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alcholol
アルコールをわざわざalcoholって発音しておどけるきみの横顔がすきなの。 酔ってたから? 酔ってなくてもわたしはきみに ついていったとおもう。 きみがすき。だけどわたし 物語なんて要らない。 ちいさな物語もおおきな物語も要らないのに きみはぜんぶ物語にしてしまうから、わたし きみがつくったというだけのそれらを ずっと抱えなくちゃいけなくなった。 もう部屋がいっぱい。 てゆーかここ、わたしの部屋だっけ? きみのだっけ? わかんないけど 物語なんて要らないのに 物語のなかで流れる川に映るわたしの顔はかわいくなかったから 死にたいなって言ったらきみはもっと死にたそうだった。 死にたくなるたびにストロングゼロ飲みながらalcoholっておどけるきみの横顔がすきなの。 だけどわたしときみは死ねないまま わたしときみはきっとずっと《わたしたち》にはなれなくて、だから、 さみしくないの。 わたしではない女の子が空を飛んでいるのをわたしは 空よりも高いところから眺めてる。 たぶんいま目があったよ 信じて! きみは汚い電柱と犬の糞とそのへんのババアを見てる。また物語にしてしまうんでしょ 物語のどこにもきみはいないのに、さ。
alcholol ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1065.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-08
コメント日時 2017-12-17
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
初コメントです 『きみ』のことが大好きなんだろうなと付き合いたてのような感情の高揚が伝わってきました。それ故の陰りみたいなものも直接的に言わなくても伝わってきて俄然リアルに感じました! 僕個人としては最後の『電柱』や『犬の糞』の下りがピンときませんでした。『alcoholと発音する君』なんてとてもオシャレなのにその詩世界と合わない気がしました。敢えて汚い物をチョイスする必然性が僕には分からなかったので最後はやや作為的な感じが否めません。
0花緒さん バランス感覚を褒めていただけて嬉しい限りです。読んでもらえるように言葉の出力をチューニングするのは結構難しく、苦労しているので。 天豚と地震速報さん 電柱や犬の糞がピンと来なかったとのことで、残念です。私の目標のひとつは、言葉に付着するさまざまなイメージを引き剥がして詩世界を再構築することなので、私の試みは失敗したということになります。精進したいものです。
0これは病名は無いですが、アル中みたいに酒ばっかり飲んで詩を書いてる私の事だとして読みました。いやぁ、大好きなんですね!照れちゃいます
0私には酒を飲みながら詩を書いてるだけの男を飼う趣味はないですよ。私自身がニートだからさ。
0ええ…私、そんな文なんですか。男勝りとは言われますけど。 ニートだなんてまたまたぁ、詩書きさんじゃないですか? 好きですよ、詩。
0もうちょっと分かりやすい日本語で話しかけてくださいませ。
0あーそうですね、この詩好きです。 結局、分かりやすい日本語では言えないですけど 直感で好きになりました。 私の日本語じゃこれが限界です。 なんとなくでも伝わりました?
0伝わりましたよ。ありがとうね。
0第一連では、甘えを感じさせる話し方が上手く表現されているように感じました。「~なの」「~の」というこの作品での終助詞は主に女性が用いるものであると思いますが、そのような語尾を付けて話をする「わたし」は相手に対して女性性を強く感じさせようとしているように思われ、また、「~、さ」という語尾までに一つ空白を置くのも強く相手を意識している「わたし」を感じました。このように、好きというメッセージも含めて、語り手は強く聞き手を意識していながら、悲しいことにはこの一連の発言に相手に届いていないのか、返答がなく、「酔ってなくてもわたしはきみに/ついていったとおもう。」、または「てゆーかここ、わたしの部屋だっけ? きみのだっけ?」と返事がないにも関わらず尋ねてしまう点に、この人物の依存と虚しさを感じます。 そして、これが崩れるのが第二連で、「汚い電柱と犬の糞とそのへんのババア」という強い言葉遣いが、この夢見がちな<きみ>を馬鹿馬鹿しく感じたのでしょうか、語り手の自立を感じました。また、「女の子が」という表現だけでも<わたし>でないことが想像されるところに、敢えて「わたしではない」という形容を付しているのは、それが過去の<わたし>だったからであるようにも思え、そうだとすると、その更に上に存在する<わたし>は一段と自立しているのだろうと思います。この自立が、私としてはこの作品の面白さであるように思いました。しかし、それをこの作品の中心に据えるとすると、この部分については「信じて!」「物語のどこにもきみはいないのに、さ。」という語りかけが、結局相手に依存し自立できない甘さが残る「わたし」の性質を示していて、それがこの詩を終始甘ったるいものとしてしまっているように感じました。
0くさかゆうみさん 遅レスすみません。「自立」という観点から読まれることは予想していなかったので新鮮でした。「終始甘ったるい」という評価がネガティブなものなのかポジティブなものなのか判断しかねますが、そういうものが書きたくて書いたものなので、嬉しい感想でした。
0なんかの授業で、物語についての講義があったんですが、物語って恐ろしい程多義的で、逃れられないなぁと思いました。どこもかしこも物語だらけですよね。物語から抜け出して、あるいは物語がないと信じられない。あるいは裏切る事が出来ない。みたいな感じでしょうか。物語がない言葉は詰まらないし、物語の分からない話はつまらない。だとしたら酩酊の中においてその中で揺らす事しかできない。その隙間を縫いながらOKをもらうしか無いみたいな感じを思いました。
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