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砂の中の海
海の縞模様が 砂の城に 住んでいます。 幸いなことに 泣き方をしらないのです。 今も絶え間無く砂が この街に注がれ続け この部屋の容積も 埋められて います。 元居た場所を けして忘れない生き物ですから たとえ 砂の中であるとしても すこしも 海の匂いを失わないのです。 海の底から見上げた光の またたきを おぼえています。 人はみな海の忘れ形見です。 海の匂いを忘れたことも ときにはありました。 海を失うと こころの中心が陥没するのでした。 たとえ 海の匂いを忘れても すべての子は海の忘れ形見。 その命が 果てるなら 海は哀しむのです。 海岸で 真夏だというのに桜が咲いたことがありました。 潮が悲しみにさわぐので 桜が咲いたのだと 風が 教えてくれました。 真冬だというのに 北極が凍らない日々が あったとしたら それは 凍っていた屍が 海を恋しがるからだと 雨が 教えてくれました。 私が海を 忘れたとしても 海は私を 忘れない。 砂の音を褥に眠り、海の匂いを歌うために 私は目覚めます。
砂の中の海 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1227.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-23
コメント日時 2018-02-21
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
一つ一つの文が、慈しみを喚起して、厳しい自然と、優しい自然の、 両方を提示しておられます。作り上げられる、海の、本質、そういったものを、独自の描き方 によって、人間にとっての海の意味と、自然としての海の本性、邪気がなく、海への賛歌を 描くなら、るるりらさんの詩は、いつだって、何についてだって、すばらしい把握をされていますから。 だから、詩というものが、魂の色を見せているという感じを受けるので、きらきらとした輝きは、 果てることのない偉業のようで、詩の言葉が、美しいと、戦えるぞと、言っておられますね。 戦慄の生に、向きうための、イメージとして、僕は、この詩を受け取りました。 盛り上がる波の、力強さの前では、どんな人間も、かないません。そのパワーこそ海の力である、 そのようにして、海を受け入れていくべきなんだな、と思います。そして、海を味方につけるためには、 どうしたらいいのか、我々が海を受け入れる方法は、海を超自然として想定し、匂いや、夏の桜や、 海に濡れた砂の感触や、砂の音を通して、なんとなく知れることだと思いました。少し悲しく、 ところどころ泣きそうになります。この御作品のように、海と砂を見てこられた方は、僕にとっては 貴重な意味を持っています。あらゆる人の、詰まった思いを、本当に自分もそれに加わって、 体感できればいいな、と思います。享楽にふけっているような人も、海の前で絶句するでしょう。 そうでなければ、人間が滅びずにいられはしません。 芯が通っているにもかかわらず、詩の意味を押し付けず、強制しないるるりらさんの詩は、 どこか遠くで鳴っているよう、近くで見出してしまうようです。 個別な報告ですが、操り人形だった僕は、やっと自分を取り戻して、自分の力で生きていけるようになりました。 あのとき、子供に人形との遊び方を教える、という形で、励ましていただいたこと、本当にうれしかったです。 心を無くさずに生きかえれたのは、そうした安全綱に守られてのことです。 るるりらさんの詩を読むと、もっと詩を頑張ろう、勉強しよう、たくさん作ろう、とやる気がわいてきます。 それは、詩というものを、巧みに、精一杯の力で作り上げようとしておられる、お力を感じるからです。
0作品も素晴らしいけれど、黒髪さんのレスにも感動。 作品に戻ると、冒頭から一気にファンタジーの世界に引き込む。そして、ファンタジーの世界こそが真である、という作者の思いが伝わって来るような気がします。 これだけ優しい、易しい言葉で、深い思いを綴れることがすばらしい。 隠れたテーマとして、人は「泣き方」を知っている、という思いがあるのでしょう。そして、人が再び海に抱かれるとき、人の悲しみは潮騒や桜など、より普遍的なものに変容し、歌い続ける存在となるだろう・・・そうあってほしい、という作者の願いも含めて、綴られた作品のように思いました。 海の縞模様、という不思議な生き物(光に煌めく広大な海の姿を想う人も、ウミウシのようなかわいらしい生き物を想う人も、砂浜に残されていく、波打ち際の潮の跡を想う人もいるでしょう)について、客観的な第三者が語っているような冒頭から、いつのまにか、その生き物の目線に視点が移動する。最後は、その生き物の姿も溶け込むように消えて、私、という、作者と同一人物であるかのような位置にたどり着く。 この視点は、作者のものであると同時に、作者が思いを馳せる、死者の視点でもあるでしょう。 この世の人間である作者が、想像の世界でしか出会えない死者たちと、いつのまにか2重の存在となって、その厚みを通して語っているような気がしました。
0>海の縞模様が 砂の城に 住んでいます。 >幸いなことに 泣き方をしらないのです。 >今も絶え間無く砂が この街に注がれ続け >この部屋の容積も 埋められて います。 るるりらさんの今回の作品は、僕はうまく読めてない自信があります。それは単純に僕の中にない遠い感覚で詩行が紡がれているからです。本作の場合はイメージよりも、所謂詩的感覚をベースにしたひとつの、、、言い方は悪いかも知れないですが、哲学というか、認識の在り方、あるいは自己の存在の仕方。生体としての感覚の在り方。もしくは置き方というのか、そういうのがひたむきに綴られている感じがします。 そういう意味でちょっと上級者向けな作品ではないかと思いました。じっくり読んでみたい作品です。それは時間をかけてゆっくり取り込んでみたい作品だと言うことです。そして、僕がこの作品にかけるべき、あるいはかけられるべき言葉は、既に黒髪さんとまりもさんによって導かれていると思いますので、レスはここまでにしたいと思います。
0ちょうど自分自身が、海にまつわる思い出話を書いていたところで、とても印象的な作品でした。 るるりらさんの作品は、私の知っている支配する母性愛、というものをなぜか勝手に私が感じてしまって、なんだかひたひたと怖いものを感じることがあります。 (すごく素敵でお上手だな、と思いつつ、やわらかくも絶対に一歩も自分の正しさを譲られないであろう怖さ、を、感じることがなぜかままある。なぜだかはわからないのですが……) この作品に出てくる海は、とても、おそろしく強い、母でした。 真夏の海岸に咲く桜。 全体的に、すごくお上手で、単純な私はこのようなものを書けない、すごい、という気持ち。 それなのにどこかに、ある種の、狂気めいたものを感じて恐ろしい、それでも好きにならずにはいられない、気になる。 なんだかとてもすごいと思います。 拙い感想で申し訳ありません。
0この作品は、昨年に投稿した作品です。 みなさまに真摯なコメントをいただいておきながら なんの返信もしてなかったことが 心苦しいので お詫びを書かせていただいています。 この作品を投稿したあと、私生活で 怒涛の変化があり、ネットのすべてを切っておりました。 この作品を投稿したときにも すでに 精神状態は ギリギリでした。この詩は自分を奮起したい気持ちをあっての投稿でした。 この詩は もともと ある方に「もしも自作詩に動画をつけるとしたら どんな作品にしたいか」という ご提案をいただいて書いたものです。だから 私にとって 詩が詩という媒体以外の表現に繋がることを体現させていただいた作品でしただけに 恐縮しています。 昨年中に失礼があったことを深くお詫びします。 私は現在に立ち みなさんと一緒に未来のビーレビに参加させていただきたいです。 このビーレビには、詩にとどまらない無限の可能性があると 信じていますので どうぞ これからも よろしくお願いいたします。 るるりら拝
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