別枠表示
水の誘惑
手の温もりを分かちあう恋人の間をすり抜け、ひとり桜木町を歩く 強い海風が体に真っ向から吹きつける 手の感覚はとうに消えている 観覧車は虹色に輝き、建物や船も夢のように輝いている 私は水を覗いてみた うつくしい光を映して、水面は色鮮やかに輝いている まるで印象画のように でも、その下には、墨よりも真っ黒いものが蠢いている 水面は不規則にゆらめいて、光と闇を交互に映す 深淵が私を呼ぶようにとぷりとぷりと水音を立てる 飛び込んでみようかな 飛び込んだら、からだが溶けてこの美しい水と一体になれるんじゃないだろうか そうして船や建物のロマンチックに輝くのを永遠に眺めていられるのではないだろうか いや、溶けなくても沈んでいって、水面の方に明かりがちらちら揺れるのを眺めるのも良いかもしれない 私はしばし、この魅力的な案について考えた 鏡の世界との狭間で しばらく考えたあと、私は輝く水に背を向けた やめておこう、今日のところは 次の機会に考えるとしよう そうして私はいつものように駅の方まで、歩いていった
水の誘惑 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1249.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-11
コメント日時 2018-02-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
詩とか今まで作ったことがなくて、この作品が初めてなので全体的に拙いと思います。上達のためにアドバイスとか、よりよい詩をかくために、こういうことをした方がいいよ、とかいうことを書いてくれたら嬉しいです。
0「私はしばし」から始まる一文に目が止まりました。 全体は終始淡々としている印象でこの一文も(文体的に)突出してはいない筈なのにそうなったのは、「私」が考えを保留する間の時の滞留が、水のそれと重なり、読者に同じような時間を与え、また動きだす、、からかな?と思いました。その流れがいいなと思いました。 素人の感想で申し訳ありません。
0コメントありがとうございます!実は私もそこは気に入っていた箇所なのでご指摘して頂いて嬉しいです。
0一行目の立ち上がりが、とてもよいと思いました。手をつなぐ、ということの意味。 それは、ぬくもりを分かち合う、ということなのだ、それを、〈ひとり〉の私がすり抜けていく。 続く行で、〈体に〉と、わざわざ言う必要があるのかな、これは省けるな、と思ったのですが・・・ 〈手の感覚はとうに消えている〉が続く。冒頭の、恋人たちは〈手〉を通じて、体の温みを分かち合っている。 それなのに、私は・・・という孤独、寂しさが、体、手、という言葉を、あえてここに置かせたのだと思いました。 〈私は水を覗いてみた〉〈私はしばし、この魅力的な案について考えた〉というようなフレーズは、特にその行為を強調する必要が無ければ、省略した方がよいかもしれません。 その時の「気持ち」や、「感覚」に、なるべく早く、言葉で辿り着きたい。散文(通常の、新聞などに掲載される説明文)であれば、その「気持ち」に到るまでのシチュエーションというのか、状況の説明が入り、段階を追って核心に近づいていく、わけですが・・・その「段階」を、イマジネーションで飛び越えてしまう、その飛躍の力というのか、凝縮の力に、詩の魅力のひとつが隠れている、ように思うので・・・(もちろん、そうでない魅力を備えた詩も、たくさんありますが) 現実の光景の「夢のような」美しさは、実際には淋しさと背中合わせの美しさ。 水面に映る世界は、現世の反転である、ように見えて・・・「私」にしか見えない、私だけの、私の為の世界。うっとおしい恋人たちなどいない、消えてしまっている、世界。 その美しい夢想世界(鏡像の世界)に溶けてしまいたい、一体化してしまいたい・・・という誘惑を、いったい、誰が、何が、呼びかけているのか。 それが、水の底に蠢く、暗闇が実体化したような、なにか得体のしれないもの・・・河合隼雄風に言えば、自身の無意識の中に眠っている、自分自身の影、半身、ということになるのでしょう。 影との遭遇、なのか、ニアミス、なのか。影との対話、なのか。夢の世界もまた、まやかしであることを、理智は悟っている、のか・・・。 美しい映像の背後に潜む、自身の闇が垣間見える作品だと思いました。
0はじめまして貴音です。 詩作は初めてという事でしたけど これでもう、十分立派な作品だと思いますよ 他の方にもたまに見られ気になる所があるんですけど 敢えて聞いてみたいと思います。 うつくしい光→美しい光 ゆらめいて→揺らめいて 等、幾つかの箇所に漢字にしていない所がありますが これはどういった理由からされているのでしょうか? ひらがな多めでポップな印象にしたい 漢字でカチッとした文体にしたいとか 理由があってしているのでしょうか? もし、理由がなければ ちょっと拘ってみるのも面白いかなと思います。
0瞬間の不安というか、本当に水の誘惑ですね。 冒頭の賑やかなイメージとして恋人達の間をすり抜ける様と、観覧車のイメージが提示され、その後急に水面に映った自分の姿を見る事で水に引っ張られていく。多分観覧車は誰かと一緒に乗る物だし、恋人も手を繋いでいるので、二人なんですが、語り手はきっと一人なので、二人になるには水面に映った向こう側の自分と一緒になるしかないし、自分と共にあるという事は永遠になれるという事でもあるのかなと思いました。それが深淵であると。 >私はしばし、この魅力的な案について考えた >鏡の世界との狭間で >しばらく考えたあと、私は輝く水に背を向けた >やめておこう、今日のところは >次の機会に考えるとしよう >そうして私はいつものように駅の方まで、歩いていった ここが本当に面白い。一瞬の非日常に自分を浸すかどうかという誘惑を魅力的な案として、多分頭の上では軽くながし ながらも、ちょっとだけ本気で考えている感じが窺えます。その上で、日常に戻るというその場所として駅があるのだなぁと思います。駅はきっと人ゴミにまみれているので、鏡みたいな水面の存在しない雑踏があるばかりで、そこにはきっと誘惑なんてないのかなぁと思いました。
0