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とうとう
それでもやっぱり零れそうだ 老いた蛇口が 夜通しシンクを満たすように 日増しにわたしの涙腺も 締まりが悪くなってゆくもので この水源はどこにあるのだろう 出会いが呼び水となり 都市のタンクから もう県境を越え あの山の湧水に繋がってこんなにも 水は豊かに運ばれてくる 夢の支流に沿って 知らない街の囁きや 異国の音楽の路上演奏 散っては芽吹く花の一日が 果てしなく連なっている 目覚めたばかりの身体に 水は冷たすぎて 代わりに白湯を飲む 排水溝へ流すしかない夜の溜まりが 酷く惜しくて できる限りそっと そっと、空いた湯呑みを沈めた それでも やっぱり溢れてしまって どうしようもない
とうとう ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1269.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-12
コメント日時 2017-12-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
操作ミスで重複して投稿されてしまいました。 大変申し訳ございません。
0花緒様 ご対応いただきありがとうございます。お手数をお掛けして申し訳ございませんでした。 また、そのように仰って頂いたことに大変驚き、嬉しく思っています。詩を真剣に書くようになってからはまだ一年も経っていません。これからまだ書いていきたいと思い、果たしていま自分が書いているものが現代詩を読む方々にどのように映るのかお聞きしてみたくて投稿致しました。 お読みいただきありがとうございます!
0とうとう、○○してしまった、の「とうとう」かと思いきや、滔々と流れる豊かな水を想起させつつ・・・ 夜中の台所でしょうか。老いた蛇口、少しサビの出た蛇口。家と共に歴史を重ね、家族を見守り・・・時には、蛇口から水を流しながら、皿を洗いつつ泣いたりしたことも、あったかもしれない。(お皿を洗う時って、正々堂々と泣けますよね(笑) 素敵だなと思ったのは、〈出会いが呼び水となり〉から、夢想の中ではるかかなたの水源地に意識を向けていくところ、そして、〈夢の支流に沿って〉から、さらに異国の街並みへと、自由に夢想を羽ばたかせていくところ。 そこから、手元の暗がりに戻り(現実の生活に戻り)〈排水溝へ流すしかない夜の溜まりが/酷く惜しくて〉夜の溜まり、は、暗くて黒くて捨ててしまいたいイメージ、を予期するのですが・・・流してしまう他ないものが、惜しくて、という、そこの驚き。 夜の溜まり、これは、夜の間に少しずつ溜まっていった自由連想や夢想、そうしたイメージの堆積、なのかもしれません。実生活には、特に何かの役に立つ、というものではないけれど。そうしたイメージの堆積こそが、詩、になっていく、そんな・・・あるかないか、わからないような、でも、虹色に輝いているような、なにか。 胸の中を去来する思い。その想いが湧きおこるたびに、涙腺が緩む。それを、感傷と呼ぶのはたやすいですが、感傷そのものに浸るのではなく、軽やかにそこから自分の身を引き離して、遥かな水源や遥かな異国の街並みに夢想を馳せる、その心の動きに惹かれました。 連ごとに位相を変えていくところが、上手いと思います。
0私は現代詩もコメントも不慣れなので、とんちんかんなことを言っているかもしれません。前もって、その時はごめんなさい。 感想です。 台所は暗い印象がしますが、一方で水源からの異国の表現はすごく明るくて、無数の出会い、無限の可能性のような、そんなことを感じました。暗いのと明るいのが交互に来るので、夢うつつのような、不思議な感じがします。その雰囲気のせいか、すごく引き込まれました。 それで、水を流したくないのは、その可能性一つ一つを大切にしたいから…と考えていました。
