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偏執美 (凡才による)
普遍とされる美に直通できる 手際の良い秀才が嫌いでキライで仕方ない いつまで 死に際の蝉の鳴き声に 虚しさばっかり詠ってんだろ? 融けかけた積雪の下に 芽生えばっかり描いてんだろ? 結論が既に決まってるから あらゆる (特に季節の移ろいを告げる) 事物・現象をそこへ結び付ける為の 想像力が豊か過ぎるんだ その仁王立ちした結論が 八面六臂の想像力が妬ましい あんなモノ 電子音式目覚まし時計が経年劣化で 狂ったようにしか聞こえない 所々に穴の空いたボロ雑巾の有様を 晒してるようにしか見えない 剥き出しの鼓膜と網膜で捉えた終末なんか どれもヒドイ姿を浮かべてるのに そこを足早に通り過ぎ 綺麗な粒だけ取り出そうと 万全に構えた濾過装置を介して 掴んだ価値は大層な物だな そんな便利な装置は備えてないから 不器用な手でゴミ漁り、まさぐり 己だけの美を掘り起こしてみよう 死蝉がドス茶色い体液を滲ませて 地べたと一体化してる これだけで立派な絵と認識できるんだろな 「アスファルトのキャンバス」 だとか ステキに喩えるんだろう (茶色く見えるのは潰れた外骨格。 ほとんどの昆虫の体液は透明らしい。 皆優秀だから、下手な事言うと恥かくぞ) 腹弁も共鳴室も圧し潰れてる 人工呼吸でもしようもんなら リードの欠けた木管みたいな音鳴らすのか (中1の時に顧問だったヒステリックな 音楽教師、苦手だったんだよ。 思い出させるな) 屑雪は泥土混じりで 標識の根元とか縁石にくっついてる 小動物にでも見立ててしまうのかねえ 「冷たく暖かい命」 だなんて 畏れ入るポエティックポエットだ (真似た表現で揶揄できるほどの 技量に欠けてる。皮肉になってない。 みっともないから黙ってろ) 片っ端から融け残りを集めて 不純物を取り除いたら 天然水として売り出せるかもしれないな (ウォーターサーバーの勧誘に、 強引に契約させられそうになった事が あるんだ。軽く殺意が湧いてくる) 結局ろくなモノ掘り出せなかった
偏執美 (凡才による) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 831.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2022-08-26
コメント日時 2022-08-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ウォーターサーバーの勧誘に引っかかったこと、あります。( ´艸`) 詩が美しいものを扱う志を持っているのは宿命的なんじゃないかと思います。それが普遍性に直通した凡庸な退屈だとしても、それはレベルが低いのかもしれないですけど、まあ、幼稚園生が一生懸命書いたと思えば看過できます。汚いことを書いて失敗してしまわないようにしたいですけど、それは志が必要なのでしょうね。汚水を提供するわけには行けませんもの。たまに酷いのを私も書いてしまいます。しかし大義があるような場合を除いて不満や悪口は詩に塗り込んで書かないほうがいいです。それは詩ではないように感じます。せっかくレトリックがお上手でらっしゃるのだから。
1コメントありがとうございます。 普遍的な美を直ぐに掴める感覚の鋭さと、想像力の豊かさが羨ましいという思いを、私なりにストレートに書きましたが、後半の茶番文のせいで、不満や悪口と捉えさせてしまった自分の力量不足を痛感しております。 後半は、自分自身の排他的な考えと、それを咎めるせめてもの自制心を書きました。ずっと自分の中に終始してしまってます。でも、今の自分ではそれで精一杯なので、仕方ないと思ってます。 ガラクタを生産している気で書いて、現代詩タグも外して投稿したので、まさに、詩ではないと自覚しており、鋭いご指摘で気が引き締まりました。いつか現代詩タグ付きでの投稿を決心できるようになりたいものです。 最後の身に余るお褒めの言葉、薬瓶に保存したいくらいです。 コメント頂き 感謝 感激 雨あられの 患者 反省 ナメた真似です。
1作品を読んで思い出したのは、以前、美を定義せよと問われた出来事で、美を定義すること出来ないんですよね(いや、私だけかもしれません)。糞尿を汚いという時もあれば美しいとする時もある。「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と歌うパンクの有名な歌詞もありますし。美を美的経験としたらけっこう普遍性ある定義が思いつくんですよね。美しいと思えることって、初めてか初めての「ような」経験かなと私は思ってたりします。 衝動さがあって、ああなんかいいなと読んで思ってコメントしちゃいました。
1コメントありがとうございます。 今の自分は、大した意義の無い幼稚さがあふれる汚物としか認識されないものを提供してしまっている現状です。そんなものに対してコメントを頂けるのは嬉しく、励みになります。 ドブ水を啜る姿から写真にはうつらない美しさを見出して、示せるようになれれば理想的です。
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