「梅原猛と仏教の思想」という思想評伝、「龍とそばかすの姫」というアニメを見て、思ったことを徒然に書く。
浄土真宗の根本教義は二種回向である。二種回向は現実から浄土に向かう往相と浄土から現実に向かう還相に二分される。浄土教といえは死後に浄土に向かうというイメージだが、親鸞は還想も同様に重視したとのことである親鸞の目には師の法然は極楽から現実に還想した人と認識していたようである。
浄土は本当に存在するのか。それは分からない。少なくとも現代を生きる我々には実感できない。ただ、バーチャルな世界を信じることは容易だ。その点は中世の人々より現代の我々が優位である。つまり浄土は信じれなくてもバーチャルは信じれる。
そもそも浄土を含めた概念全体がバーチャルではないか。中沢新一もグレートスピリッツをバーチャルとして表現している。バーチャルとは人の脳が作り出した仮想世界である。古来、人々はバーチャルな世界からダウンロードした情報を文字や声でしか表現できなかった。経典に描かれた浄土とはバーチャルな理想郷そのものであるが、それを見るにはイマジネーションの力が必要であった。
メタバースは現代の浄土となりえるのではないか。メタバースにおいても二種回向は中心概念となりえる。ただ、メタバースにおける二種回向は非常に素早いPDCAサイクルである。メタバースが現実に影響をあたえ、現実がメタバースに影響をあたえる。この二種回向を凄まじい素早さで行うことでなにか大きなものに近づける。
メタバースに存在する、なにか大きなものとはなにだろう。主人公のシズが最後にベイルアウトして歌う場面では、なにか大きなものが存在していた。そのなにかを阿弥陀仏とここではよんでみたい。
ただ阿弥陀仏は本当にメタバースにしかいないのだろうか。龍とそばかすの姫においてメタバースは当初から美しい。現実世界は母を奪った川があり廃校になりかけている限界集落である。光のメタバースに対して現実世界は闇であった。メタバースの光はBellと龍がダンスをするところでひとつのフィナーレを迎える。ここはディズニー映画のパロディというべきものだが、歌もどことなくディズニーである。ディズニーランドのエレクトリカルパレードが具現化されたような世界である。
しかしメタバースにも闇はあった。しかし、その闇は現実からの光によって払拭された。往相のみならず、還相そのものが浄土たるメタバースをよりよいものにする。二種回向を繰り返すさなかに顕現するものが阿弥陀仏なのかもしれない。その阿弥陀仏は信じれば必ず助けてくれるというものなのかは、分からない。ただ、それでも光を信じ続けるときにしか阿弥陀仏は顕現しないのだろう。
現実とメタバースの二種回向が極地に達するのが、最後のベイルアウトして歌う場面である。現実世界の人間が踏み込めないはずのメタバースでアバターではなく人間として歌いきった。メタバースの世界は光であふれた。光こそ阿弥陀仏である。不可思議光そのものである。
そしてメタバースから還相した現実は実はとても美しい。清流な川、大切な友人やパートナー、雲高い入道雲、温かい家族。それらは最初からそこにあったのだ。その美しさはメタバースからの還相で、はっきりと理解されたのだ。
この美しい山や草、空、という現実世界のありようは、山川草木悉皆成仏と呼んでも差し支えないのかもしれない。誤解があるのは承知だが、メタバースで引き起こされる人工的でかつ高速な二種回向は、現実を肯定するという密教の要素を帯びてくる。
メタバースはバーチャルな浄土となりえる。ただ、その浄土は最初からあるのではなく、人々の各々の光が作り出すものである。南無不可思議光は人々の光の集合体であるのだ。
作品データ
コメント数 : 10
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作成日時 2022-08-13
コメント日時 2022-08-17
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 13 | 13 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
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2024/11/21 23時22分45秒現在
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ありがとうございます。たしかに、最後の連はおおざっぱですね。ただ、どこに着地したらいいのか、最後よくわらなくなってしまいました。僕自身は地獄の深淵にきらめく光にしか救いはないと信じています。改めて自分が書いたものを読むとたしかに地獄がないですよね。なぜ、こうなったのかは不思議ですが、たぶん映画の影響でしょうね。この映画も痛みがあるのですが、最後に自分に残ったのは美しいものだけだったのでした。地獄では世界や光がやたらと美しくなるような気もします。おっしゃるとおり痛みや地獄を伴わない光は空虚なのだと思います。
