一、
「あれは誰?」
告別式に列している親類縁者の中に
知らない人を見つけることはよくある
「あれは誰?」
そう胸のうちで思いはするが
本当はどうでもいいに違いない
別に知りたいわけでもないのだ
知りたいと思わない
せいぜい疑問形の言葉だけ
静かに発してゆければいいと思う
それを聞く人たちは困るだろう
人はみんな
はっきりした意思や情報が欲しいのだから
時には僕の疑問に答えてくれる人もいる
僕はその答えを感じ取る
知るのではない
感じ取る
二、
地上は決して広くない
地上は踏破されたと聞く
子どもは広場を駆け回り
大人は道を歩むが
人と人とは必ずぶつかりそうになるものだ
子どもは通学路を行き来する間に
次第に道というものを覚える
大人はすでに広場を駆け回ることはしない
時に道に疲れた大人は
控え目に広場を散歩して
日々表情を変える風物の写真を撮ったりする
でもそんなことにも僕は飽きた
リアルを写した写真の中に
疑問形が雨にように降るよ
濡れた覚えは定かでない
見分けがたい降雨はそのままに
これ以上知りたいとは思わずに目を逸らす
作品データ
コメント数 : 2
P V 数 : 886.2
お気に入り数: 1
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作成日時 2022-09-15
コメント日時 2022-09-19
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
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2024/11/21 23時15分32秒現在
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ちびまる子ちゃんの吉川みどりちゃんを思い出したのですが、あの話では実は親戚の子では無くておじいちゃんの友達の子か孫だったようだし、シチュエーションも告別式では無くて、単に新年の親族の集まりでした。知るのではない 感じ取る。リアルなものを写した写真に対する疑問、子供の成長。詩に心理が感じられて、親子親戚間の、機微を,空間をは把握して居るのだと思いました。
1コメントありがとうございます。ちびまる子ちゃんのその話は思い出せないのですが、『ちびまる子ちゃん』という作品は、人間の感性と知性とが全開されて交錯している、すぐれたおもしろい作品だと思います。感から知へ、広場から道へ、子どもから大人へ、こういう過程は時間的にも感覚的にも長いものだと思います。大人になっても人間はこのような過程を保持しているように思います。人間の感覚器官は敏感すぎて、感じたことに溺れそうになりながらやがて「知る」という段階に至るのだと思います。リアルから目を逸らすのもいっときのこと、やがて「知る」という段階に必ず到達します。詩に心理が感じられたとのこと、とてもうれしく思います。
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