二〇一八年十月一日 「楽しくくたばれ!」
楽しくくたばれ!
二〇一八年十月二日 「断片」
ぼくは何も言わなかった。ひと言も口にすることができなかった。何
を、どう言っても、その言葉が、彼に、自分がこびているような印象を
与える調子を含まないでいられるものになるとは思えなかったからだ。
二〇一八年十月三日 「体毛」
人間は髪の毛が伸び続けるけれど、なぜ、猿などは、体毛が伸び続けないのか。そういえば、人間だって、体毛は伸び続けないな。
二〇一八年十月四日 「ジョン・スラデック」
奇想コレクションの一冊、ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』をちまちま読んでいるのだが、まったくおもしろくない。というか、おもしろさがまったくわからない。むかし読んだはずなのだが、いつものごとく、まったく記憶にない物語ばかりだ。一ページごとに、読んでは休憩をはさんでいる。
二〇一八年十月五日 「慣性」
思考や感覚にも慣性のようなものがあるだろう。無意識領域においてなら、なおさら。
二〇一八年十月六日 「箴言」
体験に勝る教えなし。
二〇一八年十月七日 「考察」
事物というものは、見たあとで、見えてくるものである。
二〇一八年十月八日 「空集合φ」
読点と句点を重ねると、空集合φになるのね。
おおむかしに書いた詩句で、書いた記憶がなかった。
二〇一八年十月九日 「断片」
洗濯物を取り込んで重ねていただけなのだけど、ひとに見えた。
二〇一八年十月十日 「タケイ・リエさん」
タケイ・リエさんから、詩集『ルーネベリと雪』を送っていただいた。繊細なレトリックというべきか、なんか、そんな感じのする筆運びで、肌理の細かいものに触れるような感触がした。
『妃』という同人詩誌を送っていただいた。最先端の詩人たちの饗宴という感じがする。たくさんの詩。たくさんの詩人。バラエティーが豊かだ。詩の豊穣といった感じがする。
二〇一八年十月十一日 「すさまじい忘却力」
詩も小説も、そんなに違いはないのねっていうのが、奇想コレクションの一冊、ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を半分まで読み直した感想。いつものことながら、一作も読んだ記憶がない。すさまじい忘却力。固有名詞が頻出で頭が痛くなる小説でもある。でも、詩には、そういうものがないね。
二〇一八年十月十二日 「LGBTIQの詩人たちの英詩の翻訳」
ここひと月ばかり、LGBTIQの詩人たちの英詩の翻訳を再開していたのだったのだが、きょう訳していたものが、いちばん難しかった。9つ目だ。あと20作ちょっとを翻訳しなければならない。きょうの訳はまだ手を入れなければならないだろう。翻訳では頭脳を総動員しなければならないので疲れる。
二〇一八年十月十三日 「ジョン・ウィンダム」
ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』難解というわけではなく、読みづらいという感じ。でも、まあ、奇想コレクションの読み直しをしようという計画を立てたのだから、さいごまで読み直すけれど。いまのところ記憶にあるのは2作のみ。なんという烈しい忘却力。いまは57歳。もうじき58歳。
ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を買ってきた。むかし、読んだ翻訳者とは違う翻訳者の新しい訳だそうだ。内容は、ぼくにはめずらしくも、しっかり覚えているのだが、手元にむかしの訳本がなくて、がまんできなくなって買ったのだった。すばらしい小説だった。スラデックを中断してさきに読む。
よい音楽と、すばらしい詩や小説と、おいしい食べ物や飲み物があるのだから、ほかにどんなことがあっても、この世は天国である。と、単純に思いたい。まあ、ぼくは単純なので、そう思っているほうだとは思うけれど。
いままでツイートを見てて、ハイボールを2杯飲んでた。なんだろう、この高揚感は。おいしそうな食べ物の画像を見たこともある。そのうえに、これからSF小説の傑作、ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を読めるという期待の気持ちからもだろうか。すばらしい詩や小説は、ぼくの気分を高揚させる。
二〇一八年十月十四日 「ジョン・ウィンダム」
ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を読み終わった。むかし読んだときには感じなかった感慨がある。さいごがうまくいき過ぎかなと思えるが、それを除くと、たいへんおもしろい作品だった。これから、ウィンダムの『海竜めざめる』を読む。
