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ある朝にぼくは
ある朝にぼくは むろんそれはただ なんのへんてつもない いつもの朝で 鳥なんか さえずっていない 都会のマンション いつものように マサルとともに きらく庵 202号で 目を覚ます あまり眠れなかったけれど 歯を磨いて ズボンを履いて 作業所に出かけてゆく前のひととき ぼくにとって残念なのは ニューヨーク摩天楼の朝でも 浅く長いシエスタのあとの 目覚めでもなく 恋人ととなりあわせの美しい朝でもなく ガンジスのほとりの 瞑想のあとの時間でもない なんて ことではなく マサルを起こし 1杯15円たらずの そう濃くはない コーヒーを入れてやり ゆうべの悪夢を聞いてやり 自分のコーヒーを入れ 二人分の卵を溶き ご飯をよそい みそ汁を注がせ ときどきマサルの失敗を 笑って叱る そんな腕のいい家政婦のような朝 なんのことはない いつもの朝 けれど もしかあす ほんとうに とれない詩の賞の話が 降って沸いて あこがれのアツコさんが ぼくを夫に選ぶことを 真剣に考えてくれ 障害者の寄り合いのような きらく庵を 晴れて 出ることができて 躁も鬱もやってこず 呪文のようなお薬に頼る 必要もなく 月給20万の仕事を手にして マサルやぼくの病の再発と きらく庵の だれかとの 残酷な死別などを 恐れる必要もない ほんとうに 幸せな 明日が来たら ぼくは今日の日を 忘れてしまうだろう 花ちゃんののんびりした足音も アッくんの愚痴と 壁ごしに聞こえる 障害者の限定された苦労話に そうだそうだと 一緒に腹を立てることも たとえさまざまな 偶然で与えられたにせよ 用意したご飯を前に マサルはおごそかなこどもの目になる ぼくは穏やかな目をした 父親になる テーブルのあいだに 訪れる ぼくらの朝の食事の前の 静かな 時間 それがこの世で 二度とない 得がたいときであるように 蛇口からしたたる雫も ふるえる冷蔵庫のタービンも 笑いとともに 減ってゆくコーヒーや 部屋ぜんたいに広がってゆく 卵の焦げた香りさえもが 特別にかしこまって 神聖な時間であるように思える いつもの朝のこと
ある朝にぼくは ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1864.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 37
作成日時 2017-12-13
コメント日時 2017-12-27
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 7 | 5 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 18 | 16 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合ポイント | 37 | 33 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3.5 | 3.5 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 9 | 9 |
エンタメ | 1.5 | 1.5 |
技巧 | 2.5 | 2.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 18.5 | 18.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
蛾兆ボルカさん、はじめまして。 嬉しいコメントいただき感謝します。 おっしゃるように些細な時間にある軽さと重み、さまざまな感情が書けたら、と思い筆をとりました。もっと多様に書けたらと当初は考えたのですが、これだけでも結構な行数になってしまい、2、3書いたところで止めました。 詩を書くのって難しいものだとつくづく思います。 これからもときどき拝読いただけますようよろしくお願いします。
0とてもよかったです。名作と感じました。 次の行の出方が心地よく、 >ぼくは今日の日を >忘れてしまうだろう この2行が置かれた位置も絶妙でした。 まだ、本当には幸せじゃない、何かを待っているような埋もれていくときが、 愛おしいときだったと、あとでわかることがいまわかってる、というような・・・。
0たくさんの嬉しいコメントをいただき深謝します。 これからもどうぞよろしくお願いします!
0読んでくださり、コメントいただき深謝します。 ありがとうございます!
0黒田三郎の「夕方の三十分」を思い出した、のですが、なぜでしょう・・・ 具体的なことがらを、単純に記述しているようでいて、中盤に盛り上がりを持ってくる(そこに真情の吐露を重ねる)構成や、再び静かな時間に戻る流れから、そう感じたのかもしれません。 〈マサルはおごそかなこどもの目になる ぼくは穏やかな目をした 父親になる〉という比喩によって・・・二人の関係性を象徴的、普遍的な部分で捉え直すところが、特に良いと思いました。ただ一巡して戻る、のではなく、螺旋階段を巡るように、一段上の次元に「もどる」回帰の仕方。 題名と一行めが被っている、のですが・・・ あえて、題名を一行目、として、 本文を〈むろんそれはただ〉から始めても良いかもしれません。
0凄くいいと思いました。正直言葉にしたくないくらい良いと思いました。個人的な理由ですが、朝起きて自分が何をどのようにしながら一日を初めて、そこにどのようなポエジーを見いだしたら詩になるのかみたいな事を考えていた時期があったのですが、この作品を読んで、ああ、すげぇなと、思いました。なんの意味も持たないレスで申し訳ないのですが、心にきました。
0まりもさま 『夕方の三十分』は昔、かなり好きだった詩なので、ご指摘は鋭いです。『夕方の三十分』を特に意識せずに書いたので、ご指摘を受けて、すごく懐かしい気持ちになりました。 最初の一行のご指摘、おっしゃる通りだと思います。その通りに直してみます。 コメントに感謝します。ありがとうございました!
0まりもさま 『夕方の三十分』は昔、かなり好きだった詩なので、ご指摘は鋭いです。『夕方の三十分』を特に意識せずに書いたので、ご指摘を受けて、すごく懐かしい気持ちになりました。 最初の一行のご指摘、おっしゃる通りだと思います。その通りに直してみます。 コメントに感謝します。ありがとうございました!
0百均さま 嬉しいコメントありがとうございます。 これを書いたあと、少し平凡だったかなと正直思ったのですが、皆さんのコメントを読むうちに、平凡な日常を、大切に刻印できたのでは、それはいいことだったんだなと思うようになりました。 コメントいただき感謝します。 ありがとうございました!
0「些細な時間にある軽さと重み」とあるが、正直私はつらつら時系列に沿って書いたヤマ無しのエッセイにしか思えなかった。たぶんそこらのブログにこういうの転がっているよ、わざわざ読む労力を費やすことはない、って感じてしまう。 そのなかで評価できるのは >障害者の寄り合いのような >きらく庵を の箇所だ。詩中でここだけが強く照っている。(そしてその光は痛覚を刺激するものだ) 障害者差別するわけではないが、(倫理的なものは別として)障害者には陰気なイメージがついている。薬品の臭い。比較的軽めな語句が多いこの詩のなかではそれが特に際立つ。また、(ググったら同名の店が出てきたし、そうなるとそこに申し訳ねぇなぁとは思いつつも)「きらく」=「気楽」というダサめなポジティブワードをどうどう使っているところからも気だるさを誘発させる。皮肉ぽい書き方だが素直に褒めている。 いやもうこれは趣味の問題なんだろうなっては自覚しているが。私の至高の詩は黒田喜夫の「毒虫飼育」だし。「エッセイぽい」って私が書く時にはセミイコールで趣味でないの意味だ。別に現代詩の歴史を知らずに書いているわけじゃあない。ただ、私が詩に求めているものは<刺激>なんだろうなと。
0渡辺八畳さま 詩に求めるのは刺激、なるほどです。何となくですがおっしゃること、わかります。 退屈しながらも(笑)最後まで読んでくださって感謝です。 ありがとうございました!
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