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狩夜
恋人の毛細血管で踊っている、ながい頸筋、くびすじ、思っている、かつて、アルファベットスープのひとりひとりに、ひとりだけの冬を、諦めてさんざめく鶫に、つぐみに、春の代わりの体言止め、泳ぐ、ピアノ、線に引っかかる舟は言の葉の片割れ、となり町の泉はぼくの少女に、その御脚に、一縷から放たれるとても大きな仕事で、朝の九九がはじまる、始まる、いつか朗読した朱色の小雑誌、いまもまだ、あざやかに針を紡げるだろうか、点々と、ながれる流星を人差し指で砕いている、力強く少年は、十分な量のジビエを獲ってくるから、初恋にまつわるとある魚編を叫んで、わたしたちの濡れそぼつ、だれがいてもいい夜がはじまる
狩夜 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1628.3
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 6
作成日時 2022-07-11
コメント日時 2022-07-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
彼の腹に、松明投げ入れ 死は骸と呼び覚まし
0死にあれど、夜はやさし
0左にあらず くびきから かずのこ頬張る 悪魔ありけり
0こちら、いちおう返詩だけはしたんですが、どちらかと言えば感想や批評の可能性を求めているため、宜しければそういったものをコメントいただければと思います。 (コメント欄で連詩をするのはあまり気が進みません)
0スーラの点描画を彷彿とさせる。 とにかく眩しかった。輪郭や線を持たない、たまゆら現象みたいな言葉の集合体。 少年と少女がアルファベットに九九、体言止めと、なんかしらの法則性がある怪しげな遊びに耽っている。 息つぎのような読点は、心地よいベース音になって読み手を誘導する。光の通り道だろうか なんとなく既視感を覚えた。
0感想と言うより、半分分析みたいになっちゃいますけど。 一本の糸で繋がれるような、か細い相関性を持ちながら言葉が展開されていくように感じます。 そうして得た帰結が最終のセンテンス、『だれがいてもいい夜がはじまる』。 この一文自体は、たいへん魅力的に感じます。 作者さまがこの作品をどのようにして作ったか、ぼくは知る由もないんですが、完成品としてこの作品を読む限りでは、すべてのセンテンスが、最終の『だれがいてもいい夜が……』に集束されてくるように読めています。 つまり『だれがいてもいい』狩夜、誰もが経験する日常生活、過不足なく食糧があり愛する人の居る、ある意味理想的とも云える人間的な生活について、すべての言葉が責任を持ってくる、そういう構造になってると思います。 そういう意味では、アルファベットスープは果たして、そういう生活に見合う『食材』だったのか、鶫は季節を表わす以外に意味を持たせられなかったのか。 イメージが充分に膨らみきれなかった処で、夜がはじまってしまった感が強くて、やっぱりこの長さの作品だと、言葉の精度がめっちゃモノを云うんだなあと、改めて思いました。 カッコ良く書けましたね、読めば読むほど、それ以上の言葉を云えません。 全体的には好きな作品だったんで、何かひと言云いたかったんですけど、ごめんなさいねこんな感想で。
0点描画を彷彿とさせる、となると作者ながらなるほどと思ったりするのですが、「スーラの」とまで限定されるとより興味深い言及です。スーラ性のある散文詩。あるいは、たまゆら現象。文章から意味や視覚的イメージが浮かびにくいという特徴はよく指摘されますが、具体的な名称や人物を挙げて評されたのは珍しい気がします。既視感があるのはその具体性が関係しているのかもしれませんね。 この詩は、特に前半、わりと遊びのようにざっくりと楽しんで書いた記憶があります。なので、九九、アルファベットスープ、体言止め(からの体言止め)あたりに法則性を見出されるのは意外でした。言われてみるとある気がしますね。 読点縛りはよく用いる文体ですが、リズムの良さを大切にしているため、 > 息つぎのような読点は、心地よいベース音になって読み手を誘導する。光の通り道だろうか この、文体に関わる感想が特にありがたかったです。
0長文のご感想、分析をありがとうございます。 > 作者さまがこの作品をどのようにして作ったか、ぼくは知る由もないんですが 私は極端な一筆書きタイプでして、私も詩の意味や内容はよくわかりません。なので、正直 > つまり『だれがいてもいい』狩夜、誰もが経験する日常生活、過不足なく食糧があり愛する人の居る、ある意味理想的とも云える人間的な生活について、すべての言葉が責任を持ってくる、そういう構造になってると思います。 というような解釈については、へえ、なるほどなあと面白く読ませて頂いたりしました。解釈とは、(多かれ少なかれ)とある特定のオリジナルな誤読であり、そこに面白みが生じてくるみたいな感覚がある気がします。 最近はちょっと「救い」というか、文学的毒を中和する割合、みたいなものに少し惹かれている気もしていて、必ずそうするわけでは全くないですが、この作品のラストはその時の気分に合ったものが書けていた気がします。 構造的な視点で読むと、アルファベットスープや鶫なんかの単語は、なんだか正確さに欠けるように感じられそうなのは、なんとなくわかる気がします。あと、わりと突然夜がはじまってしまったのも、たしか「楽しんで書きすぎたから、終盤はある程度まとめようかな」みたいな気持ちが少しあったような気がしなくもないです(記憶力がわるくてすぐ忘れてしまうのですが)。失敗のようで、でもそれがきっかけであのラストが出てきたわけで、なかなか二兎は追えないですね。 たくさん考えて頂けてありがたかったです。長文返し失礼しました。
0これは、ある人の痕跡を書いたものですね。生物でないのに、同じ人と括って思った方が理解がしやすい。
0てんまさん、てんまさんの発言は時折この世界から離れてしまって、私たちには届かない(それは唯の、私の浅さなのかもしれないが)時もあるのですが、この断言は恐らくは留まっているものであり、いったいなにが見えたのだろう、と実に興味深いです。私は何を、誰の跡を書いたのだろう。
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