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廃棄処理工場の向こうに神の国がある/極限の思考の果て/いつからかお前は消えた
1.廃棄処理工場の向こうに神の国がある。 神の国。その言葉が私の記憶の初めにある。 二階の窓からは廃棄処理工場。幼い頃の原風景。物乞いの老婆が言う。毎日吐き出される黒い煙の向こう、私たちの健康を損ねる悪魔の息の向こうに神の国があると。 どうしてだろう。私の記憶は目に映る風景は汚く、耳に入る言葉は美しい。 私は黒く幻想的な絵画を好み、天国をイメージさせる言葉を求めるようになる。 私はいつからか学校に通うようになった。国語の教科書はくだらない言葉で溢れている。私はずっと老婆から美しい言葉を聞いていた。あの老婆は詩人だったという噂だ。 詩人は呪いをかけられ、醜い老婆に姿を変えられ、この煙で黒ずんだ街に追放されたとか。 ある日、私は退屈な授業を抜け出して、廃棄処理工場の向こうに行ってみた。 私は初めて海を見る。海という言葉が何を意味するか知り、そして海は私から言葉を奪う。 私は知る。言葉によらない美を。 私は果てしなく広がる青の前で動けなくなる。 無限とも思える時間。昼の時間は永遠とも思えた。 そして太陽が海に沈む時、私は永遠が終わってしまったと、美には終わりがあることを知る。 老婆は言っていた。美を永遠の球体に留めるために、詩の言葉を刻んだ罪により、天国から追放されたのだと。 私はいずれ罪を犯すだろう。私は神の国に行けないのかもしれない。 それでも言葉は永遠だ。 この街に美と永遠は刻まれる。 2.極限の思考の果て 極限の思考の果て、悲鳴をあげる力もなくなった自分の脳に観念の輝きと不屈の意志を感じられるだろうか。その瞬間、君は世界の最高の天才たちと同じ舞台にいるのだ。可能性に震えることは孤独かい?冷ややかな世界に君は何を望む?何を捨て、何を拾う?渇望は絶え間ないさ。勝利の日までは! 3.いつからかお前は消えた いつからかお前は消えた 喜びは失われたが情熱は失われなかった 灼熱の砂漠と凍える大地を超え いくつもの廃墟を横切れば 目の前には暗黒の海が ここが世界の果てなのだろうか 情熱は立ち止まることを許さないだろう 海を越えていくべきか 私の欲望の歌よ 果てしない愛の源泉よ
廃棄処理工場の向こうに神の国がある/極限の思考の果て/いつからかお前は消えた ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1119.6
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-12-23
コメント日時 2023-12-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
神の国と言うと、文学作品、アウグスティヌスなどが思い浮かび、どちらかと言うと文芸よりは宗教に近いのかもしれませんが、呪いをかけられる詩人、老婆に変えられた詩人と物語的なストーリーテラー的な魅力が私をこの詩にひきつけました。極限の思考の果てに何があるのか、私はふと選挙アルバイトを思い出しました。この詩とは関係ないのですが、詩と仕事。何か、果てにすら、始まりが有るような気がしてきたのです。
0拝読をさせて頂きました。 力作且つ、意欲作であり、好印象でございました。 然し、結句及び詩のフォルムが、稍収まりが良すぎる様にも、思われました次第です。 勝手に弄られては不愉快とも存じ上げますが。 私なら、 >私の欲望の歌よ >果てしない愛の源泉よ を、 >私の欲望の歌よ >果てしない肉体の源泉よ に置き替えるでしょう。 何故かと問われましたならば。 AIの、詩作の出力の傾向を鑑みます時に、問題となりますのは「着地点、結句で綺麗に纏め過ぎる」事にあると思われますので。 其処で終わるか、そんな結句で佳いのか、と思わしめる工夫が。人力詩作には必須なのではないか、と考えて居ります。 差し出がましいコメントの程を、どうかご容赦下さいます事を。 負けるな人間!
0悪くない。 まず第一章。 冒頭の廃棄処理工場の挿話のイメージはいまの世界イメージと重なる。ところ どころ聖書に出てきても違和感のない印象的な一節がありました。 目に映る風景は汚く、耳に入る言葉は美しい。 私は初めて海を見る。海という言葉が何を意味するか知り、そして海は 私から言葉を奪う。 こういうセリフは小手先の詩技術や知識や頭脳からだけでは決して出てこない ほんとうの詩のことばだと言えるかもしれない。 たとえばわたしたちは子どものころ「愛」という言葉を記憶して辞書的に理解し、 成長して大人になって「愛」という言葉をリアルに知る。そしてそれにのめり こんではじめて「愛」という言葉の深奥が握りしめた手から逃げていく。 これが言葉というものだ。この投稿作品に散りばめられたフレーズは、 人生に苦しみ悩んだものからしか絞り出されない詩的乾坤であると言えるものなら 言ってみたい。 二章、三章は平準的だがそれなりに詩的な雰囲気をもっていると個人的には感じた。 クリスマスプレゼントなのかな? 全体的にこれまでの投稿とは少し違う。
0ありがとうこざいます。私はキリスト教の影響を確かに受けています。信仰はありませんが。
0ありがとうございます。ご指摘通り、たしかにきれいにまとまりすぎかもしれません。
0ありがとうございます。確かに私の人生は苦しみの連続でした。今回は今までとは違って意識的に構築をしてみました。
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