二〇一八年十月十五日 「死ぬまでに再読したいSF小説3作」
ジョン・ウィンダムの『海竜めざめる』の再読が終わった。きのう読み終わったウィンダムの『トリフィド時代』もそうだったけれど、希望で終わらせているのが、57歳のぼくにはいい。暗澹たる気持ちで終わらせてほしくない年齢になったのだろうと思う。これからスラデックの短篇集のつづきを読む。
死ぬまでに再読したいSF小説3作。ニコラス・グリフィスの『スロー・リバー』、マイクル・スワンウィックの『大潮の道』、T・J・バスの『神鯨』いますぐにでも再読したいのだが、まだ寿命がありそうなので、寿命が尽きそうに思えたときの楽しみにとっている。再読したいSFはほかにもあるしね。いま、Amazon で価格を調べたら、『大潮の道』と『スロー・リバー』が1円で、『神鯨』が91円で売られていた。傑作なのにね。
二〇一八年十月十六日 「マーゴ・ラナガン」
スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を読み終わった。さいごらへんで、ようやくスラデックの文体に慣れたような気がする。つぎに読み直す奇想コレクションは、マーゴ・ラナガンの『ブラックジュース』である。かなりおもしろい短篇集だったような気がする。一つだけ物語を憶えている。魔女の話だ。
二〇一八年十月十七日 「短詩」
みっぺは宇宙人かもしれない。ママのペンとリップをつかって、顔面は非対称。うん。みっぺは宇宙人にちがいない。
二〇一八年十月十八日 「今鹿 仙さん」
今鹿 仙さんから、詩集『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』を送っていただいた。ポイントが大きく、そこにまず驚かされたけど、読むと、詩句の流れのスムーズさと音調的なすべりのよさに驚かされた。それにしても、表紙がすばらしい。ことし目にした本の表紙のなかで、もっともすばらしいと思った。
二〇一八年十月十九日 「舟橋空兔さん」
舟橋空兔さんから、詩集『アナンジュバス』を送っていただいた。ふつうの日常的な詩句のあいだに、魔術的な詩句というのか、そういった詩句が散見する。不思議な作品たちだ。
二〇一八年十月二十日 「石川厚志さん」
石川厚志さんから、詩集『山の向こうに家はある』を送っていただいた。タイトルに「家」とあるように、詩のなかに家族が出てくるものが多い。ぼくには肉親に対する愛情がないので、読んでいて、うらやましいなと感じることがしばしばあった。まっとうに働いていらっしゃる方のようで、うらやましい。
二〇一八年十月二十一日 「阿賀 猥さん」
阿賀 猥さんから、『豚=0 博徒の論理』を送っていただいた。カラーページがとてもきれいで、描かれた絵がかわいらしかった。詩という枠を超えて、エンタメしてらっしゃると思った。というか、詩の本かどうかっていうのは、それほど大事なことじゃないのかもしれない。ペソアの断章を思い出した。
二〇一八年十月二十二日 「片岡直子さん」
片岡直子さんから、詩集『晩熟』を送っていただいた。よく見かけたお名前なので、ユリイカの投稿時代(30年まえ)が思い出された。片岡さんの詩句は、落ち着いた円熟したものに思われ、詩集のタイトルの『晩熟』と通じる、大人らしさが感じられた。
二〇一八年十月二十三日 「mnt1983さん」
mnt1983さんに書いていただいた、ぼくの詩集『The Wasteless Land.VI』評。たいへんうれしいお言葉でした。
https://bookmeter.com/reviews/51681294
二〇一八年十月二十四日 「ルーシャス・シェパード」
一時間くらいかけて本棚を探しても、ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』が見つからなかったので、Amazon で買い直した。傑作だったので、手放すことなどなかったはずのものだったのだけど。何度も何度も同じ本棚を見直すという行為自体は、それほどいやじゃなかったけど。この作品、主人公は、死んだ詩人。まあ、医学実験でゾンビになった詩人、で、ゾンビは瞳が緑色なのであった。どういった物語かは忘れたけれど、この本はぜったいに手放さないぞと思っていた作品だったので、いま、自分の部屋のどの本棚にもなかったことにショックを受けている状態である。もう一度、本棚を探してみるか、と思って、探したら、ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』が見つかった。なんという、なまくらな目をしているのだろうか、ぼくは、と思った。きょうから、この『緑の瞳』を読み直そう。奇想コレクション・シリーズの読み直しは中断して、こちらの方をさきに読み直そう。Amazonではキャンセルしておこう。この本の主人公は、自分が詩人だったことを憶えている、詩人ではなかった者だった。ぼくの記憶違い。ゾンビ―になると、生前と違った記憶を持つことになるのだった。きょうは、そこくらいまでしか読み直せなかった。つづきは、あした以降。
