葉でつながる 一面ではとても頼りない言葉 でも一方で 恐ろしいほど強いものなのだ だから怖くて二度も言えない だから訊き返すことはしないし されたくない 第二章 存在のほとんどを言葉が占め、言葉のほとんどを声が占める、とは思います。ただ、人間が言葉によってものを考えるということには、私もまた、何の留保もなしには、肯んずることができないのです。 第三章 航行するにせよ停泊するにせよ 私たちは 非言語の次元でそうしてきた 味気ない海の上 ひ弱な航跡は傷にならず また船舶はどんな波にも大らかに揺れる この間にこそ人間はものを着想する 言語によってではなく 何か手段によってではなく ただ思い浮かべる 心の写真を撮ったり 心から出る言葉を写すことはしない 人間は間違ったことを書きまた話し得るし 正しいことを述べることに疲れたりもする 海は更地、いつまでもどこまでも更地 荒地のように草ぼうぼうになることはない この更地にこそ価値がある この更地に信を寄せ 非言語の次元に信を寄せ 向こうからやって来るかのような考えを 受け取るだけ 何の手段にもよらず 考えるのと感じるとの間にある何か 密かに動くもの これをつかめ そうすれば自ずと方位は定まり しかもこの方位は 誤った目的に向くことがない
言語三章 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 802.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-24
コメント日時 2024-04-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
拝見しました。まあその一般的に言われている言語(言葉)というのも地球上の生物種と同じく進化し融合もし混乱をきたして絶滅したりもするわけですが、通常我々はその概念によって意味されるもの(シニフィエ)をイメージとして捉え、また言葉の表記という形(記号文字)で表し意味するもの(シニフィアン)として相手に伝えるわけです。既に慣れ親しんだ言語学的解釈に頼れば、です。一~二章などを読めばその言葉によって発生する意味解釈による捉え方の危うさを指摘されておられますね。 ちょっとよくわからないのが、その三章で、海や航海を例えに非言語的な次元に信を寄せる~とかの意味解釈ですね。これは一~二章で提示した事柄をではどうすれば解決できるのか、という問いかけでしょうか。例えば非言語的に~などという非言語そのものの概念がどこに位置するのか。言葉を表記する文字や記号の打ち消しなのか、それとも言葉によって発生する音声やイメージまでもを超越せしめたものなのか、非言語的次元に信を寄せるとはどういう、これもまた意味解釈を問うてしまうわけです。
0あ!書き忘れてしまいましたが、思考に働くとはいえ、朗読される向きの作りですね。おもしろいと思います。
0お読みくださりありがとうございます。今作では、私が思っていること、考えていることを、できるだけ感性優位の筆で正直に、三章立てで書きました。自分ではそう思っています。それで、本当の言語学、哲学の人に読まれると危ないかもしれません。「非言語の次元」という言葉が目立つと思われます。これは私の体験から言い出した言葉です。どうも自分は言葉や言葉的なものでこれまでものごとを考えてきただけではなさそうだ、という思いがあります。「何の手段にもよらず」「向こうからやって来るかのような考えを/受け取るだけ」で、人間は思考したり行為したりして、現在の姿になっているという見立てです。そして現在の姿は個性的でありながら普遍の範囲を出ないように思います。と、まあ、そんな「詩」です。なるほどと思わせるのが一次的な狙いではなく、なんじゃ?と思っていただければとりあえず私はいいのですが……。理論面はそのあとです。どうもです。
0第一章が緊張感があってよかったです。 そのまま続けてほしかった。 もうすこしで詩になったという感触が残りました。
0言語三章なので、意外な断定かもしれませんが、音楽が流れていると思いました。第1楽章みたいな感じのフィーリングが感じられました。詩全体としては考察がなされていると思ったのですが、音楽のように流れて行く考察だと思ったのです。ミュージックが底流している詩、そんな気がしました。
0コメントありがとうございます。様々な感じられ方があるものですね。私自身は第一章は率直すぎて緩いと感じられ、これはまずいなと思ったのです。でも確かに第一章の調子で第二章、第三章の内容が書けていたら、それも良かったかな……。アドバイスありがとうございました。
0コメントありがとうございます。思えば3という数は不思議な落ち着きを持っていますね。私もこの作を書いていて、第四章を書くことは思いつきませんでした。自然に三章立てになりました。それぞれの章は自ずと異なる調子で書かれました。音楽のことは意識していなかったのですが、今エイクピアさんに指摘され、音楽との類比、とても興味深く思います。
0非言語の領域について、言語の絶対性から導き出した知が書いてあると思います。大船に乗って、 ゆったりと荒海を越えていける、死んだ後のことは阿弥陀様に任せて。たまには、己だって、 少しは美しいんだ、と思ってみてもいいと思います。醜いことの好きな人間はいません。 何故かというと、汚い音楽を聴きたい人間なんていないので。
0コメントありがとうございます。言語は内容を持っているのは当然として、それと同時に形式でもあるので、言語にして表すということをする際には「形式化」をしていると考えられます。この時、私たちは何かを捨てているに違いない、という不安と疑念をこめてこの作品を書きました。美をもって作品化できているでしょうか。思考に傾いているかもしれませんが、少しの美はあると自分では思っています。確かに汚い音楽は聴きたくありませんね。
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