0メタバースと宗教的な天国地獄みたいものとの差ってなんだろうかと考えさせられました。 コンピュータの世界で見えるなら「有る」と言えて、見えないと「無い」のか。
0ありがとうございます。昔の経典など書かれている描写は見えていたのだと思います。ただ、それが見えるには修行が必要だった。メタバースは修行しなくても見えるのでしょうか。
0浄土真宗の門徒なのですが、母が信じている浄土世界は坊主の言うオタク的ものではなく、他界した肉親との思い出から展開される個人的な世界だと言います。言わば個人的記憶の仮想現実なのでしょう。そして真に現実を生きるということは、記憶をとおして思考することです。 >経典に描かれた浄土とはバーチャルな理想郷そのものであるが 阿弥陀仏が存在するのかは、答えの出せない事柄です。やはり浄土とは生きている個人の心の中にあるものを指すのかも知れないと考えます。 >メタバースは現代の浄土となりえるのではないか。 現実の疑似体験でしかありえないと考えます。
0ありがとうございます。浄土真宗は阿弥陀仏を信じ切ることで、阿弥陀仏に救われ、死後に浄土に行く思想だと個人的には思っています。ただ、日本では先祖が向かう死後の世界という土着の思想と融合しているような気がします。今は盆です。先祖の霊が帰ってきて、そしてまた盆が終わると帰っていく。実はその先祖がいるところはバーチャルな世界です。科学的にはバーチャルな世界は脳の機能というしかありません。そしてコンピューターが作り出したありありとしたバーチャルな世界、それも大勢がありありとリアルタイムに作り出せるメタバースの世界と浄土に、どういう関係があるのか。そういうことが、気になりました。
0色即是空 メタバースは初めからメタ・メタバースとしての次元に配置されているのであって、現世もその言葉で共有されているようなメタバースでしかないということを否定できない以上、このような論考?にいったいどれだけの価値があるとかと疑問に思いました。 もっとメタに世界のことを観察してみてはいかがでしょうか?
0色即是空という言葉は般若心経が由来ですが、密教の最重要のお経でもあります。ニヒリズム的な解釈になりがちですが、最後の羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝菩提僧莎訶は、真言ですね。それも、梅原猛に言わせればニーチェ的な、肯定の思想に聞こえます。これは実際に読み上げると理解できる気がします。山川草木悉皆成仏は、比叡山系の密教の言葉で、仏性は山にも川にも国土にもあるということを示します。 つまり、メタバースにも仏性があるのではというのが仮説です。ご指摘、ありがとうございます。
0少女が幼い頃に人形を抱いて話しかけるように、メタバースはリアルの代替品に過ぎないと思います。釣りに行く資金が無い貧乏な人や外で人と交流できない障害者など、なにがしかの弱者が体を失い心だけ満たすことでバランスを取ってあぶなっかしく生きるのだと思います。つまり、一級酒ではなく二級酒、リア充という言葉には負ける。仏性があるのはメタバースではなく、人間そのものではないでしょうか。無記名であることが多いネットより、目を見て愛や友情を確かめることを手に入れられない苦しみの底に立ち昇る陽炎の中に経典のような言葉も読めることはあるかもしれません。でもそれは人間存在の持つ力でメタバースの力ではないと思います。宗教やメタバース自体には知識が浅いので変なことを言っていたらすみません。勉強になりました。
0これは「竜とそばかすの姫」評文としては最高だと思う。よくぞこのような深遠な考察を場末の空間に発表されたと思う。私は一連のこの監督作品の上滑り感が不快で観た後、つまらなさだけが残っていた。けれども、「竜とそばかすの姫」には優れた良作映画にあるカタルシスがこの映画にはあった。もちろん、ただのディズニー映画の焼き直しやんけ?という批判があったとしてもその批判が示すところも理解出来る。けれども、ただのトラウマ乗り越えのテーマだけに終始していない「妙な深遠さ」がこの映画には宿っている気がしてならなかった。それをこの評文は言い当ててくれていると思った。主人公の声役である歌手の中村佳穂さんの声質、そしてその語口には普通さと神がかりさの両方がそなわっていて、しかもそれが万人にあるのだと、決して特別なものでないと、天才主義の否定でもあり、それは親鸞の思想に一致している。
0メタバーストは?とか二回三回と読みたくなる詩ですね。読むたびに印象が変わる詩と言うよりはむしろ理解が深まる詩なのかもしれません。仏教の親鸞、法然、現代の梅原猛、そしてアニメと組み合わされば、望むところよと何か詩読みのパワーが、意欲が身ぬちより沸き上がって来るような気がしました。
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