二〇一八年十月二十五日 「桑田 窓さん」
桑田 窓さんから、詩集『メランコリック』を送っていただいた。適切なレトリック。過剰でもない、不足してもいない、まさに的確なレトリックの使い方をされているなと思われた。とてもていねいにつづられていく詩句に、作者の目の確からしさを見たように感じられた。難解なところはまったくない。
二〇一八年十月二十六日 「小林 稔さん」
小林 稔さんから、詩集『一瞬と永遠』を送っていただいた。詩句の言い回しが知的だと思った。それに描写がこと細かく具体的だ。知的なのに抽象に赴かない詩は稀だと思う。ていねいに知的な言葉が重ねられていく様を目にした印象が強く残る詩集であった。それが風格というものだろうか。
二〇一八年十月二十七日 「ルーシャス・シェパード」
松屋で晩ご飯を食べるまえに、西院のブックファーストで、ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』を買ってきた。短篇集で、本のタイトル作品のシリーズが収録されている。タイトル作品だけは、短篇集『ジャガー・ハンター』に入っていたので既読だが、ほかのものは未読だったのだ。
二〇一八年十月二十八日 「いつもの3本」
砂ずり、レバー、つくね、いつもの3本。
二〇一八年十月二十九日 「安田 有さん」
安田 有さんから、詩文集『昭和ガキ伝』を送っていただいた。二十八年ぶりの詩集ということである。状況のよくわかる適切な描写であった。穏当な詩句がつづられている。長いあいだに書かれたものを目にしたためか、ぼく自身のここ30年というものに思いを馳せた。
二〇一八年十月三十日 「小川三郎さん」
小川三郎さんから、詩集『あかむらさき』を送っていただいた。収められている詩は、小説で言うならば、奇譚の部類に入るもので、詩句の運びは、ひっかかるところがまったくない流暢なものであった。
二〇一八年十月三十一日 「毛毛脩一さん」
毛毛脩一さんから、詩集『青のあわだつ』を送っていただいた。ブレスの長さが、ぼくと比べて、2倍くらい違っていて、息の長い詩句がつづく。息の長さは、なにかに比例しているような気がした。そのなにかというのを明確に書き表すことはできないけれど、情の深さ、念のようなものとかとかとか思った。
いま、ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』に収録されている第3篇目「始祖の石」を読んでいるのだけれど、ロバート・エイクマンやコッパードやダンセイニの短篇集とかで読んでいないものがあって、気になったので Amazon で検索してた。いや検索してたら、出てきたのか。
ちょっと浮気をして、宝物としている、ジェラルド・カーシュの短篇集『壜の中の手記』を読み直そうかな。カヴァーの裏に値札を剥がした剥がれ跡があるのだけれど、この本は、ブックオフの105円(だった)コーナーに置いてあった本で、手に入れたものベスト3のなかに入る3冊の本の中の一冊である。
ちなみに、ベスト1は、付き合ってた青年が、ぼくにプレゼントしてくれた、デューン・シリーズさいごの3冊『砂丘の大聖堂』1、2、3巻。各巻105円で買ってくれたらしい。当時は古書値として5000円くらいするものだった。ベスト2は、古本市場で105円で買った『エミリ・ディキンスン評伝』
たくさんの本を昨年手放したけれど、傑作をまだまだ本棚に残しているのだなあと思った。憶えているものもあるけれど、記憶していない作品もたくさんある。死ぬまでに何度も読み直すだろうけれど、忘却力が烈しくなってきたので、読むたびにまた新刊本を読んでる気分で読めるのだった。得な性分だなあ。
Amazon で、いま、『砂丘の大聖堂』シリーズ3巻を買おうとすると、いくらくらいするか調べたら、第1巻、第2巻は300円から600円で買えるみたいだけど、第3巻は4000円してた。いまだに入手困難なものなのだなあと思った。
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作成日時 2022-08-01
コメント日時 2022-08-01
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2024/11/21 23時18分42秒現在
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