0まりも様 コメントありがとうございます! タイトルは仰る通りその両方の意味を込めました。 だーっと水を流しながら洗い物をする時は、だーっと泣くことができますね! それこそもう少し若い時は全て片付けば気持ちもスッキリして、はい おしまい、と切り替えも出来ていたように思えるのですが、歳を重ねると終わってもまだ、ぽたぽたと未練が漏れてくるような感覚を覚えます。 詩を通してたくさんの素敵な出会いがありまして、もとはそんなことからこの詩を書きました。 シンクに溜まった水は「もったいない」けど、飲むこともできませんし、それだけで洗い物を完結させることも出来ない。 ファンタジーの存在意義に度々悩まされるのですが、その実生活には役立たない(お金にもならない、腹も満たせないという意味で)けれど、虹の輝きのような何か、は確かに私にとって必要不可欠な心の拠り所でもあるような気がします。 虚しいだけの存在でもあり、心を潤すものでもあり…。 そんな気持ちが行ったり来たりして言葉を紡ぐので、場面転換が突飛かな?と思ったり。書いているときは連続した映像なのですが読み返すと伝わるのか不安になります。今回嬉しいお言葉をいただき心からほっとしています。ありがとうございます。
0cotonoさま 初めまして。 涙腺より零れる涙から、山の湧水、知らない街の囁き、異国の音楽の路上演奏、散っては芽吹く花、と繋げてゆく技法は見事です。 勉強になりました。
0糸井翼様 コメントありがとうございます! 段落ごとの場面転換が上手く伝わるか不安でしたが、そのように感じていただけて嬉しいです。シンクに溜まった水は使い道があまりありませんが、少しずつ溜まった水を人との出会いだったり、詩のアイデア、イメージを書き留めたメモだったり…そう結びつけると捨てるのが忍びない、どうにか活用出来ないだろうか、と大切にしたい気持ちが湧いてくるのかもしれませんね。 私は、自分の書いたもので読む人が自由に想像してくださること、そのことを大変嬉しく思います。糸井様が感想を寄せて下さったことに心から感謝致します!
0m.tasaki様 初めまして。コメントありがとうございます!勉強になるだなんて…恐縮です!私も皆様の作品からたくさん学ばせていただいてます(^^)
0琴、いやcotonoさん、こんにちは(^^♪ 自らの老い(初老?)と老いた蛇口のイメージを重ね まるで意識の源流を辿る旅にように、水源への遡行を試みる描写 とても美しいと感じました。 欲を言えば、例えば2連 この水源はどこにあるのだろう 出会いが呼び水となり 都市のタンクから もう県境を越え あの山の湧水に繋がってこんなにも 水は豊かに運ばれてくる 「出会いが呼び水となり」はあきらかに作中「わたし」の心象。 「都市の~」以下は水道水経路の描写であって隠喩ではなさそう。 つまり心象と現実的描写が混在していて惜しい気がします。 心象なら心象、描写なら描写と連ごとにしっかり書き分けた方が より、分かりやすくイメージ喚起力が強くなったように思います。 つづく3連 夢の支流に沿って 知らない街の囁きや 異国の音楽の路上演奏 散っては芽吹く花の一日が 果てしなく連なっている 夢の支流は心象でもあり、水の流れでもありますが 水がそのような異国の街をとおり、路上音楽を聴き 花の1日を見ている と同時にそれは心象風景でもあるので この連は成功していると思います。 イメージが一体化されていてすっと入ってくるのですね。 最後の2連、特に そっと、空いた湯呑みを沈めた はこの作品の風格、優しさを感じさせ大好きです。 水とともに旅をし、水をいとおしむ感情、 それがこの詩の核であり、うつくしい抒情詩に仕立てあげていますね。
0仲程様 コメントありがとうございます。「共感できるのが心地よくしみる」とはとても嬉しいです!タイトルはいつも悩みます。恐らく私がひねくれているために、内容を隠したくなってしまうのです。もっと引きつけるタイトルを考えられるように、センスを磨かなければなぁと日々思っております^^; 白島真様 こんにちは(^^)コメントありがとうございます。いや、変換して頂いても私は構いませんよ(笑)などと思いつつ… 具体的なアドバイスをありがとうございます!書き終わったあと、どのように詩の構成について推敲すれば良いのか悩んでいたので、非常に勉強になりました! また、うつくしい抒情詩、と仰っていただきまさに嬉しい限りです。これからも丁寧に作り続けてゆきたいです。
0すごく素敵です。 詩情が溢れ出ていると感じました。 手本にすべき時だと思いました。
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